2回目のがんの手術をした当時の私はまだ56歳と若く、自分が死ぬなんてことは考えられませんでした。せっかく早期退職して自由の身になっていたので、一刻も早く旅に出たいと思いました。でも、首や肩が痛くてどうにもなりません。
手術後の私は、痛み軽減のために毎日お風呂に入りました。ときにはスーパー銭湯などの温浴施設にも行きました。首まで湯舟につかり、汗が出てくるまでお湯に入っていると、痛みが軽くなります。
手術後のエクシブ白浜4泊5日
手術から3カ月後、首の激痛が少し和らいできたので、ひとりで長期の旅に出ることができました。ひとり旅の目的地に選んだのは、美しいビーチと温泉がある「南紀白浜」、宿泊はもちろんエクシブ白浜です。
いつもは車でエクシブに出かけるのですが、今回は首が痛くて長時間の運転は無理です。名古屋から新幹線と特急に乗って白浜に向かいました。列車の旅はとても快適で、車窓を楽しみ、駅弁を食べ、眠くなれば仮眠をします。
そして読書です。がん治療関係の本を数冊持ってきました。自分自身が転移がんになり「がん難民」になってみると、書店にあるがん闘病記がリアリティを持って迫ってきます。読書に熱が入ります。
エクシブ白浜では本館Aグレード洋室限定の「シングルプラン」を利用して、4連泊しました。1泊2食は12,000円(税サ込)でした。
私にとってこの旅は、がん手術で傷んだ心と身体を取り戻すための「心身の癒しと思索の旅」となりました。このときの旅行記がこちらにあります。
(フォートラベル)『エクシブ白浜(施設編)』
エクシブでのセルフリハビリテーション
旅先でも、がんの現実は容赦なく襲ってきます。朝、目覚めれば、起き上がろうとするだけで首に激痛が走ります。顔を洗うのも一苦労です。痛みを避けるために右手は使わず、左手だけで顔を洗い、歯磨きをします。
次は朝風呂。温泉で血行を良くして、傷の痛みを和らげます。以前の楽しさ満載のエクシブとは、まるで世界が違います。
朝食はラウンジでのコンチネンタルブレックファストでした。幸い、兄のように抗がん剤治療をしているわけではないので、食欲は旺盛です。首の痛みを除けば、何の問題もなく、心身ともにいたって健康。食後のコーヒーを飲んでいると、旅に出られる喜び、生きている喜びがつくづく感じられました。
滞在中は、エクシブ白浜本館の地下1階にある「ジェネシス」が、私のトレーニング場となりました。幸い、首や肩を動かさなければ痛くはありません。
手術後の3カ月は自宅にこもっていましたので運動不足です。まずはトレッドミルの上で歩きます。次に、本を持ってエアロバイクに乗り、ペダルをこぎます。
がん治療関係の本を読みながらの自転車こぎで、学習と運動の両立を目指します。30分もすると額から汗が流れてきて、気分がハイになります。
また、このエクシブ白浜には驚くほどきれいな室内温水プールがあり、水中歩行やバタ足で泳いでもみました。そしてトレーニングの最後は再び温泉です。
こんな風にエクシブに滞在しながら、毎日エンドレスで温泉療養を行いました。
白浜観光と夜のグルメ
天気の良い日にはレンタカーを借りて、南紀白浜の「白良浜(しららはま)」に行ってみました。白浜の名の由来になったという美しい白砂のビーチには感激しました。
ビーチに立ってみると磯の香り。ひんやりとした海水が心地良く感じます。私は水着に着替えて泳いでみました。手は使えません。バタ足だけでゆっくり進みます。
プールと違って海の水はしょっぱくてカリブ海を思い出します。海水は驚くほど透明で海底までよく見えます。コスメルの海で出会ったキリスト像・マリア像が目に浮かびます。来年、本当にコスメルまで行けるのだろうか? そんなことを考えながら泳ぎました。
この時の旅行記はこちらにあります。
(フォートラベル)『エクシブ白浜(周辺観光編)』
エクシブに戻れば、お待ちかねの夕食です。プランの夕食は6,000円相当のコースでした。当時のエクシブ白浜は平日でも全レストランが営業しており、私は毎夜、レストランを変えて楽しみました。
1日目は「海幸」でモダン新和食。2日目は「ラ・ペール」でフランス料理、3日目は再び海幸で天婦羅会席、4日目は「シノワーズ・ヴィヴィエ」で海鮮中華です。どのレストランの料理も素晴らしく、とても満足のいく毎日となりました。
首が痛くても食欲は旺盛です。毎夜の豪華なディナーがとても楽しみでした。6月の平日の夜です。お客は少なくスタッフと軽くお喋りしながらのコース料理は本当に楽しいものでした。
この時のグルメ旅行記はこちらにあります。
(フォートラベル)『エクシブ白浜(グルメ編)』
こうして、わずか4泊5日の旅ではありましたが、人生に旅を取り戻す第一歩を成功させました。
これからどうやってがん治療をするのか?
兄の抗がん剤治療は悲惨でした。抗がん剤は胃腸を直撃し、がん細胞も正常細胞も無差別に破壊してしまいます。兄は極度の食欲不振、嘔吐、下痢に悩まされました。しかも、それがずっと続くのです。
人間にとって「食べる喜び」は本能であり、これを奪われたら日々の生活はどうなるのでしょう? 兄は頭痛もひどかったようです。口内炎も頻繁に起きました。生活の質が極度に落ち、生きる意欲さえ奪われていきます。
これらの苦しみがあっても、ある期間だけ耐えれば「必ず病気が治る」のであれば、トライしてもいいでしょう。しかし、現代のがん治療では何ら治る保証はありません。私は、少なくともがん治療での抗がん剤は「No, thank you」です。
しかし現実問題として、がん難民の私としては、「これからどうやってがん治療をするのか?」という問いに、答えを見つけなければなりません。
エクシブでも医学書を読み進めていた私は、この旅から戻るとさっそく、大型書店巡りを敢行しました。がん治療の答えを探して、私は次々と本を購入し、読書三昧の日々を送りました。
そして末期がんで医者から見放された患者たちが、続々と「生還」する姿を描いた書籍に、多数出会うことになりました。
次回は、私が出会ったそれらの書籍についてと、そこから私が受けた影響についてお話ししたいと思います。
(続き)第10回・民間療法に魅せられた私の本音
(前回)第8回・がん難民の私が希望を見出せた理由