がん難民の私が希望を見出せた理由

「funasanのアンチエイジング日記」は、トラベルライターの舟橋栄二さんによる連載企画です。舟橋さんが取り組まれている健康にまつわる学習と実践について、同時進行でご報告いただきます。舟橋さんは2022年に70歳を迎えられ、いかに健康寿命を延ばすかが、目下、最大のテーマだと言います。この連載では、皆さんとともに「旅と健康」について考えていきます。(編集担当:resortboy)

2008年3月4日、愛知県がんセンターで2回目の手術を受けました。全身麻酔での手術でしたが、何の問題もなく、無事に終わりました。主治医をはじめ、病院のスタッフの方々に感謝です。しかし手術の後遺症は、1回目に比べると比較にならないくらい厳しいものでした。

がんは転移していた

首にメスを入れ、広範囲にリンパ節を切除したので神経もズタズタです。手術後1週間で退院しましたが、首が回りません。少しでも首を動かせば激痛が走ります。腕を上げようとするとやはり激痛が走ります。しばらくは車の運転もできず、家でじっとしているだけでした 1

左右両方の甲状腺と左右両側の首のリンパ節を切除した母の大手術の後の苦しさは、どんなものだったのか? 何事も自分が体験してはじめて、その困難さがわかるものです。

私の手術は、首のリンパ節にそら豆大に成長した甲状腺がん2カ所と、それに続く右頸部のリンパ節29カ所の切除でした。これでがんが一掃されればよかったのですが、手術後1か月の検診で、主治医から衝撃の話を聞きました。

「病理解剖の結果、切除した29カ所のリンパ節のうち、8カ所にがんの転移がありました」

最初の手術から1年半。CTに写らなかった首の小さながんはそら豆大に成長し、さらに、広範囲のリンパ節にがんは転移していました。

リンパ液は血液と同様にリンパ管によって全身に流れ、リンパ節は全身に分布しています。がんがリンパ節に転移し、壮絶ながん死を遂げた兄の姿が浮かびます。

私も「がん難民」に

主治医の説明は続きました。「今度、左の甲状腺やリンパ節に転移したら切りましょう。肺に転移したらアイソトープ治療(放射性ヨウ素内用療法)をしましょう」

私は質問しました。「先生、転移しない方法はありますか?」 主治医からは何も答えはありませんでした。

当時、甲状腺治療の標準治療に、抗がん剤はありませんでした。結果的にこれが幸いしました。抗がん剤治療をするかしないか迷わなくてよかったからです。

しかし、主治医の説明を聞きながら、私は暗たんたる気持ちになりました。私のがんは全く治っていなかったのです。

一般的に、転移・再発してしまったがんの根治は現代医学では難しい。ここから「がん難民」という言葉が出てきました。

手術や抗がん剤・放射線など、今までの標準治療では打つ手がなくなった患者が(病院や医者から見放され?または見放して?)、さまざまな治療方法を求めてさまよう姿を表現した言葉なのでしょう。

私の場合、まだまだ打つ手は残っていました。しかし私は疑問に思いました。残った甲状腺や首のリンパ節に転移したら切り取り、肺に転移したら放射線で焼く。このような自分の身を切り刻んでいく治療が果たして治療と言えるのか?

完治の見通しがない、という意味で私もがん難民となりました。

本当のことを知りたい

私は大学で理論物理学を学んだこともあり、現代科学や医学を信頼していました。今でも基本的に信頼しています。

そこで、まずは自分のがんの「本当のこと」を知りたいと思い、頭頚部(甲状腺悪性腫瘍)の治療に関する医学書を購入して、関連部分を熟読しました。がんセンターのドクターレベルの知識を得たかったからです。

専門書によると、甲状腺乳頭がんは進行が非常に遅く、手術の予後は一般的に良好だということです。

がんの進行度としては、甲状腺内にとどまっていればI期、首のリンパ節等に転移があればII期、咽頭、気管、食道、反回神経に浸潤している場合はIII期、そして、遠隔転移があればIV期となります。

