現代医療への疑問(ファミリーヒストリー 1)

「funasanのアンチエイジング日記」は、トラベルライターの舟橋栄二さんによる連載企画です。舟橋さんが取り組まれている健康にまつわる学習と実践について、同時進行でご報告いただきます。舟橋さんは2022年に70歳を迎えられ、いかに健康寿命を延ばすかが、目下、最大のテーマだと言います。この連載では、皆さんとともに「旅と健康」について考えていきます。(編集担当:resortboy)

何か体調不良になった時、早めに病院で見てもらい、そして治してもらう。これが普通の人の常識でしょう。私も以前はそうでした。しかし、70歳になった今、この常識が大きく崩れてきています。

果たして病院や医者、そして現代の西洋医学を無条件に信用していいのか?という、大きなテーマに突き当たっています。

病院や医者に頼らず、自分で体調不良や「死」に立ち向かうにはそれなりに準備が要ります。特に、死ぬまで若い「不老長寿」を目指すなら、現代の病院・医者・薬とどう向き合うのか? 現代医療についての自分なりの見識を持つ必要があります。

この話を深堀りするために、どうしても私の家族の苦しい闘病生活をお話しなければなりません。これから3週連続で私のファミリーヒストリーを書きます。

まず、私の父です。父の死は悲惨でした。

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高齢の父(当時79歳)は、体が弱り、だんだん食欲がなくなっていきました。次第に、外出はめったにせず、昼間から部屋で寝ていることが多くなりました。

心配した家族(私を含めて)は、父を病院へ連れていきました。ここから悲劇がはじまりました。

検査・検査の連続で、ただでさえ弱っている父の衰弱は、いっそう増しました。もともと肺が悪かった父は、肺の気管支内視鏡検査を受け、長時間の苦しい検査で憔悴しきってしまいました。

検査後の父のやつれた顔を見た時、私は正直、父を病院に連れてきたことを後悔しました。

そして、検査結果は肺がんでした。

当然の結果だと私は思いました。なぜなら、父は若い時からタバコを吸い続け肺気腫になっていたからです。そこに肺がんが重なった。

治療方法を検討しようとする間もなく、父は院内感染にかかり、呼吸困難に陥りました。主治医から緊急連絡を受け、病院に駆け付けた私たち家族は、重大な決断を迫られたのでした。

「このままでは直ぐにダメ(死亡)になります。人口呼吸器を付けますか?」と。

何ら準備も知識もなかった家族は、ただ「お願いします」と答えるしかありませんでした。そして、取り返しのつかない事態に進むことになるのです。

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人工呼吸器を付けても父の状態は日に日に悪化し、苦しみが増すだけ。それでも意識はしっかりしており、筆談で家族に「この呼吸器、いつ取れる?」と聞いてきました。

今、人工呼吸器を外したら父は死ぬ。それは殺人になる。医者も家族も分かっているので「外そう!」とは誰も言わないし、言えない。見守ることしかできなかった私たち家族は、とても苦しかったです。

全く希望のない状態の中、父の苦しみはますます増え、最後は多臓器不全で亡くなりました。全身に点滴のチューブや人工呼吸器という計器を埋め込まれ、顔をパンパンに腫らされ、亡くなるまで半年も苦しみ続けました。

若い主治医は言いました。「半年間延命できました」と。

人生最後の荘厳なイベントである「死」をこんな拷問で迎えていいものか? 私は心から疑問に思いました。「これは間違っている」と。

家族の無知が招いた悲劇でした。父を病院に連れて行かなかったら、恐らく数カ月で亡くなったでしょう。自然に衰弱し、恐らくは自宅で穏やかな死を迎えられたのではないでしょうか。

(続き)第4回・現代医療への疑問(ファミリーヒストリー 2)
(前回)第2回・老化による体調不良は病気でしょうか?

8 comments

  1. 壮絶な死を経験し・・・あちらに帰られたお父様ことがあってのことだったんですね。
    お父様のことがあって今のfunasan-sanが、いらっしゃるのでしょう。お父様の最期のお姿はご家族に死とは・・・病とは・・・と考えるよう残されたメッセージだったのではないでしょうか。自分の病と闘う姿を見せて逝かれたお父様のお心とfunasan-sanの思いが伝わってじ-んときました。

  2. 父の死は今から30年くらい前のことでした。老人が少なく日本が勢いがあった1990年代です。病院・医者を全面的に信頼し、自宅で最期を迎えるのではなく、病院で死ぬ、という流れになっていました。父の死から本当に多くのことを学びました。苦しんだ父に感謝です。

  3. 私の父はすい臓がんで6年前に亡くなりました。80歳です。ヘビースモーカーでした。
    funasan-sanと時代の違いはありますが、あまり状況は変わっていない気がします。同じく終盤、呼吸器の話がありましたが、断りました。「自然にお願いします。痛みだけはとってあげてください」と。それまでいろいろ医療について関心がありましたので家族と相談のうえ、その判断となりました。医師もその時、うなづいていたのを覚えています。
    病院は治療を行うところなので、状態が悪くなればなるほど、治療を行おうとします。医師からは何となく、言葉には出さないサインが出ていた気がします。
    母から聞いた話ですが、近所の100歳超えのおばあさんが晴れの日、縁側でうとうとしていたのですが、娘さんが呼吸をしていないことに気が付き、救急車を呼びました。病院で蘇生されて戻られたのですが、想像するに、つらかっただろうと思いました。たぶん娘さんが気が付かれなかったらそのまま、安らかになくなられていたのではとも思いますが、気が付いたら私も救急車を呼んでしまします。
    常日頃から、家族との会話が大切に感じています。長文失礼しました。

