「♪会津磐梯山は宝の山よ」という民謡がありますね。磐梯山とは、福島県が誇る日本百名山。数万年前から活火山として噴火を繰り返し、3,000メートルに近い富士山のような巨大な円錐形から、山頂・山中部分が崩落し、現在のような横に山麓が拡がる山脈型地形になったと言われる、会津地方のランドマークです。
首都圏から東北道を北上し、猪苗代湖に達した辺りからドーンと目に入る磐梯山の雄姿は、まさにここからが東北地方への入口。旅行好きならずとも、誰もが拝んだことのある景色です。「宝」とは、豊饒な食物が育っていたことから名付けられたとされます。一度聴いたら忘れられない独特の民謡のメロディです。
Qwert1234, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons
しかし、現代は近場リゾートが好まれる時代。首都圏からでは、この磐梯山エリアは遠すぎるようになったのかもしれません。民謡に歌われるように、四季折々の雄大な景色が楽しめるこのエリアですが、最近何度か行ってみれば、すっかり寂しくなっています。
宝の山ならぬガラ権の宝庫だった磐梯山の裾野にあるリゾート群は、どこも廃墟となっていたり、今にも潰れそうな感じになりました。
猪苗代から北上して
本連載は、基本的に飛行機で地方に飛び、そこからレンタカーで周遊するスタイルでしたが、連載が進み、これからは首都圏に近いところが多くなります。今回から4回は、首都圏から2泊3日ほどを使い、猪苗代を起点に、東西に拡がる磐梯山脈に攻め込んでみたいと思います。
今回は猪苗代から足を伸ばし、山形県入りして上杉謙信のお膝元である米沢市に至り、その近郊に切り開かれた原野のバブルリゾート廃墟、かつての県内最大規模のガラ権開発の跡を訪問します。
スタート地である「道の駅・猪苗代」を出発した筆者は、磐越道を西に舵を取り、会津若松市内に入ります。お城の天守閣やさまざまな歴史名所はスルーし、北に向けて走ります。ラーメンで有名な喜多方市からは山道となり、峠を越えるルートです。
目指す山形南部、米沢市からほど近い山林の中に切り開かれたリゾートの名前は、「サンマリーナ玉庭 1」と言います。あまりに辺鄙な山奥であり、新潟・山形・福島のどの県にあるのか分からないほどの場所ですが、住所としては山形県です。
喜多方市から峠を超えると、米沢市への入口「道の駅・田沢」が迎えてくれます。いったん市内に入り、上杉謙信を祀る「上杉神社 2」で一休み。これから行く廃墟リゾートの測量を、無事できることをお祈りしました。
サンマリーナ玉庭
「太陽住建」によるサンマリーナ玉庭は、1989年にスキー場、1990年にゴルフ場を開業して本格的に開発が始まります。そして次なる大型案件として、コンドミニアムホテルを同年、開業します。
この山形最大規模の「皮剥ぎ」開発は、新聞などでかなり派手な広告が出ていて目立っていました。ガラ権マニアとしては注目せざるを得なかったのですが、いかんせん遠く、雪の問題もあり、アクセスが難しいと感じたものです。どこにでも行く筆者ですら、誰が買うのかがイメージできないリゾートでした。
当時の資料によると、地下1階、地上10階、170室の大型ホテルでした。各部屋は「サンマリーナクラブ」として会員権として分譲されました。最初の36室を「特別正会員」として1室単位で法人向けに分譲し、それ以降は一般的な共有制のリゾート会員権としての小口分譲でした。
アクセスが悪い場所ですから、オーナーと運営会社は賃貸契約を結ぶことによって一般客も利用できるようにする、いわゆるペイバック契約を含むものでした。さらには、RCIにも加盟していました。
一口は約500万円くらいと、大型案件の割には、他と比べて割安感のあるものでした。
メガソーラー
前回の鶯宿温泉も同じですが、ずっと気になっていても、遠くて見にも行けないもどかしさばかりがありました。サンマリーナは結局、現地に到達する前に倒産してしまいました。
そして今回、筆者がようやく到達した時に見たものは、リゾートの末路として、あまりにも寂しいものでした。そこは廃墟となっていただけでなく、一面のメガソーラーが設置され、リゾート内に入ることさえできなかったのでした。
さらには、そのメガソーラー自体も大雪の被害で廃墟になっています。現在では廃墟マニアが訪問する有名な場所となり、ガラ権の終えんとして、最も悲しいパターンだと言えます。
数多くのユーチューブ動画から、優れたドローン作品をひとつ選びました。どうぞじっくりとご覧ください。
太陽住建
本リゾートの開発主体は、太陽住建というマンションデベロッパーで、分譲したマンションは都市やリゾート地と多彩でした。全国にいくつも同じ名前の会社がありますが、このサンマリーナ開発に携わった会社は消え去っています 3。
リゾート倒産後のメガソーラー設置などの複雑な権利関係については、所在地である山形県川西町でも議会で取り上げられ、後始末の論議がなされようとしました。しかしどこから手を付けていいか分からない状態である現状が、議会録からは見て取れます 4。
筆者はこの場所に到達しましたが、進入禁止で中に入れず、本記事でお見せしたような写真を撮ることができただけです。ゴルフ場クラブハウスやホテルを、メガソーラーの先に小さく見ることだけはできました。
ファミテックNIKKO
玉庭の話はここまでとしまして、メガソーラーの話題でもう1つ、かつての会員制リゾートを紹介します。それはリゾートトラストが来年新施設として開業する予定の「サンクチュアリコート日光」にかなり近い場所にあります。
