世界最大のホテルチェーンを築いたユタの精神

「会員制ホテル今昔物語」は、35年に渡ってリゾート会員権についてウォッチされているzukisansuさんによる連載です。日本で独自の発展を遂げたリゾート会員権、すなわち「ガラ権」の歴史をたどることで、日本的文化とは何か、日本人とは何かを、過去に学び未来を見通す―そんな奥行きのある連載として、僕から特別にお願いし、zukisansuさんにしか語れないこのテーマでご執筆いただく運びとなりました。どうぞご期待ください。(企画・制作:resortboy)

ガラ権連載も早いもので30回を超えました。今回は気分を変えて、閑話休題です。この連載で紀伊半島を巡る中で「南紀白浜マリオットホテル」や「フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本」が出てきましたので、ここで日本ではあまり知られていないマリオットグループの創業者、JWマリオット氏の生誕の地を訪ね、事業発展の歴史やその根底にあるスピリットに触れてみたいと思います。

本連載では以前、ヒルトン創始者であるコンラッド・ヒルトン氏の聖地、コンラッド・ヒルトン・センターの訪問記 1 を掲載しましたので、今回はそのアンサーソングとして、ライバルとも言えるJWマリオット氏 2 の生まれたエリアを訪ねた記録です。

マリオットとヒルトン

マリオットとヒルトンの、それぞれのロイヤルティプログラムに参加している人数は、2023年12月末でマリオットが1億9600万人、ヒルトンが1億8000万人です 3。しかしヒルトンに勢いがあり、2025年にはヒルトンが2億人を突破してマリオットを抜くと言われています。

しかしマリオットは、プログラムの活用面ではヒルトンを引き離していると言えますし 4、客室数でも圧勝で、アメリカ全土ではホテル客室の15%を押さえたようです。筆者のヒルトン聖地探訪記では「よくもこんなに沢山ヒルトンがあるものだ」と書きましたが、実はマリオットのホテルをもっと数多く見ていたのでした。

マリオットはホテルブランドの拡張に熱心ですが、日本でもそれは感じられます。フェアフィールドを道の駅に大量出店したり 5、ビジネスホテル「ユニゾ」のブランド転換で「フォーポイント・エクスプレス・バイ・シェラトン」という低位ブランドの投入など 6、アメリカにはないブランド開発を行って拡大を続けています。

元からある「リッツ・カールトン」「ウェスティン」「シェラトン」「マリオット」「コートヤード」などを加えると、日本での出店は相当数になってきました 7

日本で先行したのはヒルトンですが 8、マリオットは楽天トラベルと提携するなど 9、ヒルトンに負けないようにと、まさに商売上手という印象で急速に勢力を拡大しています。

ヒルトンと比較した時、マリオットの方がライバルとするには手強く、組むにも怖い存在と筆者は考えていますが、それはヒルトン氏が苦労人の「ホテルマン」であったのとは対照的に、マリオット氏は飛行機の機内食ケータリング会社で成功した後にホテル業に転換した「事業家」であったことから来ている気がします。

山々が美しい街で

JWマリオット氏は、1900年ちょうど、ユタ州の州都であり中心都市であるソルトレイクシティから少し北東に行ったところにあるオグデンという町 10 で生まれました。

当時のオグデンはユタ州で2番目の町だったそうですが、現在は8番目で人口約9万人の目立たない都市です。筆者はこのエリアを何度か行き来しましたが、ソルトレイクシティの郊外という感じで、目立つものもなく写真も撮っていません。

ここはワサッチ山脈という美しい山々が遠望できる場所で、この近辺には「ウィラード」という地名や山があることから、JWマリオット氏のミドルネームはそれにちなんだのかなと推測しています。

オグデンは、1847年から末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の信徒が切り開いた、ユタ州最初の入植地です。マリオット氏の両親は最も早く住み始めた人で、市内にはマリオットという地名も地図に見当たります。その後、1869年に大陸間横断鉄道が開通した際、オグデンは乗換駅として発展したそうです。

