究極のガラ権、実録アクシオン物語 – 軽井沢編

「会員制ホテル今昔物語」は、35年に渡ってリゾート会員権についてウォッチされているzukisansuさんによる連載です。日本で独自の発展を遂げたリゾート会員権、すなわち「ガラ権」の歴史をたどることで、日本的文化とは何か、日本人とは何かを、過去に学び未来を見通す―そんな奥行きのある連載として、僕から特別にお願いし、zukisansuさんにしか語れないこのテーマでご執筆いただく運びとなりました。どうぞご期待ください。(企画・制作:resortboy)

(前回からの続き)福島の奥地のド田舎スキーリゾートにできた豪華リゾートホテル「ホテルアクシオン会津高原」は、時間がかかったものの、1991年後半の開業時までには全888口を完売。当時のガラ権ファンの間では、アクシオンの名前も多少耳にするように成長しました。

当時、館山の成功を受け、「アクシオン物語」と題した立派なパンフレットが、セールスツールとして会員権の売り出しごとに作成されました。

その「会津高原編」の表紙をめくると、プロローグから始まり、最終ページでは開発元である日本サン・ランドの代表、赤塩裕氏が登場し、「エピローグのない物語」と第する挨拶文を書いています。

そこには「PART IIIを創造するのはオーナーの皆様です」と書かれていました。事実、会津高原はオーナーに受け入れられて完売。そして次なる開発地が「軽井沢」に決まるのでした。

館山、会津の成功、海外への夢

リゾート会員権にペイバックを組み込む手法は、バブル後期にいくつか登場しますが、決して主流になることはありませんでした 1。ゴルフ会員権にはキャピタルゲイン目的の売買が見られましたが、これはゴルフ会員権の仕組みが簡単だったために、投機目的で株式と同じように扱われた側面があります。

リゾート会員権は1つひとつの仕組みが異なり、しかも相当にややこしい仕組みで、ゴルフ会員権とは世の中の扱いが違っていたと言えます。好景気の中、わざわざガラ権を使って利殖を求める必要はなく、運用商品はストレートなものでやればよいのが普通でしたから、アクシオンは特殊でした。

その独自手法で足場が固めて来た赤塩氏の次の「物語」の舞台は、関東のリゾート地、保養地として昔も今もトップに君臨する軽井沢に決まりました。この時、赤塩氏の野望は海外にまで飛び、グアム東海岸に100室のホテル(やはりスペイン風)を建設する計画を、すでに持っていたようです。

「ホテルアクシオン軽井沢」の販売用パンフレットには、同社が所有していたと思われるハワイのコンドミニアムも使えますとの宣伝も載っており 2、同社の夢は世界に向かっていました。

成功したリゾートクラブが夢を追い、国内から海外に向かうことはバブル期には普通であって、赤塩氏も例外ではありませんでした。そして、手を出した海外リゾートの失敗が命取りになることも、典型パターンでした。本連載で取り上げたダイヤモンドリゾートが経営交代に至った原因がハワイ事業の失敗であったことを、読者の皆さまはご記憶されているかもしれません 3

特別縁故募集

前回、筆者がアクシオン会津高原に加入してしまった経緯をお話ししました 4。会津のホテルは、筆者の新婚旅行とほぼ同時に開業。スペインから大満足で帰った新郎新婦は、開業記念としてこの山奥のホテルに招待され、まさに脳内はスペイン一色で塗り固められました。

新婚旅行で訪れていないスペイン北部に思いをはせ、次の渡航計画を妄想しているところに舞い込んできたのが、次なる物語、ホテルアクシオン軽井沢の「特別縁故募集」の話でした。

誰しも「特別」とか「縁故」という言葉には弱いですよね。後日、倒産後の訴訟に至る過程で多くのアクシオン会員と面識を持ちましたが、2施設の会員権を持っていた人は多かったです。

