明けましておめでとうございます。ガラ権ファンの皆さまは、この年末年始、やはりガラ権滞在でないと年が明けないとばかりに、どこかのガラ権施設でお過ごしになったか、今まさにお過ごしになっていることと拝察します。そんな中、昨年末に絶賛興行を終えた本連載シーズン1に続き、シーズン2を新春封切とさせていただきます。
津軽富士に登る
シーズン2開始にあたっての巻頭言的なものは後回しとして、早速まいりましょう。初回は地味に、目立たぬ本州最北端のガラ権施設(現在は一般ホテル)を取り上げます。
夢先案内人こと筆者 1 は、日本全国各地のガラ権施設探訪の傍らで、そのエリアの観光や日帰り登山を楽しんでいます。相当数の山に登りましたが、最高レベルに感動したのが本州最北の青森県の岩木山 2(津軽富士)でした。
登頂自体は楽ですが、天候が厳しい場所であり、なかなか機会に恵まれませんでしたが、とある夏の日、世界遺産・白神山地の秋田側方面を訪問していた折、天気に恵まれたため能代市に宿を取り、意を決してこの山に向かったのです。
秋田県の白神山地世界遺産センター 3 からダートコースを延々と抜け 4、青森県側の白神山地ビジターセンター 5 まで到達しました。
そして岩木山登頂に十分な時間があると確認して、日本一のつづら折りが連続する有料道路を登って 6、八合目駐車場に到着しました。
意外に走りやすい道ですが、冬季閉鎖があります。
本来なら八合目から九合目までリフトがあり、非常に楽々登山のはずでしたが、この日リフトはお休み 7。ガーンとなったものの、仕方ないので、歩きで頂上を目指しました。
この日はほぼ無風。快晴が続き、無事、山頂を極めることができました。富士山のご来光ほどではありませんが、津軽富士の三角点、これはお目出たいと言うことで、今回のお正月のトップ写真とさせていただきます。
本州最北端のガラ権施設
この日は、この登頂のお礼ということで、岩木山神社 8 に行きまして、それで終了。本稿で書くべき肝心な、青森県唯一のガラ権探訪ができていません。
そこで、改めて探訪を試みたのですが、時は初冬。たどり着く途中で、夕方4時前だと言うのに夕暮れ、真っ暗となっての訪問となりました。施設の写真を筆者撮影のもので十分にお見せできませんが、ここからご紹介する本州最北端に存在したガラ権施設の名前を、どうぞご記憶ください。
読者の皆さんも旧名は聞いたことがあるはずです。かつてプリンスホテルの一員であり、その後、西武を離れてガラ権施設となり、今は一般ホテルという、数奇な運命をたどっています。
開発時の名称は「鰺ヶ沢プリンスホテル」です。
鰺ヶ沢プリンスホテル
本州最北端に雄姿を見せる日本百名山・岩木山の裾野には、岩木山を神として祀る津軽国一之宮・岩木山神社。その同じ裾野、岩木山神社の反対側(独立峰なので円周の反対)の北斜面に、西武グループが鰺ヶ沢スキー場を開設したのが1989年冬 9。翌年1990年には、リフトの新設やレストラン「アリエスカ」を作るなど、リゾートを拡張しました。
この名前、当時の西武グループを知る人なら思い出されるはずですが、アラスカ航空から1980年にアンカレッジのアリエスカリゾートを買収して、1994年にはなんとこの場所に、「アリエスカプリンスホテル」を開業するほどでした 10。バブル期に各地にできた西武系スキー場は、どこもレストランが「アリエスカ」であったのは、このことに由来します 11。
そして青森県西側の最大級となるスキー場の旗艦ホテルとして「鰺ヶ沢プリンスホテル」が開業したのが1994年です 12。アリエスカプリンスと鰺ヶ沢プリンス、開業時期も、建物の形も、名の響きも、似たように感じるのは勝手な思い込みでしょうか。売却されたのも同時期で、不思議なつながりを感じる筆者です。
ナクア白神ホテル
2006年になって西武グループは、一気に不採算リゾートの売却をアメリカのシティグループに行いました 13。この話は今回紙幅もないので省略させてもらいますが、同時期に、アリエスカプリンスも売却しています 14。
シティグループは購入した施設を「ウィンターガーデン・リゾーツ 15」として営業開始します。そしてその後、鰺ヶ沢プリンスホテルはシティグループがプリンスとは全く無関係に購入したホテルに合流し、ガラ権施設となるのです。
その無関係であったホテルとは、那須方面を得意とする老舗ガラ権メーカー「葵地所」の「葵リゾートクラブ」の施設群でした 16。
葵リゾートクラブの後継クラブとして「ナクアリゾーツクラブ」が創設されることとなり、鰺ヶ沢プリンスホテルはこのガラ権の1施設として2008年に「ナクア白神ホテル」と名前を変えるのでした。
この葵リゾートクラブについての顛末は、今後の連載で取り上げます。
最短のガラ権ホテル
「鰺ヶ沢」は青森県以外では知名度がありませんでしたが、一方で白神山地が1993年に世界自然遺産に登録され、その名が全国区となったので、名称に白神を入れたのでしょう。これは夏場の集客には正解だったと思いますが、やはり雪深い本州最北端・日本海側の地でのリゾート運営は、バブルやスキーブームが去った後では難しいものがあったのでしょう。
2008年にナクアとなったこのホテルは、2010年に韓国系に 17、そして2014年にシンガポール系にと、西武グループを離れた後、数年ごとに資本が変わる激動の運命。ホテル名称は2015年まで変えませんでしたが、その後現在までは、「ロックウッド・ホテル&スパ 18」になっています。