読者の皆さんはパラマウント映画の上映開始時に映し出される山のロゴを思い浮かべることができると思いますが、この山はワサッチ山脈のウィラード近辺の山がイメージされたものだという説があります。「ハリウッドを作った男」との異名を持つウィリアム・ホドキンソン氏 11 が若い頃にこの地に映画館を作り、それが大成功してパラマウント・ピクチャーズを創業したという逸話がある場所です。

そんなエピソードを生む素晴らしい景色であることは、ソルトレイクシティ空港に降り立った途端に分かります。

勤勉さと大学への寄付

この美しい環境の中でJWマリオット氏は、開拓者魂と自立心を持って育ったと同時に、敬虔な末日聖徒イエス・キリスト教会の信者でもありました。

高校を出た後の2年間は、宣教師としてはるか離れた東海岸にも行ったようです。しかし彼は勉学が大事と考えてオグデンに戻り、地元の公立大学、ウェーバー州立大学(当時はジュニアカレッジ)を卒業しました。その後、ソルトレイクシティの中心にあるユタ州の公立大学では最高位であるユタ大学を卒業した、勤勉な人でした。

マリオット氏は少年時代から商才を発揮していて、ユタ大学に通うにあたっては学費を自分で賄ったそうです。主に、ユタ州の工場で作られた長袖下着を、夏に他所から来た労働者に売ることが収益源でした。非常に高い値付けをしていましたが、丈夫なものであったため、「引っ張って破れたらタダ、そうでなければ買って」と、力強そうな木こりを相手に稼ぎをあげたというエピソードがあります。

筆者が現地で滞在したホテルの横には、彼が通ったウェーバー州立大学 12 がサテライトキャンバスを開いていました。マリオット氏は同大学にヘルスセンターのようなものを寄付しているようでしたが、残念ながら現地で見つけることはできませんでした。

またユタ大学には、キャンパスの中心にあってこの名門に通う生徒は全員利用することになる「J. Willard Marriott Library」を寄付しています 13。とても目立つ建物で、すぐに分かりました。

次の日、筆者はプロボという、オグデンとはソルトレイクシティを挟んで反対側(南側)の町を訪れました。ここには、末日聖徒イエス・キリスト教会を信奉する人たちの最高学府である「ブリガムヤング大学 14」があり、美しいキャンパスを楽しみました。

JWマリオット氏は、この大学の卒業生ではありませんが、ここに経営大学院とスポーツ施設を寄付しています。大学院は一般的なMBA資格取得のためのもので、ホテル経営向けの内容ではありませんが、マリオットの経営哲学を学べる大学院です 15

マリオット氏は、ユタ大学を卒業後、東海岸に出て、飲食業をメインに商才を発揮します。ワシントンDC近くに本拠を構え、近郊の山間部に「フェアフィールド農場」を持ったエピソードは有名で、一般には東海岸の人のように思われているかもしれません。

しかし故郷のユタ州を愛し、卒業した大学を含む3大学の勉学に資するため、寄付を行っていることは記憶に残したいものです。

多彩な事業家として

JWマリオット氏は東海岸に出て飲食業からスタートしますが、そこからの道は多彩です。この歩みがホテル業一筋に生きたと言えるヒルトン氏と全く異なっています。

清涼飲料水のフランチャイズから創業し、チェーン展開で成長。そして航空会社向けに機内食ケータリング会社を発案して事業を発展させます。あまり知られていませんが、チェーンレストラン「ビッグボーイ」の買収と売却も経験します。

彼の経歴については、マリオット経営大学院のホームページに子息から見た家族の歴史が掲載されています 16。またマリオット公式ホームページの沿革には、日本語で詳しく、写真を交えて掲載されています 17

それらを見ると、よくぞここまで精力的に事業を拡大できたと驚きしかないのですが、事業の天才マリオット氏としては、当然の歩みだったのかもしれません。

マリオットの第1号ホテルは、1957年1月にワシントンDC近くで開業します。「Marriott Motor Hotel 18」というホテルで、現在は取り壊され、今は高速の巨大なインターチェンジの下の公園になっています。それが成功してからは、思い切りのよいことに成功していた他の事業を売却し、ホテル業をメインとして行くこととなります。

