サンメンバーズ名古屋錦に見るリゾートトラストの源流

ホテルトラスティに関連して、今日は、かつてサンメンバーズのシティホテルとして営業していた「サンメンバーズ名古屋錦」を紹介します。このホテルはコロナ禍の中、2022年3月31日で閉館しました(サンメンバーズ東京新宿と同時)。このタイミングは、トラスティ売却に伴う他の各館閉館と同時でした。

雑居ビルの中に

ホテルが開業したのは1979年4月11日です。サンメンバーズの最初のホテルである、サンメンバーズひるがのが開業してからおよそ4年半後のことでした。まだリゾーピアはなく、もちろんエクシブもありません。

サンメンバーズのシティホテルとして開業しますが、一般ホテルである「サンホテル名古屋」の中に会員制ホテルがある、という形式が取られました(その後、サンホテル名古屋錦に改名)。横浜ベイコート倶楽部のような併存型ではなく、外見的には「居候型」、現在の東急ハーヴェストクラブの「RESERVE」タイプのように見える形態でした。

そのため、表看板はサンメンバーズではなくサンホテル名古屋であり、今もその看板は掲げられ続けています。

しかし、このホテルは会員制として分譲されており、居候などではなく、持ち主が会員である、いわゆる「オーナーズホテル」でした。

このホテルを使って販売されたのは、共有制(不動産の区分所有権が登記される)の後期サンメンバーズである「オーナーズクラブ」と「エグゼクティブクラブ」です。それを示すエンブレムが、ホテル入口の上に、今も誇らしげに飾られています。

一流の立地なのに

ここまででも相当複雑で、話すのもいやになってきますが、話はさらに複雑です。写真を見て既にお気づきと思いますが、この建物は単純なホテル建築ではありません。

ホテルとしての開業は4月でしたが、それに先立つ3月8日、主に水商売のお店が入居する雑居ビルとして、このビルは「ABCビル北館」として開業します。つまり外から見ると、水商売ビルであるABCホテル北館の上階にサンホテル名古屋が入居しており、さらにそこにサンメンバーズ施設が間借りしている。まるでそんな風に見えるものでした。

ホテルは閉業したものの、水商売のお店が入居する雑居ビルとしての営業は継続しています。ここは名古屋随一の歓楽街「錦三」のど真ん中であり、この地に立つ雑居ビルとして築45年というのは、取り立てて古いというわけではありません。

名古屋随一の超一等地であるにも関わらず、サンメンバーズ会員の不動産登記が残っているので、再投資によるリニューアルは困難でした。建物の大部分を占めるかつてのホテルはそのまま放置され、活用されていません。リゾートトラストとしては単にこのホテルをやめたかっただけなのでしょうが、会員の権利・義務は、今後どうなっていくのでしょう。

ガラ権遺産

前回ご紹介した「ホテルトラスティ名古屋白川」、すなわち「ヴィア白川」よりもむしろ、このサンホテル名古屋は、リゾートトラストのビジネスの源流を今に示していることに加えて、現在あらわになってきた小口分譲型会員権の矛盾も含めて、さまざまな同社ビジネスの背景が凝縮されている、稀有な「ガラ権遺産」です。もう宿泊することはできませんが、ぜひ、今のうちに訪れてみてほしいと思います。

では、なぜこんなふしぎな建物が作られ、そこに共有制のガラ権が設定され、さらに先にそのホテルだけが閉業し、名古屋の超一等地の中で放置されることになったのでしょうか。

この建物は「北館」と称していますが、先に右隣に立つ「ABCビル」があったのです。ABCというのは株式会社ABC事務機という会社で、北館はそのABCビルの駐車場があった場所でした。

そしてこの北館を建てるとき、そのABC事務機が宝塚エンタープライズ(現在のリゾートトラスト)と組んで、共同で地下2階、地上7階のABCビル北館を建設することになりました。宝塚エンタープライズはその資金調達をリゾート会員権方式で集めることにし、サンメンバーズオーナーズクラブとサンメンバーズエグゼクティブとして販売されたのでした。

宝塚観光

サンホテル名古屋はこのビルの3階から7階にあり、フロントは最上階の7階にありました。客室数は、日本ホテル年鑑1980年版には77室とありますが、別の雑誌には78室という記載もあり、さらに一般貸しをしないメンバー専用の特別室(和洋室)もあったようです。ここでは約80室、としておきたいと思います。

その日本ホテル年間のサンホテル名古屋の項を、一部、以下に引用します。

ここには経営会社である宝塚エンタープライズの会社情報が掲載されており、当時の大株主もわかります。

安田火災、名鉄百貨店、伊奈製陶(INAX、LIXILの前身の1つ)、中部リース、ニッカウヰスキー、ツバメ自動車(名古屋のタクシー会社「つばめ自動車」)、大日本土木(岐阜の中堅ゼネコン)、宝塚観光。これらの企業が大株主として記載されています。

この宝塚観光というのが現在の宝塚コーポレーションであり、創業者の家業です(実際には複数の会社が合併などで統合されている形)。もっと言えば、現在のリゾートトラストの源流となる企業です。

宝塚観光がどのように生まれ、どのような事業を行っていたかは、今後、取材結果をご紹介して行く予定です。

4 comments

  1. resort boy様

    いつも楽しく、興味深く拝見しております。

    リゾートトラストの創業当時のお話はとても気になります。
    宝塚観光という会社もあったのですね。

    宝塚不動産や創業者お二人のお話しなど今後も楽しみにしております。

  2. 先日、サンメンバーズシティホテル券でリゾートホテルに泊まれるようになるとお達しがありました。シティホテルが無くなりさらにトラステイが減り、シティホテル券の利用先が無くなってきたからでしょう

  3. Yさん、MASAさん、コメントをありがとうございます。夏休みは名古屋を拠点にいろいろと取材活動をしてきまして、この場所も再訪してきました。

    名古屋錦のど真ん中、超一流の立地において、分譲された不動産が活かされずに放置されているのは異常としか言えず、小口分譲型ホテル会員権というものの末路を示しています。

    また、サンメンバーズのシティ券がリゾート券と同様に使えるというのでしたら、ちょっと理屈が通らない話のようにも思われますが、サロン会員権が終了したので、シティ会員権もそろそろ終わるということなのでしょうね。

    こちらは1981年の広告です(画像出典:宝塚エンタープライズ)。

  4. サンメンバーズオーナーズクラブ東京新宿の買取価格に呆れますね。安く仕入れた高く売ろうとする気満々ですね。利益相反で捕まるかもね。他のホテル会員も多分同じ扱いかね。訴訟も多くなるよね。ほんとにダメな経営陣。

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