ガラ権ファンの皆さまにもなじみの薄い本施設、ナクアリゾートクラブの1施設であったのは、資本がシティグループであって、かつ名称変更した後の2008年から2010年までとなるという、史上最短レベルのガラ権施設だったのです。
連載シーズン2について
新年早々、最後までお読みいただき、ありがとうございます。最後に、本連載シーズン2のことについて、巻頭言的なものを書いてみます。
筆者は、このシーズン2では、「語り部」という過去の歴史を振り返るような肩書きではなく、シーズン1の最終回で名乗りましたように、ガラ権ファンの皆さまの脳裏に、さまざまな妄想を呼び覚ます「夢先案内人」の肩書をもって、全国各地のガラ権を旅してまいりたいと思います。
シーズン2も1年52週、全52回の構成を予定していますが、筆者のプライベート面で忙しい時期も予想されるため、時々で休載させていただき、来年2026年の春を目標に、終了に持って行きたいと思います。
読者の皆さまには、それぞれに気になるガラ権施設があると思いますし、なかなかその施設が取り上げられないと言うご不満(笑)もあるかと存じますが、気長にお待ちください。
実は筆者におきましても、これから取り上げるべき施設の選定を行ったところ、全国の有力なガラ権施設の紹介はこの52回をもってしても全く間に合わず、さらにシーズン3でもう52回書いたとしても紹介が終わりそうもないことが分かり、途方に暮れています。
しかし、やりはじめたことは最後までということはモットーにしていまして、焦らずに完走したいと思いますから、これまでと変わらずご愛読をよろしくお願いします。
ガラ権の源流へ
シーズン2の巻頭ご挨拶に続きまして、今シーズンの「走り込み」の方針をお伝えします。
シーズン1は、全国各地のガラ権施設を気の向くままに書き進めた感じではじまりました。取り上げたガラ権の素性はバラバラでありましたが、かえってガラ権というものの本質に気付かされることとなりました。
回を進めるにつれ、考証・編集担当のresortboyさんの全面協力のおかげもあって、ガラ権ウォッチ35年と偉そうなことを言っている筆者にもわかっていなかった事実が次々に判明。それはまるで、古代遺跡を発掘しその欠片を組み立てることで、遺跡の形が浮き彫りになったような驚きでした。
もちろん、35年の経験から、ガラ権の全容についての漠然とした見立てはできていたのですが、それがズバリ形を現わしたことに、筆者自身が一番驚いているかもしれません。
各回の執筆とそれを裏付ける調査・検証を2人で繰り返すことによって、わからなかった疑問が解け、つながらなかった話に納得がいく結合が得られたのにはびっくりですし、さらに予想もできない、全く知らなかった背景や事実も多数見つかりました。
一般に、古代遺跡や恐竜などの発掘作業をしている学者は注目されませんが、自己満足とも思える、こうした発見が時々あって、仕事を続けているのだなと思った次第です。
そして今シーズンは、前シーズンで培った勉強の蓄積を元に、途中でテーマから脱線した走り込みを交えながらも、最初から全52回を通じたテーマを設定し、ゴールを目指すように書いていきます。
そのテーマは、名付けて「ガラ権の源流へ」です。
あらかじめ源流がどこであるかは明らかにはしません。読者の皆さまは、シーズン2を通じてそれを知ることとなります。夢先案内人に先導されながらシーズンを通じて走り込んだ皆さまだけが、その源流にたどり着き、感銘に浸ることができるでしょう。
次回は東北最大級規模のガラ権について書きます。
「夢先案内人」(ゆめさきあんないにん)は、1977年4月1日に発売された山口百恵の17枚目のシングル。ガラ権という夢の先には何があるのかを案内してほしいという、編集担当(resortboy)の意図と、zukisansu氏が山口百恵に造詣が深いことからの命名。 ↩︎
白神山地世界遺産センター | The Shirakami-sanchi World Heritage Conservation Center ↩︎
・青森スプリング・スキーリゾート - Wikipedia
・鯵ケ沢スキー場オープン(短信) | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎現在も残っている店舗は多数ある。以下は一例。また、コース名にアリエスカを冠するケースもある。
・レストラン | 雫石スキー場 | プリンススノーリゾート
・レストラン | 万座温泉スキー場 | プリンススノーリゾート
・レストラン | かぐらスキー場 | プリンススノーリゾート
・ゲレンデ・コース | 軽井沢プリンスホテルスキー場 ↩︎西武HDは米国・カナダのグループ傘下の3ホテルを売却し事業を縮小 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎
1980年代にリゾートホテル事業に参入した葵地所は、1992年開業の「ホテルエピナール那須」(95年開業分も合わせて316室)で知られる。91年にはフィジーにも施設を展開。「葵リゾートクラブ」を運営するが預託金の償還問題で経営が行き詰まり、シティグループに事業譲渡したうえで特別清算された。
・関連記事・会員制リゾートクラブ経営・葵地所株式会社、特別精算を申請(帝国データバンクより、平成18年12月8日)-椿ゴルフ ↩︎