筆者もご多分に漏れず、この時点で2つのガラ権を所有し、もう会員権は要らないはずでしたが、またしても食指が動いてしまったのです。

ファイブハンドレッドクラブ

ホテルアクシオン軽井沢は、館山や会津高原と比べてやや規模が小さくなり、555分の1の共有制「ファイブハンドレットクラブ」として販売されました。

場所は、旧軽井沢から国道18号線を追分方面に走った中軽井沢の少し先。周りは保養地というより田園風景が広がる田舎風の場所でしたが、浅間山が見事に臨め、塩沢湖あたりよりも「軽井沢」という言葉がしっくり来る、悪くない雰囲気でした。

私的サーガとしての「アクシオン物語」は、会津のみならず、ここ軽井沢でも続くことになったのですが、ここで読者の方は疑問に思われたことがあるかもしれません。

それは、新婚サラリーマンであった筆者が、新居の準備や豪華新婚旅行などと並行して、次々とガラ権を買えたのは何故なのか、と。

その答えは「割賦販売」でした。

割賦販売

現在のリゾートトラストのような自己割賦ではなく 5、赤塩氏の出身商社の系列である「兼松江商ファイナンス」による提携ローンでした。筆者がローンを組んでしまったのは、このガラ権の最大の特徴、ペイバックに由来します。

少し細かくなりますが、当時の筆者の皮算用について、リアルにお話しします。

ペイバックというのは、ホテルを所有して、それを運営してもらってお金をもらえるという、うちでのこづちではありません。これは、オーナーと運営会社との間で交わされる賃貸契約に基づく純然たる不動産所得であり、ペイバック金額はオーナーの不動産所得になります。つまり、所得税が発生するということです。

アクシオンでは開業当初に賃料保証があり、1口あたり年間16万円(これは4枚の無料宿泊券を使わなかった場合で、使い切ると年間12万円)の賃貸収入になることが決まっています。筆者は、その賃料収入と、不動産所得において経費となるローン利息や年会費などの収支バランスが、税務的にイーブンになるように計算をしていました。

筆者はアクシオンのホテル群が気に入り、ホテル利用が目的で加入しましたから、利殖は目的ではありません。会員権の年会費は3万円と少額でしたから、賃貸収入がある限り、ローンで全く問題ないと判断したのは、このような理由からでした。

ペイバック魅力でバブル後も

しかし、世の中は甘くはありません。良いことは続きません。バブルが完全に去り、スキーブームも衰退し、ホテルに客が来なくなるという悲運が赤塩氏を襲います。

筆者がハマったスペインの沼、ホテルアクシオン軽井沢の開業は、1993年秋です。

販売価格は、特別縁故募集の約500万の後、順次値上げをし、最終は800万近くまで引き上げたため、なかなか完売に至らなかったようです。販売が佳境を迎えていた1992年から1993年には、もうバブルが終わったことが世間の風となっており、縁故転がしにも乗らなかった会員も多かったのでしょうね。

最終的には、どこかにまとめて引き取ってもらったりして完売にこぎつけたとのことですが、それもペイバックがあったからこそだったのでしょう。

赤塩氏は軽井沢開業翌年の1994年に「ホテルアクシオングアム」を発売 6。1998年になんとか完成に持ち込んだものの、遅れて来たバブル海外物であるこの会員権は、パタッと売れなくなるという事態に陥ります。頼みのペイバックも、この会員権にはありませんでした。それは、共有制でなく預託金制であったためでした。

アクシオンパスポート

涙の物語は続きます。

かつて「アクシオン物語」のパンフレットでうたわれた「未来を創造するのはあなたです」の文章は、「未来に苦労するのはあなたです」と読み替えなくてはなりませんでした(涙)。

国内アクシオンホテルズ3施設は、共通して、利益の40%を会員に還元する契約でした。しかし、客が来なくなり、客単価が下がる中で、最低保証した賃料、16万円(会員1口あたり)の支払いに困るようになります。

