本連載始めてはや1年、50回を数えるまでになりました。「ガラ権の語り部」である筆者が、全国を見て歩きしながら思い付くままに原稿を書き、それを受け取ったresortboyさんが裏付けとなる資料を探したり写真を選んだりした上で、毎回の物語にテーマを与えて公開まで持って行く。二人三脚で作業をしてきました。
時には、戦後の歴史をたどってひとつひとつのガラ権ホテルが生まれた背景を確認する必要もあり、週1本の連載の準備はかなり忙しく、この1年はあっという間に過ぎたように感じます。
取り上げたい施設のまだ半分も書けていないのですが、この12月で一度、この連載を中締めするにあたって、連載陣の2人にとって最も思い出に残ると言っていい、今は亡きガラ権を3回に渡ってお届けします。
アクシオン物語
それは「日本サン・ランド」が開発・運営していた「アクシオンホテルズ」です 1。
開業順に、館山、会津高原、軽井沢の各ホテルの現在を確認しながら 2、その開発、破綻、再生の顛末をご紹介することで、バブル末期のこのガラ権が、いかに日本のリゾート会員権のエッセンスに満ちていたか、読者の皆さまに味わっていただければと思っています。
さて、今回の話の前に申し上げておくべきことがあります。筆者は、国内アクシオンの3ホテルのうち、館山の後にできた会津高原と軽井沢の2ホテルの会員(共有制リゾート会員権のオーナー)でした。そして、日本サン・ランドが倒産し再生しようとする過程で、日本のリゾート会員権の歴史上、最大級とも言える権利トラブルが発生し、その当事者となりました。
会員であった筆者がトラブルから逃げる術はなく、さまざまな交渉の舞台に立たなければなりませんでした。自分の中ではいまだに解決していないことがらも残っています。
金額的には預託金制のもっとすごい破綻事例も多くありますが、バブル処理の後に破綻したアクシオンは、それらに比較すれば小ぶりでした。そして共有制でペイバック(配当)を伴う複雑な会員権だったため、そのトラブルは報道もされない、「日本ガラ権秘史」と言えるものとなっています。
トラブル当事者として
そんなアクシオンをこの連載の中締めにあたって取り上げるのは、読者の皆さまに筆者が体験したトラブルの片鱗も含めて実例をご紹介し、これから死滅していくガラ権というものの本質について、理解を深めていたければと思ったからであります。
その本質とは、リゾート会員権について日本では法制度が整っていないこと、そして、倒産処理や再生の過程では大なり小なりトラブルが発生するという事実です。元のメーカー、再生引き受け業者、そして会員の間の力関係から、結果として会員だけが多大な不利益を被る。残念ながらそれが破綻したガラ権の宿命です。
アクシオンのトラブルについて、筆者は当事者として深く関わらざるを得ませんでしたが、ある時点から身を引きました。会津高原に関しては途中で諦めざるを得なくなり、軽井沢は再生業者の収束案に乗ることとし、一部の会員による長きに渡るペイバック訴訟などには参加していません。
当事者としての情報は十分に持っているものの、結果がわからないことも多いです。当時ネット上で活動していた権利者のホームページやブログはほとんど風化し、事実関係をつなぎ合わせるのは難しくなりました 3。
もしかしたら筆者が交渉から抜けた後、それぞれの当事者間で解決済となった問題もあるかもしれません。推測を交えたり、話を蒸し返すのも関係者にご迷惑でしょう。筆者が関わった部分についてのみを記録し、必ずしも全容ではないことをご承知おきください。
2024年夏、再訪
房総半島の一番先の館山市内から海岸線を下り、洲野崎から房総フラワーラインを少し東に進むと、広い敷地に低層でゆったりと拡がるスペイン風のお洒落なホテル、現「館山リゾートホテル 4」があります。
1988年開業ですから35年以上経過していますが、少なくとも外観は、開業してさほど経過していないホテルと言ってもいいほど綺麗です。
ホテルが面する海、平砂浦は風が強いため、全長5キロに渡って防風林が植えてある砂丘のようなビーチで遊泳禁止ですが、サーフィンをするとか眺める分には雄大です。
鉄道はJR内房線が館山市内で東に折れ、鴨川方面に内陸を進むため、房総半島先端部分は車でないと周れません。今では海岸道路が整備されているのとバス便も多いので、それほどアクセスには苦労しませんが、建設当時の周囲は荒れていた記憶があります。
この館山リゾートホテルが、日本サン・ランドの会員制ホテル第1号である旧「ホテルアクシオン館山」です。筆者は、相互利用で何度泊まったか分かりません。筆者の自宅は千葉の北総エリアにあり、渋滞もなく下道で到達できるここは、最もアクセスしやすいリゾートホテルであったのです。
ナインハンドレッドクラブ
アクシオンホテルズは他のガラ権とは違って「1施設1クラブ」という方針でした。そして、土地建物を共有する際の分割数をクラブ名とし、ここ館山は999人で共有したので「ナインハンドレッドクラブ」と名付けられました。
他の2ホテルでも同様に、分割数でクラブ名が決まっています。
施設ごとのクラブであった背景には、ペイバックがありました。施設ごとに収益が異なるため、個別計算のクラブとしたということです。
日本サン・ランドの創業者は赤塩裕という人で、兼松江商の出身で、マニラ駐在が長い商社マンであったと聞きます。
