東京ベイコート倶楽部とWaikiki Landmark

トラスティ部分もコピーしていたとは、おそれ入谷の鬼子母神。この案件はそれほど似ていないとなんとなく思っていましたが、有明運河とアラワイ運河、トラスティ部分の別棟やその向き・配置も含めて、かなりの再現度で、確認してみて改めて驚きました。

LandmarkよりもTBCCの方が格段にかっこいいし、アールデコの意匠を加えて断然よいものに仕上げているから、まさにヨシロウさんの真骨頂だと思います。

ヨシロウというのはもちろん高橋ヨシロウではなく、僕の尊敬する伊藤與朗さんです。

Waikiki Landmark Condos of Honolulu, HI | 1888 Kalakaua Ave

2件のコメント

  1. magoai

    以前勤務していた会社がランドンマークタワーにコンドミニアムを所有しており家族を伴って何度か宿泊しました。
    宿泊費は不要とは言えハワイの物価(特に食費)が高くなり過ぎて最近は利用することもなくなりましたが、ドン・キホーテも近く、また眺望にも恵まれ北側の山にかかる虹をラナイからよく眺めておりました。
    先日初めてベイコートを訪問した時に姿かたちがよく似ており(私はランドマークの方が迫力があって好きです)懐かしく思いました。

  2. zukisansu

    またまた、そっくりさん妄想にお付き合いいただきありがとうございます(笑)。変態趣味に引き込んで申し訳ないです(爆)。凱旋門型の建物は、世界にはいくつもあるかもしてませんが、私がベイコート・リゾートとかけて、すぐに原型としてイメージしたのは、ランドマークタワーであり、階下の細部まで似ていることに驚きました。ワイキキに行く人では、交通の流れとして、ヒルトンハワイアンヴィレッジから、アラモアナに自然に誘導される感じがあるのと、ワイキキでも、昔からあってRCI交換などでも有名なハワイアンモナークという超高層タワーコンドミニアムばかりが目につき、私のように、事前に検索をかけレンタカーで走り回る人以外、ランドマークタワーまで行くのはちょっと盲点(運河側の裏手に見え、ハワイアンモナークによって影が薄い)となるため、なかなか訪問しないところに立地します。

    この比較写真が紹介されたことでリゾート遠野物語「語り部」としましては、ここが建築物的にそっくりさんであることとともに、このランドマークタワー自体の、建設計画や出来上がり、その後の販売不振についても、ベイコートと相似性があったことをここに記憶にとどめるため、書き示します。

    私は当時、ハワイに何度か行って販売不振も聞いていましたが、ブログ上に残る記録が一番間違いないでしょう。そこで、Hawaii Living さんのサイトから、「ホノルルのコンドミニアム開発の歴史:1950年代から2017年まで」の記事から、

    ワイキキランドマークに関係するところを引用させてもらいますと、

    「この景気急成長の両面を語る最も悪名高い例にワイキキランドマークがあります。この巨大コンドミニアムは建設が進むについて経費が糸目なくつぎこまれ、支援者はホノルルの不動産価格は高騰し続けると信じていました。ところが、タイミング悪く完工直前に日本のバブルが弾けます。過剰支出とマーケットの崩壊によりマンモスタワーは何年も空室のままとなりました。

    日本とハワイの深い経済関係が景気の悪化に多大な影響を与えることになり、不動産業界初の不景気となりました。ホノルルの開発はほぼ休止状態となりました。
    「日本のバブルが弾けて一番打撃を受けたのは、バブル時代に一番適した投資先であったワイキキです。バブルが膨らみ続ける中、ある日本の投資家グループはワイキキランドマークの建設を始めましたが、バブル崩壊により完成直前にこのコンドミニアムを手放すことになりました。このコンドミニアムは何年かの間空っぽのまま置き去りにされました。

    90年代はホノルルにコンドミニアムを建設する上で困難をきたした10年でした。多くが困難を乗り超えられませんでしたが、乗り越えたプロジェクトは次の回復時以降に見返りがありました。この低迷時代はとても長く難局でした。しかし、1999年には、幸運にも好転しはじめ、確固たる土台がようやく見えてきました。」  このランドマーク 販売委面では、大変だったのです(今は持ち直しましたが)。この売れなかったころの苦労も、まさにベイコートがそっくりさんになっていたんですよ。くしくも、この凱旋門型そっくりさん、販売面でも、ともに苦労なさったのかと思うと、感涙いたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です