筆者の当時の銀行通帳で確認すると、1991年の会津高原の開業から1993年の軽井沢の開業までは、約束通り、ホテル賃料は振り込まれてきましたし、使わなかった無料宿泊券の買取もスムーズでした。

しかし軽井沢の開業後、1995年になると、もはや赤塩氏には賃料を現金で払う力がなかったようです。

そこで彼が発案したのが「アクシオンパスポート」でした。この「通帳」は会員権1口ごとに1冊が毎年発行され、その最初の行には、その年に支払われるべき賃料が印字されていました。

賃料が振り込まれなくなった代わりに、会員はこの金額分を、アクシオンホテルズで使うことができました。

これはかなりずるいとも言えますが、利殖目的ではなく、普通にアクシオンを利用しようと会員になった筆者にとっては、さほど大きな影響がない変更でした。

これさえ売れれば

しかし、考えてみてください。会員がこのパスポートを使って実質無料でホテルが利用できるとなると、そのパスポートの金額の分、ホテル収入が減ることになります。この先送り策がすぐに追い詰められるのは自明の理です。

続いて赤塩氏は、このパスポートの利用をホテルの部屋代と食事代に限定するようになり、さらにそれらの半額までしか利用できないように会員に頼むようになりました。

ガラ権メーカーは一般に、開業に先立って会員募集で資金を集め、収入を施設建設に回しながら事業を継続していきます。もしもその施設の販売が不調に終われば、その次の新たな施設を造り続けなければいけない運命です。

このアクシオンを購入した人が騙されたのかというと、そうとも言えません。結果からはそう考えることもできそうですが、赤塩氏としては次のグアムが売れることを想定して資金繰りを計画していたのであり、ペイバックを踏み倒すつもりも毛頭なく、アクシオングアムの完成と販売に賭けていました。

これさえ売れれば生き延びられると。

しかし「奢れるものは久しからず、盛者必衰の理を現わす」。赤塩氏のアクシオン物語には、平家物語が重なりました。

グアムは売れず、パスポート利用で日銭にも困窮する赤塩氏。ご本人もそんな展開を思いもしなかったでしょう。自らアクシオン会津高原のフロントに立ち、パスポートの利用を断ることもできず、困惑したように会員の利用を受け付けていた彼の姿は、筆者の脳裏に焼きついています。

ただ、アクシオンホテルズの運営は問題のないものでした。筆者が家族や友人と利用した時は十分満足でしたし、筆者の脳内がスペインで満たされていたこともあり、どのホテルも可愛らしく、愛着の持てる施設群でした。

会員はみな、アクシオンに他のホテルにない特別な愛着を感じていたと思います。他のガラ権メーカーがゴージャスなホテルを出しても浮気しないほどに、良い雰囲気に溢れていました。

アクティブアクシオン倶楽部

ここからは、筆者の推測も入りますが、長かった物語は終末に向かいます。

日本サン・ランドは、1998年、いよいよ資金に支障が出て、極秘裏に経営支援先を探したと思われます。または、赤塩氏が主体的に探したというより、広告塔としてアクシオンホテルズが欲しかったパルアクティブから、支援の申し出があったのかもしれません。

こうして日本サン・ランドとパルアクティブの合弁事業「アクティブアクシオン倶楽部」が誕生し、会員募集が始まります。

こうした倒産へのカウントダウンの後、2000年に日本サン・ランドは消えて行くのでした 7

再契約と2度目の破綻

アクシオンにとってパルアクティブの登場は、バブル期にゴルフクラブやガラ権が倒産し、債務を圧縮して再生スポンサーの元で再建するという、よくある話のように見えます。しかし、ペイバックを特徴とするアクシオンにおいては、他のガラ権に見られない特殊な問題が発生します。