素晴らしい建築と優れたシステム
同社の会員権は1987年から販売が本格化しますが、この年はエクシブ鳥羽の開業年です。後発業者として開発にあたった赤塩氏は、先行するガラ権の特徴を研究し、所有権(当時、安心神話で必須だった)、利用のしやすさ(無料券・割引券の発行)、ペイバック(投資メリットで特徴を出す)が三位一体となるような、いわば究極のバランスを模索します。
1つひとつはそれほど難しいものではないでしょうが、これらを詰め合わせで実行したガラ権は、後にも先にもありません。
ベンチャー企業ですから、信用面は伊藤忠商事に販売を委託して補強。建物は、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライト氏の仲間であったアントニン・レーモンド氏の事務所 5 に依頼しました。
バブル期であり建築に妥協はなく、スペインのリゾートを模した建物の材料は本場からの輸入で、家具・置物・装飾品に至るまですべて直輸入だったという、創業者の力の入れようは並々ならぬものがありました。
房総半島の先端という他にない立地に、素晴らしい建築のホテルと優れたシステム。1口500万程度と当時としては安くはなかったものの、このホテルアクシオン館山の999口の販売は好調で、即日完売状態であったと聞きます。
パルアクティブ登場
この大成功の後、赤塩氏は、会津高原、軽井沢と、館山と対照的な山のリゾートで開発を進めます。そして日本の3ホテルに続き、グアムの東海岸へと海外に進出したところで2000年に倒産します 6。
ホテルは再生スポンサーの下で復活を目指すことになるのですが、そこに登場したのが2008年に倒産することになる「パルアクティブ 7」でした。
ところで、本連載を支えるresortboyさんにとって、このアクシオンが思い出に残るというのはなぜでしょうか。このリゾート会員権研究の第一人者は、若き日に初めてガラ権に興味を持ったとき、その説明をはじめて聞いたのがこのパルアクティブであり、同社が新宿センタービルに開設していたプレゼンルームだったのです 8。
バブル崩壊後に成長したこの会員権業者は、紀州鉄道や安達事業グループのような先輩を真似て、全国各地のリゾマンを客室として購入して共同利用するという古典的ガラ権お約束の手法を、「アクティブトレンドゴールド」「四季の旅」の名称で派手に展開したクラブでした。
フラッグシップを得て暴走
このクラブの新規性は、予約システムにありました。それまでのクラブは、空き状況は電話で確認するしかなく、結果として予約ができないことも闇に包まれていました。パルアクティブはその点に着目し、まだインターネットもない中、民営化されたばかりのNTTが推進していた「キャプテンシステム 9」を導入し、会員に端末を配布します。
当時、リゾート会員権への不満の第一は「予約が取れない」ことでしたから、施設の空室状況がいつでも一覧・確認できるというのは、画期的なことであり、ガラ権史上、予約システム近代化におけるパイオニアとして評価できます 10。
一方筆者は、アクシオンの再生スポンサーとなったパルアクティブから、会員権を等価交換のような形で同社に移行することを提案されていました。そしてresortboyさんと同じ、新宿のプレゼンルームに座ったことがあります。
同じような時期に連載陣2人はパルアクティブの説明を聞き、そして2人とも会員になるのを見送った、と思うと奇縁であると思いますし、ガラ権連載の源流はあの場所だったのかという気もします。
パルアクティブはその後 11、欲が出て無理な会員募集に走り、倒産への道を進みました 12。ただ、それまでのガラ権の経験を踏まえて、後発として全国のリゾート地を網羅する戦略を取り、安価な価格を武器に軽く1万人を超える大型ガラ権に発展した、その発想自体は、夢のある話だったと思っています。
破綻の後で
今回は、思い出話が多く、紙幅が尽きました。現在の館山リゾートホテルの所有や運営から、筆者は蚊帳の外に置かれていますが、施設が維持され、お客も入っているのを再訪して確認できました。旧アクシオンホテルズの4つのうち、この最初の施設だけは立派にこれからも運営されていくだろうと思われます。
運営者はどうであれ、ガラ権施設自体が生きている、いわばハッピーエンドです。
ガラ権の倒産において、会員は権利を失いますし、司法判断にゆだねても詐欺罪等で立件は無理。預託金は限りなくゼロとなり、共有制の場合、持分を次の運営者に移転できれば御の字となることは、これまでの本ガラ権連載で学んできました。
アクシオンはそれで済んでいません。
後発であった赤塩氏が発明した究極のバランス、バラ色のガラ権メーカーであった日本サン・ランドが倒産して、再生スポンサーとなったパルアクティブなどを相手取って訴訟にまで持ち込まれたトラブルが、長く収束しなかったのはなぜでしょう。
理由は、オーナーとメーカーとのホテル賃貸借契約とペイバック条項にあります。
次回は、この館山に続いて開発された第2弾施設、会津高原を舞台に、具体的に本ガラ権の問題点を浮き彫りにしていきます。
日本サン・ランドは、1984年に赤塩裕氏によって創業。赤塩氏は兼松江商から独立し、貿易会社「東洋商事(トーヨー)」経営を経て、リゾート業に進出した。リゾート会員権方式を利用して、アクシオンの名を持つホテルを、国内3カ所とグアムに開発した。 ↩︎
