筆者が南紀白浜訪問時、初日に投宿したのは、前回取り上げた南紀白浜マリオットホテルではありませんでした。外国の顔をしてまったく健在であるホテルよりも、倒産などで売却、リニューアルされて今に生きるホテルに興味を引かれます。
白浜御苑
南紀白浜温泉は、関西で知らぬものはない日本三大温泉の1つですが、観光ブームが去った後、巨大な温泉ホテルが苦境に陥ったのは他の地域と同じです。建物自体の老朽化に加えて、耐震補強の必要性。対策が必要なのに追加投資もできないまま、つぶれていった過去の優良物件が、このエリアにはいくつもあります。
中でも目立つのは「湯快リゾート」に属するホテル群で、白浜内には3つも存在しています 1。これらのオールド大手温泉旅館ホテルは、チェーンによって完全リニューアルされ、新しい建物と言ってもおかしくないほどお化粧をして「日本型オールインクルーシブ 2」として復活しています。
筆者はその中から「湯快リゾートプレミアム南紀白浜御苑 3」を選択しました。1970年頃、エリア最大級で鳴らした「白浜御苑 4」だったもので、2018年までに倒産、一時期は廃墟と化していたものを再生し見事に生き返らせ、湯快チェーンの高級バージョン「プレミアム」となったものであり、価格以上の満足を得た滞在でした。
この湯快グループですら、大江戸温泉物語グループと経営統合に向けて動いているほどに 5、ホテル業は厳しい時代です。世界はものすごいスピードで変化し、ビジネスモデルはあっという間に陳腐化します。ヒットしたビジネスモデルにはライバルが必死で食い込んでくるし、それが外資であれば、アコーのメルキュールのような情け容赦ないやり方で襲ってくるということです。
ガラ権銀座の大物
南紀白浜をガラ権銀座として見た時、小規模ながらぎりぎり生き残っているケースが散見されます。その一方で、バブル期に湯水のようにお金を注ぎ込み、会員権として販売するも売れずにすぐに倒産した「大物」がこの地にはあります。白浜というガラ権銀座において、ガラ権の典型的失敗パターンを踏んだ唯一の施設は、日本ガラ権史に残る最大級のプロジェクトでもありました。
筆者が白浜御苑を利用したのは、実はこの「怪物ビュー」であったことも理由でした。白浜初日の夜、到着の時に駐車場から海を望むと、怪物が夜に浮かび上がっていました。
そして翌日、チェックアウト前に館内から撮った写真がこちらです。手前のプールは白浜御苑の設備です。
川久前史
この怪物「ホテル川久 6」は、南紀白浜だけの単一施設のガラ権です。民間が資金を借りて創った施設としては、北海道の「エイペックス洞爺 7」と並び称される巨額プロジェクトでした。
しかし、このホテルがガラ権史上最も特殊であると言えるのは、その巨額な資金調達が全面的に自分たちの信用をもって行われ、「一族」が最後まで創り上げたことにあります。
このホテルはいわゆるリゾート開発とは異なります。エイペックス洞爺が全くの新規開発施設であり、北海道拓殖銀行の破綻を招いた巨額融資の代表例として語られて来ました。しかしホテル川久は、旅館経営者一族が、自己施設を建て替えたものであったのです。
「ホテル川久」、昔の名前は「河久」(河久旅館)でありました。大正期に、大阪船場商人の河内屋久兵衛という人が、苗字と名前から頭文字を一文字ずつ取って旅館を開業したのがはじまりです 8。
その後、第二次世界大戦前に、実業家の安間千之氏という人物が、新婚旅行でこの旅館に泊まりました。同氏は旅館を気に入り、「ここを買い取らせてほしい」と手付けのお金を置いていったのでした。
その後、戦争とその後の大地震で施設はボロボロになってしまいますが、宿主は安間氏のことを思い出し連絡を取ります。こうして1949年に安間氏がリニューアルし、「川久旅館」が誕生しました。
新経営者の安間氏は、広告塔として皇族が使っていたという「金の馬車」を借金してまで購入。これを大阪市内で「南紀白浜・川久」の看板を付けて走らせ、話題を呼びます。さらにはこの馬車で、南紀白浜駅と宿の間を送迎するなどして、宿は大評判となります。そして1971年に和歌山で国体が開かれた際、昭和天皇の御宿となる栄誉を受け、川久の知名度は全国区となりました。
