音楽家の小室哲哉さんが引退を表明しました。僕はとても彼の熱烈なファンとは言えませんが、好きな音楽家の五指に入る方で、個人的には思い入れの深いミュージシャンです。ちょっと思うところを書き留めておきたいと思います。
僕はいわゆる「小室サウンド」のファンというわけではなく、一部を除けば小室さんの黎明期のみのファンという、ちょっと変わった立ち位置かと思いますので、その理由についてまずは書きます。
僕は中学から大学にかけて、いわゆるバンド活動を積極的に行っていて、職業作曲家になれないかなどという、妄想のような夢を抱いていたものでした。中学・高校時代には、月刊明星の付録、「Young Song」に掲載されている歌謡曲やJPOPのアルバム特集を参考に、自分なりに楽曲をコピーをしてアナリーゼしたりしていました。
その中に、1985年9月発売の岡田有希子のアルバム「十月の人魚」がありました。ここで僕は小室哲哉をはじめて認識します。このアルバムの1曲めとラストの曲が小室作品でした。後で知ったことですが、この2曲は小室さんが他のアーティストに提供して世に出た最初の作品だったということです。
僕はこの2曲を聞いてぶっ飛んだというか、この人はいったい誰なんだと思いました。コード進行や転調の使い方など、自分の知る世界にはなかったもので、もっとこの人の作品を聞いてみたいと思ったものです。っていうか、難しくてコピーできなかったのです。
そのアルバムの1曲目「Sweet Planet」はYouTubeにありますので、よかったらどうぞ。Sweet Planet 岡田有希子 – YouTube
さらにぶっ飛んだのは、すぐ後の1985年10月にリリースされた渡辺美里のデビューアルバム「eyes」のB面の1曲目「死んでるみたいに生きたくない」が、まったく違う曲調にもかかわらず、ライナーを見ると「小室哲哉」作曲とあったことでした。
言うまでもないことですが、同年のTM Networkのアルバム「CHILDHOOD’S END」は本当によく聞きました。このアルバムは今も色あせない名盤だと思います。
そして1986年の年があけると、渡辺美里は小室作品の「My Revolution」で大ブレイクし、4月に岡田有希子は死んでしまいます。TM Networkは1986年以降、「FANKS」などと言い出してダンサブルな方向に行ってしまい、渡辺美里も2枚目の「Lovin’ you」以降、なんだか説教臭くなってしまいました。
僕は小室さんの黎明期の、ピュアでナイーブな楽曲が好きだったのだと思います。そのピュアな作風が再び顔を見せたのは、華原朋美と初期globeの作品群ではなかったでしょうか。
愛情というか、気合というか、そこが他のアーティストへの提供作品とはレベルが違っていたように感じます。華原作品はダメになっていく過程も含めてどれも素晴らしい、または興味深いし、globeの1stアルバムは僕が人生で一番よく聞いたアルバムではないかと思います。
というわけで、自分にとって思い出深い楽曲をいくつか紹介して、このメモを終わります。上で取り上げたものも含めて、各アーティスト1曲限定で5曲をセレクトしてみます。
岡田有希子「Sweet Planet」
Sweet Planet 岡田有希子 – YouTube
渡辺美里「死んでるみたいに生きたくない」
TM Network「ACCIDENT」
華原朋美「tumblin’ dice」
globe「Precious Memories」
resortboyさん、こんばんは
メインブログへのコメントは否定的にしか口に出てこないので、今のところは書かないようにしていますが、相変わらず拝見させております。
私はASKAさんが好きなのですが、彼のブログに小室さんのことが書いてありましたので、よろしければ読んでみて下さい。
https://www.fellows.tokyo/blog/?id=735