日本サン・ランドは館山に続いて、東武鉄道系スキーリゾート「会津高原たかつえ」に「ホテルアクシオン会津高原」を、軽井沢町の長倉(最寄駅は信濃追分)に「ホテルアクシオン軽井沢」を建設した。 ↩︎
以下の論考を2021年にresortboyが発表した時点では、「日本サン・ランド権利者組合」のWebサイトにおいて詳しい裁判の経緯が公開されていた。現在は閉鎖。
リゾート会員権を「終わり方」で類型化する | KASA Community – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎旧帝国ホテル設計監理のため、フランク・ロイド・ライトと共に来日したアントニン・レーモンドは日本に1921年設計事務所を開設し、その後も数多くの作品を手掛けた。ホテルアクシオン館山は、同事務所の代表作の1つとして、現在もホームページに掲載されている。
・株式会社レーモンド設計事務所
・ホテル アクシオン館山 | 株式会社レーモンド設計事務所 ↩︎会員制リゾートホテル開発、運営の日本サン・ランドは民事再生手続き開始決定 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎
パルアクティブの思い出 | 番外編 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎
リゾートトラストが1997年にインターネットプロバイダー業を開始し、会員向け情報サービスをリゾート会員権にバンドルして年会費を取り、「マルチメディアホン」を会員に配布するのはパルアクティブの試みから10年以上も後のことである。
・サービス終了のRTCC、矛盾だらけの理由 | エクシブの活用術 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎当時、豪華路線を歩んだリゾートトラストや東急不動産と対照的に、パルアクティブは会員権の安さと広告宣伝によって会員を増やした。
・リゾート会員権、100万円前後続々、50―60歳代が購入けん引、小口購入可能に。 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
・会員制リゾートなぜ好調?――旅館も取り込み多様化(エコノ探偵団) | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎メディアで好調が伝えられる中、突然の倒産だった。
・会員制リゾート大手、民事再生法を申請、1万人超から200億円集金。 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
・破綻の真相いい顔をしたがる経営で気前よく振る舞って自滅パルアクティブ | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
・破綻リゾート、経営陣を提訴、賠償求め会員38人。 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎
素晴らしい建築ですね。こちらの研究者の方も館山の南欧風建築を代表する事例として取り上げています。かつての館山市の街並み景観要綱には、スペイン・アンダルシア地方のような景観を目指す、と書かれていたそうです。リンク先はダウンロードファイルが開きます。
https://atomi.repo.nii.ac.jp/record/4234/files/atomi_kankomiken2_04.pdf
zukisansuさん、resortboyさん、会員制ホテル今昔物語「第50回」達成おめでとうございます。また、1年間の長きにわたって“挫折せず”毎週毎週長大なレポートの連載、ご苦労様でした。本執筆の主役zukisansuさん、強力なサポート役resortboyさん、お二人のご努力に感謝します。
この連載を読むまで、私はエクシブを代表する会員制リゾートクラブの盛衰など全く興味がありませんでした。それは現在のリゾートトラストの好調な会員権の販売と豪華な施設運営、そして、特に、利用者の世代交代(注)の順調さから、エクシブは当分安泰だろうな~、と思っていたからです。
注:土曜日にエクシブに泊まると子供連れの若夫婦がいっぱい来ています。我が家も同じで、最近のエクシブ利用は年老いた会員(私)夫婦から「若夫婦と孫」世代に移行しつつあります。
その私の根拠なき安心感が本連載で崩れました。日本のガラ権は崩壊する運命にあり、リゾートトラスも例外ではない!では、エクシブの会員権をどうするのか?私は当分売りません。少なくとも私自身がまだ元気でリゾートトラストのホテルライフを楽しめる間は…。ただし、子供に譲渡はしません。
私はオールドエクシブが大好きなのです。エクシブ鳥羽、エクシブ蓼科、エクシブ軽井沢、エクシブ琵琶湖、エクシブ浜名湖…。これらのホテルには(建設当時の)若き日本人の壮大な夢が詰まっています。年老いた日本人、弱くなった日本の資本では、もう二度とこのような豪華ホテルは造れないでしょう。外資がお金を出して造ったとしても、宿泊代金は超高額で私には関係ない世界です。私の健康が続き、オールドエクシブが存続する限り、エクシブの会員権を売りません。それが私のエクシブ愛です。