マダム・ホリ
その後、安間氏の子供の代となり、1989年に川久は現在の姿に建て替えられることになります。
当初予算は200億、最終的に400億となった巨額プロジェクトを任されたのが、安間氏の娘であるマダム・ホリでした。そして完全会員制のホテルとして、建設費は会員権方式で賄うことになるのです。
金の馬車の川久として大成功する中、息子が経営、娘が建替えに奔走したようです。娘である堀資永氏、すなわちマダム・ホリは、安間一族の中で最も美術や建築の見聞に長けた人であり、建て替えへの凝り方は想像を絶するものがありました。
目指したのは「歴史的建築物として世界の数寄屋を造る」こと 9。有名建築家であった永田祐三氏との協働で、最高の材料で最高の職人を起用し、かつてない自由奔放なデザインの「怪物」を造り上げていきます。
一般に巨大ガラ権には、建設そのものは大手ゼネコンが関与しますが、本施設は施主の自力で造られていきます。資金的には会員権と銀行融資で賄われますが、建築に凝り過ぎ、建設費用は最終的に当初予算の倍の400億にも達しました。
会員権は個人1口2,000万から法人1口6,000万と高額であり、さすがにさほど売れませんでした。また開業後も、会員か会員の紹介以外では一切利用できない運営をしたため、客室稼働率は建替後はずっと20%程度に低迷してしまいます。
倒産
こうして、1991年の開業から5年の命で、あえなく倒産に至りました 10。
これは筆者の推測に過ぎませんが、経営者たちは富豪だったので金銭感覚がマヒしていたのでしょう。建設費用が積み上がるものの、会員権を1,900口売れば元が取れる 11、といったアバウトな計画しかありませんでした。
最終的には430口程度しか売れず、後は銀行借入で賄ったわけですが、これは経営者一族の信用がものすごく大きかったことを示しています。自由奔放にやらせてもらえるだけのカネを投じて怪物を創り上げられたのもそうですし、会員権購入者や銀行などとのトラブル報道もありません。
倒産後、競売にかけられたこの怪物は、北海道の旅館ホテルの大物「カラカミ観光」が1999年にわずか30億で入手します 12。完全会員制は撤廃され、普通のホテルとして、南紀白浜に映えるバブル期の歴史的建造物として、現在は人気を集めています。
異界に導かれて
この再生を担ったカラカミ観光は、北海道洞爺湖畔の最大規模の温泉ホテル「洞爺サンパレス」などで有名な北海道の会社でしたが、同社はホテル川久の運営などに専念するため、北海道の自社フラッグシップホテルを次々に手放していきます 13。
そしてついに北海道そのものから撤退し、本州に専念するようになりました。その動きを筆者は、カラカミ観光は怪物に魂を乗っ取られたからなのか、と思ったりするのですが、それほどに異様な建築物です。
こうして忘れ得ぬガラ権は、異界に導かれて完成し、そして買収した企業の運命までも変えてしまったように見えます。日本の温泉ホテルの歴史で語り継がれるホテルになったことだけは間違いありません。
宿泊だけでなく、本施設自体がミュージアムとして一般に有料公開されています 14。紙幅も尽きましたし、施設の中身については公式ホームページはもちろん、本稿の注釈で示したもの、さらに多数の訪問記がすぐに検索できますので、そちらをご覧ください。また本稿で、筆者がホテル川久を「怪物」と書いたのは、良い意味であるとお考えください。
最期に、筆者が本施設について見聞した中で、一番記憶に残り、読者の皆さまに是非見てほしいと思うのが、カラカミ観光が制作し、マダム・ホリを筆頭に建築に携わった人が総出演するドキュメンタリー動画「異界をつくった者たち」です(全編完全版40分)。
時代が違うと言われそうですが、本ドキュメンタリーの中には、現在の日本において忘れ去られた大事なことが凝縮されており、それが映像のすべてから感じられる、素晴らしい作品です。
【公式】湯快リゾート | ホテルを探す