これは360室もあるホテルで、ホワイトハウスに一番近い大空港であるロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港に隣接した「便利さ一番の空港ホテル」でした。これも、ヒルトンの第1号「モブリーホテル 1」とは対照的で、同じホテルチェーン一家でも、ルーツが全く違うのは面白いと筆者は思っています。

普遍的なもの

JWマリオット氏には類まれな商才と開拓者魂がありましたが、その根底には勤勉さがあったわけで、決して運だけで成功したものではありません。

そして2代目であるマリオット・ジュニア 19 がホテル事業を拡大していきます。先代から引き継がれたアイデアマンとしてのDNAが生き、現代のホテル経営のスタンダードであるホテルの所有と運営の分離という画期的な手法を導入しました 20。ジュニアの方もユタ大学を出ています。

現在のマリオットは、最上位ブランドとしてリッツ・カールトン、高級ブランドとしてスターウッド(ウェスティンやシェラトン)を買収してホテルのラインナップを盤石にするとともに、バケーションクラブ分野でも交換会社であるインターバル・インターナショナル社を傘下に入れるなど 21、業界で圧勝しているように見えます。

筆者は、モルモン教徒が迫害されワサッチ山脈を越えてソルトレイクシティに落ち着いたという歴史が、マリオット家の中では絶対重要で、この魂がマリオットの活力の根源であると思っています。

厳しい歴史の中で生き残りをしてきたのがマリオット家であり、個有の能力や運だけでは語れない勤勉さや、宗教から来る精神性といった、人類に普遍的なものが事業の成功には欠かせなかったのだと、ユタを訪ねて感じたのでした。


  1. コンラッド・ヒルトン・センター | テキサスの田舎町にヒルトン創業の地を訪ねて | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎ ↩︎

  2. J・ウィラード・マリオット - Wikipedia ↩︎

  3. Marriott and Hilton: 12 Takeaways From Their Annual Reports ↩︎

  4. マリオットのポイントは幅広いエアラインのマイルに移行できる点で、圧倒的な汎用性を誇る。「Wings of the Points」はそれをうまく表現した「実用的アート作品」である。
    Wings of the Points - UR/MR/TYP/C1/Marriott Points to Miles Transfer Chart (2023.7 Update: MR Added New Partner QR 1:1) - US Credit Card Guide ↩︎

  5. 増殖する道の駅ホテル、フェアフィールド – 1 | マリオットの話題 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎

  6. マリオットがビジホに進出「Four Points Express」 | マリオットの話題 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎

  7. ブランドのご紹介 ↩︎

  8. 2023年、ヒルトンは日本で60周年を迎えます|ヒルトン・ホテルズ&リゾーツ ↩︎

  9. Marriott Bonvoy®|メンバーシッププログラム【楽天トラベル】 ↩︎

  10. Ogden, Utah Vacations - Destinations
    オグデン (ユタ州) - Wikipedia ↩︎

  11. William Wadsworth Hodkinson - Wikipedia ↩︎

  12. Weber State University - Wikipedia ↩︎

  13. J. Willard Marriott Library - lib.utah.edu Marriott Library
    J. Willard Marriott Library - Wikipedia
    ユタ大学 - Wikipedia ↩︎

  14. ブリガムヤング大学 - Wikipedia ↩︎

  15. BYU Marriott School of Business ↩︎

  16. ・(HTML版)Building a Family Legacy: The Marriott Story
    ・(PDF版)Building a Family Legacy ↩︎

  17. 沿革 ↩︎

  18. Marriott Motor Hotel Twin Bridges - Wikipedia ↩︎

  19. ビル・マリオット - Wikipedia ↩︎

  20. ホテル産業における所有・運営の機能分化と企業統治に関する研究 : マネジメント契約の普及による影響 | 立教大学学術リポジトリ
    グローバルオペレーターが変えるホテル経営: マネジメント契約はホテル産業に何をもたらしたか | 田尾 桂子 |本 | 通販 | Amazon ↩︎

  21. ILG, Inc. - Wikipedia ↩︎

文・撮影:zukisansu、企画・考証・制作:resortboy。バックナンバーはこちら

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