その名を「ファミテッククラブ」と言います。現在も2カ所で一般施設として営業中ですが、原野の皮剥ぎ後、クラブ施設で一番大きなホテルが廃墟となり、現在はメガソーラーで囲まれています。
この施設については、YouTuberの吉川祐介氏が詳しい動画を公開していますので、興味のある方はぜひご覧になってください。
吉川氏の動画で詳説されているので簡単に書きますが、この倶楽部の小口分譲システムはユニークです。1973年ごろの話ですが、レジャークラブに不動産所有権を付けた会員権として販売されます。ところが、ホテルそのものを分譲するのではなく、ホテル周りの土地を細分化して会員に割り当てるという方式でした。
原野商法をルーツとするガラ権が多い中で、このファミテッククラブは、最も原野売りに近い形で販売されたものとして、特筆すべきものがあります。
筆者は本クラブ施設のうち、廃墟とメガソーラーで有名となっている「ファミテックNIKKO(明神)」の営業中の部分から入り現地を確認しました。「ホテルファミテック明神」は現在も営業が継続中です。
廃墟となっている鏡張りの大型ホテル「ホテルファミテック明神新館」の敷地に入るのは憚られたため、引き返して日光例幣使街道から撮影をしました。
斜面に拡がるメガソーラーとその奥の巨大ホテルは、ここもサンマリーナ玉庭と同じく、廃墟マニア訪問必須の場所となってしまっている悲しい光景でした。
原野商法にルーツを持つと思われる、今回紹介の2つのガラ権。皮を剥がれた原野は、自然に戻るならまだ良いのですが、こうした産業廃棄物となって片付けられないまま残るのは「残念以上」のものがあります。
筆者はガラ権ファンとして、この現実をクラブ施設の終焉の一類型として直視し、言葉を失うほかはありませんでした。
現在、インターネット上に残る記録は多くない。以下は椿ゴルフによる破綻後の記録をまとめたページ。
・サンマリーナ玉庭ゴルフ倶楽部・サンマリーナ玉庭GC(山形県)が競売で落札-椿ゴルフ
こちらは西松建設の実績紹介ページ。
・サンマリーナ玉庭 | 西松建設株式会社 ↩︎明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立。なお、上杉家廟所(国指定史跡米沢藩主上杉家墓所)は別の場所。
・羽前米沢 上杉神社公式ホームページ
・上杉家廟所(国指定史跡米沢藩主上杉家墓所) | 米沢観光ナビ ↩︎太陽住建のリゾート開発を請け負っていた日鉄商事は債権回収ができず、債務超過に陥るなど経営難に陥った。同社は新日鉄グループの中核商社だったが、その後、イトマンを吸収して総合商社となっていた住金物産と合併。日鉄住金物産(現・日鉄物産)となった。
・沿革|会社情報|日鉄物産株式会社
・新日鉄に金属支援要請、日鉄商事、特別損失300億円 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
・日鉄商事と住金物産、10月めど合併 拠点有効活用 - 日本経済新聞 ↩︎
【筆者からお伝えしておきたい、今後予想される論点】
ガラ権見て歩き今昔物語、いつもご愛読ありがとうございます。
「不動産所有権付帯のガラ権」が誕生して約60年(当初は1棟や1室所有の別荘に始まり、建物船体区分所有からフロアや部屋の36・49分割に至るまで)となります。所有欲が満たされると言う以上に愛着を感じるこの会員種別ですが、これには様々な所有者義務も付帯してきたこととなりますね。その最たるものは、固定資産税支払であることから、この種の会員であるガラ権ファンの皆様も毎年煩わしい?思いをされてきたことと思います。所有者義務(固定資産税含む)は、ガラ権今昔物語の各記事に共通した話であることから、これまで筆者の体験で一度少し書いたことがあるものの、正面から本文中で触れたことはありませんでした。
ところで、行政側が「所有者不明土地」が拡大するのをせき止めようと、昨年4月より、「相続登記の義務化」から着手し、5年後程度をめどに順次「現在の所有者の特定(住所・氏名の変更登記の義務化)」に至る、本格的取り組みに向けて動き出しています。この流れは当然のことであり、筆者も全く異存のないことであります。当事者にならない限り強く意識して生活していないが、空き家などを見た時には感じる不安感や漠然とした危機感、次のようなアンケートを含む記事でも、その事実が浮き彫りとなっています。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000025.000118875.html
今回連載で取り上げた、メガソーラーに囲まれた廃墟建物や切り刻まれた土地、これらにも当然、区分所有者はいるわけですが、登記に関する法令が未完全であったために、多くの所有者不明・固定資産税の未回収が起こってきていて、自治体側でもその対応に苦慮しているのが、議会議事録からも伺えます。
本投稿は、今回取り上げたような残念な最後となったガラ権の連載記事が公開になったタイミングが最適と思って、今施行されつつある「不動産登記」がらみの法制化の流れを確認し、併せて、不動産所有権付帯のガラ権所有者の出口対策を再認識する論点について書かせていただきました。下のリンクをご参照ください。肝に銘じておかなければ後世に悔いを残すことになることにご注意いただければ幸いです。
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202203/2.html