過去の賃料などの債務は倒産で整理できたとしても、新たな運営元との間で、再度、ペイバック契約、つまり賃貸借契約が必要であったからです。

再生スポンサーとして運営を始めたパルアクティブとアクシオン会員(国内)との間で、新たな賃貸契約を結ぶ動きがあり、それは一度はまとまったかに思えたのですが、今度は、そのパルアクティブが倒産してしまいます 8

赤塩氏の描いた物語は、不運の「ネバーエンディングストーリー」となってしまったようです。

エピローグに代えて

さて、本稿も紙幅を大幅に超えました。最後にこの軽井沢に関する筆者の結末をお知らせします。

筆者は、今もって自治体から固定資産税の請求が来るアクシオン会津高原の二の舞はしたくなかったことがあり、倒産したパルアクティブの次の業者が、タダ同然ながら持分買取の提案をしてきたことに乗り、不動産を買い取ってもらう契約をしました。これで、ガラ権の末路、不動産小口分譲の迷宮から脱出できました。

その後釜となったのは「アムス倶楽部 9」というところで、その後、同社はアクシオン軽井沢をリブマックスに運営委託し、「リブマックスリゾート軽井沢フォレスト」として運用、営業していましたが、どういうわけかうまくいかず、今は廃墟に向かっています 10

この今昔物語連載1周年記念として、筆者の実体験を、約30年のベールを解き放ち、所蔵ファイルを開帳してご披露しました。

このアクシオンホテルズ3部作には、愛すべきガラ権との出会い、進化したガラ権の仕組みと楽しみ、そして共有制ガラ権の末路と、ガラ権の全ての要素が含まれていました。

筆者の思い出話としてだけでなく、これから訪れる、あなた自身の物語への夢先案内人となることを願って、この私的サーガ「アクシオン物語」の筆を置きます。


  1. ペイバック(配当)付きのリゾート会員権は、1980年代後半に、所有者が年に何度も行けないようなリゾート地において、一般ホテル併用の形で登場した。代表例として、日本エタニットパイプ(ミサワリゾート)が与論島に開発したプリシアリゾートや、アルファリゾート・トマムのザ・タワー Iがある(タワーIIは仕組みが異なる)。 ↩︎

  2. 具体的には、1991年完成予定のカカアコの「インペリアル・プラザ」の8階、メゾネットルームであった。
    インペリアル・プラザ / Imperial Plaza|ハワイライフスタイル ↩︎

  3. ダイヤモンド作用ソサエティ / ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル | ダイヤモンド、経営危機を乗り越え20余年 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎

  4. ホテルアクシオン会津高原 | 究極のガラ権、実録アクシオン物語 – 会津高原編 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎

  5. 現在のリゾートトラストは積極的に自社で割賦販売を行っている。建設中(開業前)の物件を割賦販売で契約する場合、竣工を迎えるまでローン金利はかからず、開業まで年会費も請求も行われない。一方で、既存の施設を会員として即時に利用できる。開業前に別のより新しい物件に契約変更することも行われ、このメリットを繰り延べできる。この手法は開発会社にとって売りやすく、「数字を作りやすい」とされる。 ↩︎

  6. 日本サン・ランド、96年末メド開業、グアム島にホテル――トーメンから受託。 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎

  7. 会員制リゾートホテル開発、運営の日本サン・ランドは民事再生手続き開始決定 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎

  8. 大手会員制リゾート破綻で発覚した仰天の経営実態 | inside | ダイヤモンド・オンライン ↩︎

  9. 会社沿革 - AMMS INTERNATIONAL ↩︎

  10. リブマックスリゾートの公式サイトには、現在も同ホテルの休館告知が掲載されている。そこに記載された告知の日付は、2021年10月22日である。
    リブマックスリゾート 公式サイト ↩︎