  4. うららさん、心にこもるコメント、ありがとうございました。30年前にもどることができたら、私もうららさんと同じようにするでしょうね。

    最近では在宅による緩和ケアが進んできていますので、これを利用すれば「自宅で安らかな最期を迎える」ことが以前より負担なくできそうです。

    しかし、超高齢な(90歳~?)親の場合はともかく、まだ若い(70歳~)自分の場合はどうするのか?という大問題が出てきます。誰だって死にたくないので、ヤバくなった時、病院に頼ります。病院は救いです。

    でも、病院で治ればいいですが、治らない場合もでてきますね。いつまで治療を続けるのか?いつ治療をやめ、緩和ケアに移行するのか?うららさんが書かれているように「常日頃から、家族との会話が大切」ですね。

    蛇足ですが、Kさん、うららさん、そして、皆様、私を「funasan-san」と呼ぶのは面倒なので、今後は「funasan」で十分です。よろしくお願いします。

  5. 私は9年前に父を肺がんで亡くしました。
    大学を卒業して社会人になり、さぁこれから親孝行するぞと思っていたので今でも無念でなりません。
    肺がん自体は数年前に発覚しており、手術と化学療法をおこなっていたのですが、運悪く再発となってしまいました。手術で摘出不可、化学療法も効果がなく、今後どうするか家族で色々悩んだ末、父の意向を尊重し、チューブ類を一切通さず酸素ボンベのみで自宅で療養することになりました。母と姉との3人交代で看病したことは今でも覚えています。当時仕事も忙しく家に帰ってからは父の看病と休む暇がなく正直辛かったです。しかしながら毎日マッサージをしたり、昔話をしたりと父との最期の時間は今の私にとって大きな宝物です。
    今では二児の父親として、父から受けた愛情以上のものを子供に与えようと日々仕事に家事に専念しておひます。最近、親への感謝、子供への奉仕の心を忘れかけていた時にこの記事を拝読し、自分のすべきことを再認識することができました。
    感謝申し上げます。
    長々と失礼しました。

  6. たかすぬさん、心にググっとくるお話ありがとうございました。
    察するに、ガンが再発し「治療不可」と医者から宣告された当時のお父様は、まだ、それほど高齢ではなかったのでは?「父の意向を尊重し」とありますが、よく、お父様は決断されましたね。70歳になっても私はまだ命に未練があり、「潔く死ぬ覚悟」はありません。
    また、このとてつもなく深くて暗い話題をお父様と一緒に家族でしっかり話ができた、たかすぬさんご一家は素晴らしいですね。しかも、家族全員の必死のサポートで、自宅でお父様の最期を看取ったと。とても真似できそうもありません。ありがとうございました。

  7. 今月に入ってから父を亡くしました。
    色々な条件が重なった結果ではありましたが、最期は先生より自宅療養を勧めて頂けました。
    体力があるうちに自宅に帰ったほうが良いという判断でした。
    葬式も終わり、今ではその判断にとても感謝しています。

    コロナ禍により面会が出来ない事。在宅医療が充実してきた事で、医師も勧めやすくなっているようです。

    ただ、父本人が延命治療を望まず、覚悟をした上で話をしてくれたことが最も大きかったと思い返しています。
    今まさに片付けに追われていますが、遺言のようなエクセルデータに全てが纏めてあり、最終判断は一任するという締めに涙がとまりませんでした。

    今回は、相続手続きを調べている最中に記事を発見をし、ついつい読み込んでしまいました。
    誰もが最期に必ず迎える重大問題であり、自分自身、更には大切な人のためにも時間を割くべき話なのだと再認識する機会になり、目標であった父の人物像を、もうちょっと、少し細かくイメージすることも出来たと思います。
    ありがとうございました。

  8. rsさん、貴重なお話、ありがとうございました。それにしても時代は変わってきましたね。お医者様より「最期は自宅療養」を勧めてくれるとは‥。また、在宅医療の充実も大きいですね。

    でも、一番大事なことは、「お父様本人が延命治療を望まず、覚悟をした上で」家族に話されたことですね。さらに、エクセルに遺言をしたためるとは‥。立派なお父様です。お父様の希望に沿って(病院まかせにせず)在宅死を引き受けたrsさんのご家族も素晴らしいです。家族の結束がなければできません。

    rsさんのご指摘の通り、死の問題は「誰もが最期に必ず迎える重大問題であり、自分自身、更には大切な人のためにも時間を割くべき話」ですね。若かったり、健康だったりすると「死の問題」は全く関係なく、どこかに飛んでってしまっています。そして、突然、自分や家族が、「死」に直面した時、動揺し、混乱する。

    funasanのアンチエイジング日記を書きながら、ふと思いました。どうやらこの日記は「自分の最期」を作り上げる日記だ、と。極めて個人的な日記ですが、死なない人はいないので、この日記が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。

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