本連載の紀伊半島編は、関西国際空港からスタートし、半島の西をなぞって本州最南端「串本」に到達しました。ここからは、読者の皆さまにも馴染み深い、伊勢志摩エリアを目指して半島東岸を北上していきます。
冒頭の写真は「大王埼灯台」です。志摩半島の東南端に立つ白亜の灯台であり、全国に16ある「登れる灯台」の1つとして人気があります 1。今回は本州最南端からここまでを走破し、その間にある「奥志摩」エリアに開発されたガラ権とかつての大型施設の現在について紹介します。
熊野速玉神社
本州最南端に近い、フェアフィールド・バイ・マリオット・和歌山串本(つまり「道の駅 くしもと橋杭岩」)からスタートし、まずはこの後のガラ権巡りの無事を祈るため、熊野三社の一つである「熊野速玉神社 2」にお参りしました。
熊野エリアはアクセスは大変不便ですが、山奥にある「熊野大社 3」に至る各地からの歴史街道「熊野古道 4」(世界遺産)の存在で、一大観光地になっています。
ここで、ガラ権立地のおさらいをしておきましょう。非常に有名な観光地であろうとも、都会からアクセスが悪く、別荘地・保養地とならない場所にはガラ権は発生しない、というのが原則です。串本を出てこの日のゴール、志摩に至るまでの「途中」には、全くガラ権施設はなかったと言うのが、その証拠でした。
しかし、志摩市に入ると急にガラ権が湧いて出てくるのです。
熊野古道センター
熊野速玉神社は、熊野川河口(熊野川下りの終点でもあります)にありますが、ここは和歌山県と三重県の県境です。ここから先は、紀伊半島周回の最後となる、三重県に進むことになります。
なるべく自動車専用道路は使わず、景色を楽しみながら北上します。三重県の最南となる尾鷲市には、立派な「三重県熊野古道センター 5」があり、世界遺産・熊野古道を三重県からの視点で俯瞰できる、優れたビジターセンターとなっていました。立ち寄って説明を聞いたりしたのですが、筆者屈指のお薦めスポットとなりますのでご記憶ください。
さらに進むと、景色にはリゾート感が漂いはじめます。それは伊勢志摩国立公園 6 に突入したサインです。串本から志摩中心部まで、休まず走って3時間強ですが、途中で観光や休憩しながら進んで、一日がかりのドライブコースとしても良さそうです。
志摩国
伊勢志摩国立公園エリアは広範囲で、日本最高レベルの観光・リゾートエリアですので、今回以降、開発の歴史や散らばるガラ権施設をぐるぐる回りながら、シリーズで見て歩きいたします。
古くは、尾鷲市から少し北上した紀北町の「道の駅 紀伊長島マンボウ 7」より道が分かれる沿岸部分は「志摩国 8」とされていました。
リアス式海岸が続く志摩国は貧しい漁村が点在するのみで、人口も少なく、開発もされませんでした。ずっと北上して鳥羽市に至るまでが「志摩国」でありましたが、南の方はほとんど人も住まない僻地であった証として、かっては国ごとに定められて崇拝されてきた諸国第一の格式を誇る神社「一の宮」が、エクシブ鳥羽のある鳥羽市安楽島まで行かないとないということです。
この志摩国一の宮参拝に、resortboyさんが向かった記録を過去のブログで読むことができます。全国一の宮をほぼ制覇している筆者も、ここはまだ未到達である難所です。このように志摩エリアは開発が遅れた場所ですが、それだけに今もって豊かな自然が残っています。
奥志摩とは何か
筆者は今後、南の志摩エリアから順に伊勢志摩国立公園に切り込んで行きますが、ド田舎であった志摩エリアも、伊勢・鳥羽といった北側から少しずつ開発の波が押し寄せています。その中で、最後まで手つかずに近かった場所は「奥志摩」と呼ばれています。
古い文献では、伊勢・鳥羽との対照で志摩国そのものを奥志摩とする記述もありますが、現在では志摩市の最も南の部分を指すと見れば良いと思います。筆者が考える「狭義の奥志摩エリア」はおおむね、以下の走破エリアのようになります 9。
この地図のスタート地は後で触れる「サンメンバーズ奥志摩」があった場所であり、本記事の後半ではこの地図にある奥志摩のスポットを訪ねてまいります。
僻地であるこの地には、観光ブームが去った今から新規開発はないと思われますし、以前からある温泉旅館ホテルも少ないのですが、現地で目立つのは、またしても大江戸温泉物語でした。
この「大江戸温泉物語 伊勢志摩」は、かつての名旅館「旅情館 紫光」の再生物件です。2010年に倒産した後、再生された本旅館は、再生後にさらに再投資され、現在は高級ラインの「Premium 伊勢志摩 10」となっています。
サンメンバーズ奥志摩
たどり着いた辺境の地、この奥志摩では、見ない方が良かったかもしれないけれど、触れないわけにはいかない、2つの無残なガラ権遺跡があります。