ただ、年齢によって予後が大きく変化し、55歳が病期分類の境となっています。55歳未満で遠隔転移がなければ全てI期で、遠隔転移があってもII期です。III期、IV期はありません。

つまり、若い人の甲状腺乳頭がんの死亡リスクはほとんどゼロです。それが55歳以上になるとリスクが増大し、III期、IV期へとステージが進みます。

微妙ですね。私は54歳の時に1回目の手術を受け、56歳の時に2回目の手術を受けました。まさに病期分類の境の年齢だったわけです。しかし、首のリンパ節に多数の転移があったので、病期分類 2 ではⅡ期です。

ある専門書を読んでいたら、「甲状腺がんの首のリンパ節への転移は頻繁に生じるが、悪性度は高くなく、リンパ節への転移が生存因子にはならない」とありました。この一文を見つけた時はうれしかったですね。救われた感じがしました。

専門書で得た心の平静

「リンパ節への転移からみると1年生存率は50%」 主治医からのこの言葉に兄は衝撃を受け、抗がん剤治療に邁進しました。兄のがん死はリンパ節転移が生死の境になったからです。

専門書を読むことによってこの恐怖が消えていきました。このことはものすごく大きいです。

ただし、肺や骨などへの遠隔転移が生じるとステージは一気にIV期になり、リスクが増大します。もっと怖いことも書いてありました。甲状腺がんの性質が突然変わって「未分化がん」に転化することもあるそうです。

この未分化がんは他の臓器のあらゆるがんと比較しても非常に進行が早く、診断から1年以上の生存率は20%以下という危険ながんらしい。しかも、発生は高齢の60歳以上の男性に多い。まさに私は当確です。決して安心できません。やはり何としてもこれ以上の転移を防がねば…。

私のがんは母と全く同じ「甲状腺乳頭がん」で、リンパ節転移も同じです。近い将来、反対側の甲状腺や首のリンパ節に転移し、そして、最後には肺に転移するでしょう。これはもう遺伝子が同じなので、同じ運命をたどるでしょう。

しかし、仮に肺に転移しても、転移した甲状腺がんが肺胞を破って出血するような悪さはしないようです。がん細胞が単純に増えるだけで、母は10年間も肺転移のまま普通の生活ができました。肺炎さえ気をつければ天寿をまっとうできたかもしれません。

私は、甲状腺がんとは共存の可能性があると考えました。人間の肺の容量は大きく、肺の中にがんがたくさんできていても、そのがんの進行が遅く、周囲の細胞に悪さをしなければ、正常細胞が立派に働いて呼吸できます。

このように、専門書の知見と母の事例を合わせると、少し未来が明るくなってきました。現在のところ、私のがんが急激に悪化して「余命〇カ月」となる可能性は少ないです。急ぐ必要はないので、じっくりがん対策・がん治療ができます。

時間の余裕と心の安心感を得たのは大きい。がん難民になっても、科学的根拠は大事です。

参考文献

頭頸部がんマスターガイド:患者さんと向き合う治療、患者さんと向き合う看護のためのアプローチ

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(続き)第9回・心身を癒やした手術後のエクシブステイ
(前回)第7回・人生を変えたコスメル島への旅


  1. (編集部注)タイトル部分の画像はイメージであり、本文と直接関係ありません。 ↩︎

  2. TNM分類(UICC第8版)より ↩︎

2 comments

  1. 大変な闘病をなさっていたのですね〜。

    よくぞご無事で何よりです。
    また旅先の何処かでお会いいたしましょう。

  2. いまだにしぶとく生きています。
    今、沖縄のビーチ沿いのホテルにいます。
    青い海を眺めながらfunasan日記を書いていますが、気分が盛り上がってきます。
    旅をすると生きる意欲が湧いてきますね。
    funasan日記は当分続きますので、ご愛読よろしくお願いします。

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