文・撮影:zukisansu、企画・考証・制作:resortboy。バックナンバーはこちら

本連載は今回の第52回をもって「シーズン1」を終了します。ご愛読ありがとうございました。2025年新春からの「シーズン2」にもどうぞご期待ください。

5 comments

  1. zukisansさん

    パルアクティブの説明会に行った時にアクシオンの施設が使えることは素晴らしいと思ったことを思い出しました。
    あとアムスクラブで思い出したのですが、沖縄のカンナリゾートヴィラに視察に行ったことも思い出しました。今も運営しているようですね。素晴らしいホテルだったので沖縄に行った際はまた泊まってみたいなと思いました。

  2. シーズン1のファイナルとなった今回、私の時間の関係で、リブマックス閉業後の最新の現地写真が用意できないことが分かったので、エクシブ軽井沢に滞在中のresortboyさんに撮影をお願いしました。文・撮影が私になってますが、トップ写真を含め、キャプションにもある通りで、現在の施設の写真は全部、resortboyさんの撮影です。シーズン1最後を迫力ある現地写真で飾れて、良かったです。ありがとうございました。その旨、ご了承の上、ご覧ください。

  3. のぶぱんさん

    再び体験談をありがとうございます。
    本連載本三部作第1回の館山編後半にパルのアクティブトレンドゴールド1998年の
    施設展開を載せていますが、相当数の利用可能施設があるものの、すべてリゾマンの1室であったりし、クラブの体を成していません、
    同様なものに、こういうリゾマンの1室を利用可能施設とするガラ権パイオニアの紀州鉄道コンポーネントオーナーズシステムがありましたが、紀州鉄道はちゃんと本部的施設で、
    北軽の列車村ホテルや、那須塩原ホテルなど専用施設が核になっていました。

    パルアクティブとしては広告塔不在の状態を十分認識しており、同社として、広告塔かつ、自分のホテル名を看板に刻める立派なホテルが、同社のガラ権営業を進めるうえで
    何としても欲しく、アクシオンホテルズは適正規模で最高だったので、順次乗り込んで行こうとしたのでしょう。

  4. のぶぱんさん

    (昨夜書いていたお便り返しの続きとなります。)
    アムスクラブと聞いて、すぐにカンナリゾートを連想し、さらには、沖縄リゾートでも少し外れた場所にある現地を視察(笑)されていたとは、ガラ権ファンとして流石です。

    アムス社自体は昭和から続く割と長い歴史の不動産系の多角経営会社ですが、2006年に
    リゾートに参入、アムス倶楽部を作って、カンナリゾートヴィラを開業と、鼻息が荒く、
    仰る通り、そのヴィラは立派なものでしたね。
    のぶぱんさんが、視察されたのは、そのころだったのでしょうか?

    パルの後釜に座って、パルが欲しがって入手を試みたが最終獲得に至らなかったアクシオンホテルズやレインボーヒルズクラブの後始末をしようとしたが、簡単ではなく、結局、中途半端で放置しているのではないかと思います。運営は館山以外(と言っても、軽井沢とカンナの2つですが)、2014年ころからリブマックスに任せることにしたあたりから、ホテル経営に興味がなくなっている気がします。
    https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-228407.html
    パルのややこしい後始末に疲れたのかもしれませんね、すべて私見ですが。。

    私は、カンナの最新事情を視察したのはちょうど3年前でした。プライベート感はありますが、以前と比べ(コロナのせいではない)全体的に元気がないように思えました。
    まだ、ガラ権連載来年から第二シーズンで取り上げる具体的施設については、resortboyさんと相談中なので、はっきり言えませんが、もしエリア的に沖縄本島の施設を書くことになれば、カンナはちょっと興味深い施設なので、候補に入れたいと思います。

  5. zukisansさん

    カンナは東海岸にあり漢那と書きますが、仰る通り、西海岸の恩納村などと異なり当時は周囲は全く栄えておらず、ある意味プライベート感は満載でした。今もそうですかね?、沖縄もガラ権があれば是非記事にしてください。
    ありそうで意外と思いつかないですね。リロが沖縄に施設を持っていたような。

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