鳥羽は安楽島温泉郷を訪ねたのは初冬で、夕方5時にもなると真っ暗。「アルティア鳥羽」の姿を見た後は、宿に向かうしかなかったのですが、もう来ることもなさそうでしたので、その先の坂道をさらに降り、半島の突き当たりまで行きました。
その理由は、アルティア鳥羽 1 からその突き当りまでの広範囲に渡る部分は、かつて藤田観光が「緑の村」として切り開いた一大リゾートエリアであり、この日の締めくくりに見ずに立ち去ることは出来なかったからです 2。
この時すでに閉業していた大型温泉旅館ホテル「鳥羽小湧園 3」や、6棟もの巨大リゾートマンションが立ち並び、中央部分には共有制リゾート会員権として知られる老舗ガラ権「ウィスタリアンライフクラブ 4」のホテルが2棟あります。
藤田観光の「緑の村」
アルティア鳥羽のある辺り一帯も「緑の村」であって、藤田観光が分譲したエリアは、ホテル、戸建別荘、企業の保養所、リゾマンが入り乱れた、昭和日本のリゾート開発の典型を今に伝えています。
その緑の村とは、藤田観光の別荘地開発の統一ブランドで、箱根強羅のすぐ近く、箱根小涌園やユネッサンを中心としたエリアがもっとも有名です。同様の開発が鳥羽でも行われました 5。
アルティア鳥羽から、曲がりくねった急坂を下りながら、行き止まりとなる「フジタ第六鳥羽マンション」の前に到着しました。
ここで前回の「泉郷」に続き、ガラ権史を振り返る時に、必ず出てくる「フジタ」という単語の意味を学ぶことになります。
「試験にでるガラ権」の単語集(通称「でる権」6)があるとすれば、もちろん入る大事な単語です。「フジタ」とは先に書いた藤田観光のことであり、かつての藤田財閥から観光部門として独立した、日本のホテル業界を代表する企業の1つです 7。
そのフジタが1980年代に開発したガラ権である「ウィスタリアンライフクラブ」について、本稿をはじめ、他の施設を取り上げていく際、順次ひも解いていきたいと思います。
グリーンサービスとグリーンメンバーズ
過去の話の前に、現在の大事なことを先に書きます。筆者自身、この訪問時において、ウィスタリアンライフクラブの運営は藤田観光によって経営・運営され続けていると思い込んでいました。
しかし現在は、藤田観光と関係のない「グリーンサービス」(元の「藤田グリーンサービス」から引き継いだ企業だが藤田との資本関係は全くない)という会社がクラブを経営しています 8。今回の鳥羽だけでなく、藤田観光の本拠地の1つである箱根小涌園エリアなどを今後書いていくにあたり、歴史については、主に資本変更前、フジタ時代のクラブについて語ってまいります。
本題のウィスタリアンライフクラブ鳥羽と関係がない余談を、先に一つ。ガラ権、つまりリゾート会員権または会員制リゾートクラブの歴史の源流は、この藤田観光が出した「フジタグリーンメンバーズ(FGM)」であるとされることがあることについて、筆者の見解を述べておきたいのです。
藤田観光の公式沿革においては、1965年に上記ガラ権を日本で初めて開発 9、とあります。もちろん、これはある意味、間違いとは言えませんが、ガラ権に相当する「施設」を持たない、それまでに作られていた藤田観光の旅館・ホテルなどの「利用権だけ」のクラブだったということで、ここを最初とするのは正確ではないと考えています。
会員権という以上、預託制・共有制を問わず、一般ホテル併用であったとしても、メンバーが宿泊の権利を完全なる優先権を持って使える「専用のホテル」の存在を要件とすべきと、筆者は考えています。では、そうしたクラブの源流は何かという話題については、今後、この連載で箱根エリアを取り上げる際に、再度お話したいと思います。
ウィスタリアンライフクラブ鳥羽
さて、藤田観光の経営ではなくなっていた安楽島半島の先端、「フジタ鳥羽マンション」(最初にできたいわゆる「第一」)と連結する、「ウィスタリアンライフクラブ鳥羽 10」について見ていきます。
藤田観光の鳥羽開発は、1965年の鳥羽小涌園が最初です。その後、1979年から全国各地で共有制のリゾート会員権としてウィスタリアンライフクラブの分譲が始まります。クラブ発足は1980年10月のようです。大手企業が手がける本格的共有制ガラ権としては、東急ハーヴェストクラブの発足が1988年であることを考えると、藤田観光はこの事業に積極的であったことがわかります。
大手らしく、日本リゾートクラブ協会には一度も加盟したことがなく、独自の道を歩んだことも見て取れます。
