中学受験産業の源流

この写真は、都内某所に保管されている解体新書です(たぶんこれは展示用のレプリカで、モノホンはもっと厳重に保管されているのだと思いますが)。この解体新書によって、それまで医師のカンやコツ、経験といったものに依存していた日本の医学は一気に進化していきます。

中学受験を考えるときに、「私立の中高一貫校は”中学受験産業”の上に乗っかって存在している」という事実を忘れてはなりません。一部の名門校を除いては、「中学受験産業」がなければ私立中学は存在し得ないし、その逆もまた真です。賛否はともかく、文科省の決めた学習指導要領とは別の枠組みの「教育みたいなもの」が存在しています。

話を解体新書に戻しますが、解体新書によって医術は医学となりました。いまでは日本のどこに行っても標準的な医療サービスが施されますが、その源流は解体新書にあるでしょう。中学受験も同じです。日本のどこに行っても、標準的なカリキュラムが存在し、標準的な「教育みたいなサービス」が受けられますが、その源流はどこにあるでしょうか。

それは四谷大塚の「予習シリーズ」です。

中学受験産業の勃興は昭和30年台にさかのぼります。昭和20年台後半に日進(日本進学教室)が小学6年生向けのテスト会として立ち上がったのが中学受験産業の嚆矢ですが、それを大きく発展させたのが、後発の四谷大塚でした。

昭和29年の設立当初の四谷大塚は日進の二番煎じでしたが、昭和30年台前半に転機が訪れます。四谷大塚の日曜テストの上位を品川区の「大井第一小学校」の生徒が独占するという現象が現れたのです。

その背景には、同小学校の教師、迫田文雄(敬称略)の存在がありました。

迫田は公立小学校の教師でありながら私塾を開き、また、驚くべきことに当時の大井第一小学校の彼のクラスの授業は、すべて中学受験を軸に進められていたと言います(大井第一小学校の同窓会報で確認)。

この現象に注目した四谷大塚は迫田を教務部長としてスカウト。そして彼を中心に昭和35年(1960年)に「予習シリーズ」を完成させます。

中学受験を目的にカリキュラムを整理してまとめあげたテキストの誕生です。

金持ちだったり勉強が特別できるという「特殊な6年生」が受けるテスト会、という中学受験のありようを、5年生からの2年間で誰でも結果を出せる中学受験産業という姿に前進させたのは、まさにこの予習シリーズの完成がそのはじまりでした。

どうしてこんな、大河ドラマみたいな話を書いているかというと、現在も書店で販売されている市販教材には、いまだにこの予習シリーズの影響を色濃く残しているものが存在するからです(今や古くて見向きもされないような部類に属するとしても)。いいか悪いかは個別の判断に任せますが、学院長は、そうした広義の「予習シリーズファミリー」こそが、中学受験テキストの王道だと考えているわけです。

断言しますけれど、「中学受験は新傾向問題に合わせた柔軟なカリキュラムや教材が大切」とった言説を目にしたら、それは塾から金をもらっているヤツと思って間違いありません。

というわけで話は、迫田が四谷大塚を退職して昭和50年代に立ち上げた塾である秀優舎、そして迫田が学研と作った「応用自在シリーズ」について進んでいきたいのですが、まぁいつ書けるかな。

学院長ブログは、こんな記事を書くためにいちいち解体新書の写真を撮りに行ったりしているので、恐ろしく手間と時間がかかるのですよ。

というわけで続きます。

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