今回取り上げた「白浜御苑」のほかに、「ホテル千畳」(旧名称も同一)、「白浜彩朝楽」がある。白浜彩朝楽は旧「ホテル古賀の井」であり、一時は本稿で取り上げるKarakami Hotel&Resortsが所有・運営していた。 ↩︎かつての大型温泉旅館を取得してリニューアルし、会席料理や部屋食を廃して朝夕ともバイキング提供とし、均一料金の概念を大いに取り入れた「大江戸温泉物語」「湯快リゾート」「伊東園ホテルズ」などのチェーンを指す。 ↩︎
・【公式】湯快リゾートプレミアム 白浜御苑|和歌山県 南紀白浜温泉
・和歌山・白浜のホテルがリニューアル - 産経ニュース ↩︎昭和の頃は白浜温泉で最大級のホテルだった白浜御苑も廃業、その昭和時代の豪華なパンフレット | 昭和40年代生まれの昭和レトロ探索とバブル時代の回顧 昭和の銭湯 ↩︎
公式発表はまだだが、2つのグループは「GENSEN HOLDINGS」として統合される予定であり、すでに一部の法的表記では統合会社の名称が確認できる。
「当グループ」とは、GENSEN HOLDINGS株式会社及びその関係会社、大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツ株式会社及びその関係会社(以下、総称して「大江戸温泉物語グループ」といいます。)並びに湯快リゾート株式会社及びその関係会社(以下、総称して「湯快リゾートグループ」といいます。)をいいます。
・プライバシーポリシー|湯快リゾート日本最大の破綻ガラ権、サミット開催に歴史刻む|会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎
ホテル川久の歴史については、以下の記事を参考文献とした。
・【キュレーションストーリー Vol.2】南紀白浜温泉 ホテル川久 | KINAN ART WEEK(紀南アートウィーク)
・《写真多数》「なんだあれは!?」のどかな街にそびえる異様な豪奢ホテル“川久”に泊まってみると… | 文春オンライン ↩︎茶事、あるいは広く和歌や生け花などの「風流」を好む者を「数寄者」と呼ぶ。数寄屋は元来、母屋から独立して建てられた茶室のことを指すが、その概念は幅広い。
・数寄屋造り - Wikipedia ↩︎会員権の販売見込みや実際の販売数については、以下の書籍に記載されている事項を参考にした。
・バブルの肖像 | 都築 響一 |本 | 通販 | Amazon
・バブルの肖像の中のホテル川久 - ROSSさんの大阪ハクナマタタ ↩︎カラカミ観光は、ホテル川久のようなラグジュアリーホテルにフォーカスするため、従来の事業資産を次々に手放していく。ロゴデザインを川久と合わせ、社名までも変更してしまう。
・「カラカミ観光株式会社」は2020年8月1日から「Karakami HOTELS&RESORTS株式会社」へと社名変更をいたします。 | Karakami HOTELS&RESORTS株式会社のプレスリリース
・【Karakami H&R】北海道内に所有する3施設の譲渡に関するお知らせ|Karakami HOTELS&RESORTS【公式】 ↩︎
こんにちは。
さて私達夫婦は先週初めてエクシブ白浜アネックスを利用(3泊4日)しました。火木曜がジェネシス休業ということで半日レンタカーを借りて周辺観光に。こちらを読んでずっと気になっていた川久ホテルに(もちろん美術館の方)に行ってきました。夫曰く周辺の風光明媚と言われる景色よりもずっと良かった、との事です。一人が身障者である故に美術館入館料が二人とも無料になったのと、レンタカーの返却時刻まで間があったので、ゆったりとしたカフェでお茶とケーキも楽しんできました。時代の流れでしょうか、川久でもドアボーイ、カフェのウェイトレスはアジア系外国人でした。
なおアネックス(8Fアドベンチャーワールド側角部屋)では象や鳥の鳴き声で目が覚めました😊
tabix(Tabix)さん
約一年ぶりのお出ましでしょうか。
この間、RT施設をご堪能されてきたと拝察いたします。
ガラ権連載のご愛読と「異界」編を覚えておいていただいて、訪問、そしてコメント
頂きましてありがとうございます。
なるほど、日本には世界に誇る風光明媚な場所が多くあり、南紀白浜もその一つですが、
「異界」はここにしかなく、ご主人のおっしゃる通り、イチオシでありますね!