ウィスタリアンライフクラブ鳥羽は、1981年築のフジタ鳥羽マンションと廊下で連結し、ビーチに沿って中央部(第Ⅰ)と、さらに連結された第Ⅱが並び立つ構造です。緑の村に次々に建てられた第六までのマンション建物とほぼ同じ外観デザインで、仕様もリゾマンと考えてよく、それだけにスッキリとした広い空間を持ちます。
会員権が設定されたのは、第Ⅰ(40室、1室7人で共有)と第Ⅱ(36室、1室10人で共有)合計で、全76室です。第Ⅰは1981年のフジタ鳥羽マンションと同時に建てられ1982年開業、第Ⅱは1984年であります。すぐ先にはホテル鳥羽小涌園のプライベートビーチ「トロピカルビーチ」があったので、夏の海水浴を伴うファミリ-での滞在にもっとも向いていました。
まさに別荘・保養所的利用に特化した会員権であり、それこそがウィスタリアンライフクラブの設立趣旨でした。
藤田観光の撤退
ただし、現在利用するにあたっては、2つの大きなハンデがあることを書いておく必要があります。
現在、ウィスタリアンライフクラブ鳥羽は一般客利用も可能ですし、安価な料金体系に見えますが、鳥羽小涌園が閉業した今、単体ホテルとしては問題が多くあります。
1点目は温泉大浴場がないこと(部屋のお風呂を使うしかない)で、2点目はレストランがなく出前などを自分の部屋で食べるしかないこと(お弁当を頼むことは可能 11)です。築年数は35年を超えるものの、メンテナンスやリニューアルがきちんと成されてきたようで、「楽天トラベル」などのレビュー評価には高いものがありますが、この2つのハンデをあらかじめ承知したうえでのものとして見る必要があります。
このエリアは藤田観光によって緑の村として総合開発されてきたので、温泉やレストランはやや離れるものの盛況であった鳥羽小涌園を使う、というのが前提でありました。そしてリゾートクラブとしては単純な宿泊特化のリゾートマンションとして開発した背景があったのです。
藤田観光は鳥羽からの撤退を決め、2016年9月30日に鳥羽小涌園の営業を終了しました。現在は他社に売却(現在は取り壊し中とのこと)し、緑の村からも撤退。ウィスタリアンライフクラブはクラブごと新「グリーンサービス」の管轄になっています。このことによって宿泊特化型のハンデが浮き彫りになったのですが、その事実は筆者もノーマークだったので驚いた、という顛末記でした。
今回は紙幅もなくなってきたので、藤田観光とウィスタリアンライフクラブの話は、今後の連載の中で、本場である箱根小涌園エリアの回にタスキを渡したく、ここまでとします。
アルティア鳥羽 / 泉郷プラザホテル鳥羽 | 名古屋のマンデベが築いた「至高の国」の数奇な運命 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎
冒頭の写真は、伊勢志摩スカイライン上にある朝熊山山頂展望台から。鳥羽市街から伊勢湾に浮かぶ島々への眺望を堪能できる。今回の舞台、安楽島温泉郷は中央右。「天空のポスト」「展望足湯」はぜひ体験したいスポット。
・朝熊山頂展望足湯 | スポット・体験 | 伊勢志摩観光ナビ - 伊勢志摩観光コンベンション機構公式サイト ↩︎鳥羽小湧園は1965年に開業、2016年9月30日に営業終了。
・【ホテル鳥羽小涌園】開業から50年、永きに渡りご愛顧いただき誠にありがとうございました 「ホテル鳥羽小涌園」営業終了のお知らせ | ニュースリリース | 藤田観光株式会社 ↩︎フジタは撤退したが各地の別荘地「緑の村」は健在である。一例として東急リゾートが仲介している箱根の物件を紹介する。
・箱根別荘地:箱根小涌園 緑の村 - 東急リゾート ↩︎関東では「でる単」、関西では「しけ単」であるため、関西の方は「しけ権」とお呼びください。
試験にでる英単語 - Wikipedia ↩︎かつての「藤田グリーンサービス株式会社」がそのまま「グリーンサービス株式会社」として営業継続している。現在の親会社はアドミラルキャピタル株式会社の子会社であるウィスタリアン株式会社。
・藤田観光、会員制リゾート事業を投資ファンドに売却 - 日本経済新聞
。会社概要、投資実績 | アドミラルキャピタル株式会社 ↩︎鳥羽の仕出し弁当「魚平(うおへい)」と提携している。また、外食先として以下の食堂が紹介される。
・伊勢志摩 鳥羽のお食事処 昼食・夕食・海鮮丼 漁師めし みなと食堂 ↩︎