英語は世界を開く!- 舟橋栄二さん(1)

resortboyが主宰するおとなのための勉強会。7月は東京を離れて名古屋で開催しました。僕のリゾートトラスト分析を第一部に、第二部には地元名古屋のfunasanことトラベルライターの舟橋栄二さんをゲストに、「英語は世界を開く」と題してお話を伺いました。その第二部の様子をいくつかの記事としてお届けします。

resortboy(以下R):今日はスぺシャルゲストに舟橋栄二さんをお迎えしています。こちらの「英語は世界を開く!」という御本を1カ月半くらい前に出されました。すでにレビューも数多く付いていて、好意的な反応を多数、拝見しています。

英語は世界を開く: 挫折の連続で分かった大人の英語学習法

今日の勉強会の募集では、この本を読んでから来てくださいね、というのをご参加の皆さんにお願いしていました。御本とかぶる部分もあると思いますが、本にはない突っ込んだお話を、今日は伺いたいなぁと思っています。

まず最初に、舟橋さんの英語へのモチベーションや原動力という話から伺っていきたいと思います。

御本をお読みになった方や、今年のお正月にブログに掲載した舟橋さんと僕の対談をお読みいただいた方は、舟橋さんがどういう方かというのをおわかりだと思うんですけれども、まずは英語への取り組みという切り口からバックグラウンドのお話をお願いします。

funasan(以下F):皆さんのお顔を見ると、もうなんか英語バリバリの方が結構いるような気がするんですけど(笑)。私は高校の数学の教員でしたので、中学校の英語までは完璧だったんですが、高校英語で完璧に崩れて、英語大キライになったんです。

それで40歳まで英語はまったくしゃべれず、海外旅行も行ったことがなかったです。40歳以降に海外旅行に行きはじめたという経歴なんですね。英検もTOEICもTOEFLも一切受けていません。

それで、皆さんの中で、海外で普通に英語をしゃべっている方はいますか?

R:じゃあ皆さん、自分は英検2級ぐらいはあるぞっていう人?(少数が挙手) 逆に、英語はからきしダメっていう方は?(多くが挙手)

F:わかりました。少し安心したので、中級くらいを狙ってお話をします。

私はいま67歳なんですが、名古屋の生まれ育ちで、今も名古屋駅から電車で1時間くらいのところに住んでいます。名古屋市内の高校に通っていたときに、とにかく英語が苦手になりました。数学や物理は大好きだったんですけど、英語や国語や社会など文系がダメでした。覚えるのが嫌いだったので。

それで、富山大学というローカルな大学の理学部物理学科に入りました。英語との関わりで言うと、大学3年生の時に物理学科は量子力学という現代物理を学ばなくてはいけないんですが、それを私は原書で読みました。最初の50ページ、100ページは大変でしたが、テクニカルターム、専門用語が完全にわかってしまえば、理系の文章って割と簡単なので、比較的読みやすいんです。

自分が使っている分野の中の専門用語が全部わかっちゃえば、英語ってわりと読めるな、っていう実感が分かりました。大学院にも行ったんですが、大学院では物理の論文を毎週、英文で読んでいました。これもだいたい単語は分かっているので、英語を「読む」方については、だいぶ自信が付いていました。

でも英語を聞いたりしゃべったりするのはまったくダメで、大学院に外国から研究者が来るような時、大学教授や助教授は英語でペラペラしゃべっているのに、院生の自分はしーんとしてまったく話がわからない、というような状態でした。それで、教員になってからは英語と完全に離れましたので、結局40歳ごろまで何もなかったです。

英語へのモチベーションについて言えば、たまたま30代後半に定時制高校に職場が変わりました。本にも書きましたが、年5回の定期考査の時に休暇をとって、自分ひとりで名古屋市内の高級ホテルに滞在して、ラウンジでコーヒーを飲んだりしていました。

そこには外国人がいたり、中には英語をしゃべっている日本人もいて「これは英語をやっておいた方がいいんじゃないか」と思いました。英語で外国人とペラペラしゃべっている日本人を見て、ちょっとかっこいいなと。

でも英語ができたらいいなというような憧れはあったんですけど、まだホテルに滞在してもJapan Timesを辞書引っ張りながら読むような、「読む」方ばっかりだったんですよね。

R:多くの方の英語力は「読む」に偏っていると思うんですが、まさしく舟橋さんもそうだったわけですね。

F:転機としては、42歳の時にカナダを大好きになって、そこが最大の英語へのモチベーションのはじまりでした。熱中しやすい性格ですから、いきなりバンクーバーに恋をしてしまって。

とにかくバンクーバーに住もう、と決めたのですが、全然英語がしゃべれないので、どうしようもできないという(笑)。それで、カナダから帰ってきてから英会話学校に入って英語の勉強をはじめました。

これは本には書かなかったんですけど、もうひとつは資産運用です。当時はドル円相場が1ドル90円くらい、カナダドルは1ドル60円ぐらいだったかな。

だから、ナイアガラフォールにあるスカイロンタワーで素晴らしいディナーをとっても、日本円でコース料理が千数百円です。当時の日本っていうのは、世界一物価の高い国だったんですよね。当時の日本人の平均給与は、アメリカの2倍もあったんですよ。

「なんだ、日本ってこんなに豊かなのか」と。だから、自分が貯めたお金を外貨に換えて海外に行けば、何倍もいい思いができるということで、その当時、大橋巨泉さんのライフスタイルに憧れました。春や秋は日本にいて、冬はニュージーランドやオーストラリア、夏はカナダと。あれを私は本気でやろうと思いました。

妻も働いていましたので、30代の前半で買ったマイホームのローンが40代前半に終わったので、昔から憧れていたカナダに思い切って家族旅行したんですね。それをきっかけに、「早期退職してカナダに住もう」という自分の明確なビジョンを、もうその場で作ったんです。

R:53歳でアーリーリタイアされるより全然前の話ですよね。ちょっと唐突な感じがしたんですが、そのときに、将来的にそういう風にしたいという具体的なビジョンがあったんですか?

F:もう一気に燃える人間なもんだから(笑)。私は教員をずっとやりたくはなかったんですよ。妻は小学校の教員でしたが、彼女は教育大好き人間で、私とは反対にずっと教員をやっていたいと。そこで私は資産運用をやって、アーリーリタイアメントして専業主夫になると。

その将来ビジョンで私が退職すると決めた53歳というのは、下の娘が高校を卒業する年だったんです。高校を卒業する時まではきちっと同居して、子どもの面倒を見る。娘が高校を卒業する時が私が開放される時だと。

(続き)40代で自ら仕掛けた人生の転機 – 英語は世界を開く!(2)

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