先の大江戸温泉旅館になった紫光ができたのが1974年だそうですが、ほぼ時を同じくして、小規模なガラ権施設もこの地に産声をあげていました。観光ブームによる大型温泉ホテルの興隆と、初期のガラ権施設の発生は、ほぼ50年前と歴史が重なります。これは各地で同様であり、ここ奥志摩においてもそれは確認できました。
その見ない方が良かったかもの2ホテルとは、リゾートトラストの「サンメンバーズ奥志摩」とHESTA大倉の「ジャンボクラブ志摩」です。
サンメンバーズ奥志摩はナビに仕掛けるも発見できず、通り過ぎてしまったのですが、後でストリートビューで確認しました。建物には植物が全体に覆いかぶさる凄い光景で、まさに遺跡と言えるでしょう。
本稿を書いている現在でも現存しているようですが、雑草の生育が激しい今の時期には、もっと凄い光景になっていることでしょう。
現在のガラ権王者、リゾートトラストが1975年にオープンした32室のホテルで、閉館は2006年5月31日です。以来18年余り。なぜいまだに醜態を晒しているのでしょうか。何か壊すにも壊せない事情があるのでしょうか。
ジャンボクラブ志摩
もう1つのガラ権遺跡「ジャンボクラブ志摩」は、通行止めで到達できませんでした 11。Googleマップを見ると、その通行止めになったホテル敷地へのアプローチ道路の手前に、ホテルの看板がまだ現存していました。
旧ジャンボクラブ、現在のザ グラン リゾートの施設には、こうした放置されたものが他の場所にもあるのを知っていますので、資金的余裕がないのかなと思っています。
こちらについては、廃墟好きの方によって撮影された動画が公開されているのでご覧になってください。
小規模施設とはいえ、かつては立派な施設だったのではないかと思います。いかに立派な物件も時を経るとこのようになるし、改修・再生できない場合は、後に痛々しい姿を晒すことになるのです。
読者の皆さまは、多かれ少なかれ「ガラ権ファン」でいらっしゃいますので、お目汚しを覚悟の上で以上の2ホテルの現状をご紹介しました。
メルパール伊勢志摩
最後に、奥志摩エリアで最も立派で、かつ現在においても大いに利用価値のあるホテルを1つ紹介します。現在名を「都リゾート 奥志摩アクアフォレスト 12」と言います。
今後紹介する「都リゾート 志摩ベイサイドテラス 13」が近くにあり、非常に似た名前であり、また規模的にも同じくらいです。ガラ権ファンの皆さまが間違うことはないと思いますが、この2つについては意識をして区別していただけましたらと思います。
このホテルは会員制ではありませんが、筆者は「ガラ権臭」を感じ取り、現地を確認に行きました。長年の経験から、立地や規模から察すると、ガラ権施設、つまり会員権方式でバブル期に建設されたホテルなのではないか、と気になることがあるのです。
筆者はエントランス付近から上記の写真を撮りましたが、これだけですと全く全容がつかめない大きさですので、以下の公式航空写真でその大規模ぶりをどうぞご覧ください。このスケールにして総客室127室と壮大な規模感です。
何故、このように大規模なのか。答えは、この施設は元が1999年開業の郵便貯金総合保養施設「メルパール伊勢志摩」であったからです。総工費は実に250億でありました。バブル終焉の後、リーマンショックを経た後に開業するなんて、役所仕事とはいえ、あきれます。
すぐに潰れて、2007年には志摩市がわずか4億円で引き取り、同額で近鉄が買ったとのこと 14。
今後の連載にて詳しくご紹介しますが、近鉄はこの志摩エリアの開発に執着していたために出来たことです。4億で買って14億円をかけて改修し「ホテル近鉄 アクアヴィラ伊勢志摩」として再開しました。
その後、近鉄のホテル事業のブランド再編で名称が変更され、現在の「都リゾート 奥志摩 アクアフォレスト」となりました。
2024年で世界遺産登録20周年を迎えた。
・熊野古道 – 熊野本宮観光協会
・熊野古道世界遺産20年 | NHK津放送局 ↩︎マップの走破ルートの南側が奥志摩と言ってよいが、近鉄が開発した賢島とヤマハが開発した合歓の郷(現在は三井不動産)の2つのエリアは例外として、奥志摩には含まれないと考えるのが普通である。これら2つのエリアについては、今後の連載で詳しく取り上げる予定。 ↩︎
最寄りのバス停には今もジャンボクラブの名が残っている。
・ジャンボ前 | バスマップ ↩︎・近鉄は三重県志摩市の「メルパール伊勢志摩」を買収 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
・都リゾート 奥志摩 アクアフォレスト - Wikipedia ↩︎