ここでもまた、外国人スタッフが活躍しているのかと思いましたが、インバウンドでの
お客さんも多いと思うので、それはそれで良いのかとか?
余談ですが、ガラ権連載のコンビであるresortboyさんとの間で話題の話を一席。
本記事最後くらいの注釈の通り「異界」に入った旧・カラカミ観光の現経営者(唐神耶真人氏)は、ラグジュアリー路線まっしぐらで、自らの名前を冠した「ヤマト」の名前で、欧米の最高級destination clubと言っていい、residence clubをスタートさせていて、好評であるように思えます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000125798.html
欧米の本格的別荘クラブは、入会金は安いのですが、年会費が高いのが特徴で、ヤマトは
これに倣っています。
さらに、これには、一部ペイバックも含めたユニークなもので、今後の展開が楽しみです。
(もちろん、利用はできませんが、成り行きを伺うだけ、笑)
zukisansuさん
本人の記憶違いを優しく訂正してくださりありがとうございます。そうでした、全部小文字でしたね😅
ご推察通り、すっかりRT施設に心を絡め取られてしまい、RTTGポイントクラブのステージを毎年アップし今年はシルバーステージとなりました。流石にゴールドは無理で来年度はシルバーを維持できるかどうかでしょう。
ご紹介いただいた別荘クラブはとても今の私達には無理ですが、こちらで掲載されたホテルの幾つかは、かつては会員制だったとも知らずに利用したものが数箇所あり、その歴史を知り面白く思いました。これからRT施設がない地域に行く折に利用するホテルの参考にさせていただくつもりです。
又、以前の記事にあった金沢白鳥路ホテルは、亡き母が元気な時に年末年始に滞在したり、退院祝いと称してレストランを利用したお気に入りでした。かつては会員制と知りとても驚いています。
40年ほど前の夏に宿泊しました。
旧建物は内部は和風ながら外装は南欧風でした。(建物入り口にクラシックカー)
館内は大理石敷きと絵画と植樹でモダンな温泉旅館という風情。
各部屋は藤の網代敷きで豪華な雰囲気でした。
そして部屋係の女性が若くてキレイな方でした。さすが当地ナンバーワンと思いました。
建物に並行してプールがあり、建物の一番奥くらいにオーナーの趣味のよいご自宅が。
そのままの建物で維持していればクラシック和風旅館として名をはせたと思います。
なぜよく覚えていたかというと、
娘が翌朝、熱を出して当地の病院に行き、結果夕方近くまで滞在したからです。
その時は違う部屋に通されたのですが冷房のない部屋でちょっとあつかったかな。
その部屋は相当古くといっても手入れがよく、また海に近く波音の聞こえる雰囲気
の良い部屋でした。
もう一度行ってもよいかなと思わせる旅館でした。(ちょっと高かったかな)