前回は前振りだけで終わってしまったので、今回は1985年に発売されるやいなや、瞬間的に売り切れてしまった(希望者が殺到したために抽選会が行われた)、新宿ワシントンホテル新館の客室分譲について、データをまとめておきます。
参考文献は1986年6月の「月刊不動産流通」(不動産流通研究所)、掲載記事名は「新宿ワシントンホテルにみる投資効果と投資家の実像」です。
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共有持分権
新宿ワシントンホテル新館は337室あるビジネスホテルですが、そのうちの207室が投資商品として分譲されました。分譲対象は207室とそれに接する廊下などで、それら全体の207分の1の共有持分権を1口として、103口が一般販売されました。
売主は「タウン開発」という会社で、オーナーは持分を藤田観光系の「ワシントンコンドミニアム」に賃貸し、それが「新宿ワシントンホテル」に運営委託されました(会社名をかっこ書きとしている)。
分譲価格は1口3,500万円でした。1口あたりの持分は、建物専有部分21.51平米、建物共有部分10.54平米、土地3.46平米でした。配当賃料は売上室料実績の43%で、うち3%は修繕積立金として控除されました。
人気化した理由
参考文献の筆者は、この商品が人気を博した理由として、1)ホテル計画として信頼性があった、2)個人の節税ニーズにマッチした、という2点を挙げています。
実際に購入者のアンケートを見ると、購入動機のベスト3は、「節税」「資産の買換」「相続税対策」であったと記事には書かれています。
表面利回りは当時としては低い4%程度で、収益性で人気化したものではありませんでした。もちろん、セカンドマーケットなどは存在しません(そのため、買取保証が付いて販売された)。オーナーがその後、この不動産投資をどうイグジットしたかには興味がありますが、キャピタルゲイン狙いでもなかったでしょう。
会員権風味の付帯サービス
また、これは別の資料から知ったことですが、リゾートクラブの先駆者でもある藤田観光の投資案件でしたので、リゾート会員権風味のメリットも備えていました。
・購入ホテルに特別料金で宿泊できる。例えば、デラックスツインルームは半額
・ホテルのメインダイニングに年2回ご招待
・ホテルバーの正会員特典。オーナーは500円でアルコールも含めてフリー
・一般の「藤田ファミリークラブ」の特典(各種ホテルチェーンの優待割引など)
もちろん、こうしたメリットに魅力を感じてホテルオーナーになった人はさほどいないと思いますが。
40年後のいま
この投資商品が、40年後の現在にどうなっているのかは調べていません。ですが、ホテル分譲が「ホテルコンドミニアム」として近ごろ話題になってきているのは皆さんもご承知のことと思います。
今は東京で新規のホテル小口分譲などできませんから、必然的にリゾート物件になります。そんなホテルコンド市場の主役である東急リゾートは、どのようなセールスをしているのでしょう。
(参考)相続税対策をリゾート不動産で。ホテルコンドミニアムの節税効果と推奨物件をご紹介 | リゾートSTYLE
(参考)「沖縄」「リノベーション」「ホテルコンドミニアム」が解決する節税対策|東急リゾート
こちらを見ると、「節税」「相続対策」といった40年前の主目的が、今も健在のようです。
昔も今も、減価償却が大きく取れる方が節税になるのでよい投資対象である、という考え方があり、その結果、現在ではそれを前面に出して築古ホテルの区分所有権販売が行われています。ちょっとこれは問題だなぁと、個人的には思っています。
明暗
最後に、なぜこんなリゾート会員権に関係ない話をするのか、とまだお思いの方に、個人的な思い出も含めて1枚の写真をご覧に入れてこの話を終わりにします。
これは、Googleストリートビューからキャプチャした、2014年の新宿です。
左に見えるのが、今回取り上げた新宿ワシントンホテル新館の建物裏口です。表玄関である本館から入ってホテルの中を通ってこの裏路地に出ることができ、裏口の向かいには当時、早稲田アカデミーの「WAC校」という、難関中学受験に特化した校舎がありました。
かつてお受験パパであった僕は、幾度もこの校舎を訪れたことがあります。僕と同じようなご父兄が、このワシントンホテル新館の通路で、授業や模擬試験を終えた子どもたちを迎えたものでした。
そしてもうマニアの方はお気づきでしょう。その早稲アカの手前、自動販売機が並んだタイル張りの建物こそ、現在は半ば廃墟化しているサンメンバーズ東京新宿(179室)です。1982年12月開業のこのホテルは、コロナ禍で営業を休止せざるを得なくなり、2022年3月に閉館しました。40年持ちませんでした。
それほど違わない資金調達方法で、同じような場所で同じような時期に建設され、40年後にどうしてこんなに違いが出てしまったのか。その考察については、稿を改めることにいたしましょう。