ガラ権の夏、日本の夏

まだ2024年の夏は終わっていませんが、お盆休み明けの今日からお仕事に復帰された方も多いかと思いますので、自分なりに2024年の夏を総括してみようと思います。

ひとことで言いますと、「ガラ権の夏、日本の夏」という感じです(オリジナルは「金鳥」ですよ)。

僕は今年の春で大学や研究会を通じた活動(ホテル利用学)を辞めて、今年と来年は主にzukisansuさんと組んでのガラ権研究(日本型リゾート会員権の研究)を個人的にやろうということで、日々、努力しています。そんな中でも2024年春以降のリゾートトラストをめぐる状況変化は目まぐるしく、「今やらずしていつやるのだ」ということで、現在、夏休みを利用して名古屋を拠点に取材活動を進めています。

写真は何かというと、その過程で参戦した久屋大通公園でのDJ夏フェス的なものでの一枚です。ガラ権研究のためだけに旅をするのは実に不健全で、精神に異常をきたしますので、このように一般的な人間活動をセットにして取材活動を行っています。

いや、このDJイベントはマジで楽しかった。

名古屋では主にリゾートトラストの企業文化の源流について、同社が50年前にどのような事業を行っていたのかを、現地の方の協力を得て聞き込み調査を行っています。それに関しては、秋に追加取材を予定していますので、発表までは少しお待ちください。

この週末は上記イベントが行われた名古屋は栄のど真ん中、錦三丁目に滞在し、50年前に生まれたガラ権の息吹を感じながら時を過ごしました(我ながら変態)。

週末に公開した「ガラ権連載」では、エクシブ鳥羽が建設されていた頃の広告を掲載して、当時を偲びました。その広告にはCIを行って宝塚エンタープライズからリゾートトラストに社名を変えたばかりの同社の住所が出ています。

海と空から、鳥羽エリアに手を振って

その住所は「名古屋市中区錦3-23-6」であり、こちらの写真にある「蒲焼町」というのは旧町名です。かつてここには「宝塚ビル」(または宝塚第一ビル)がありました。ビルができたときの住所は「名古屋市中区蒲焼町3-4」でした。そのビルのオーナー会社こそがリゾートトラストの源流です。

その宝塚第一ビルは2012年~2013年頃に閉鎖され取り壊され、駐車場となりました。8月半ばには何か工事が行われていたので、隣にあった旧栄町ビル跡地と一体となって再開発されるのかと思いましたが、どうも単なる駐車場の改修であったようです。

隣地の再開発は旧「栄町ビル」跡地ですが、そこには百貨店「丸栄」が1964年に作ったビルがあり、主なテナントは「名古屋国際ホテル」でした。栄町ビルは2021年に閉館し、2023年に解体されました。

現在、藤田観光のブランドとして知られる「ワシントンホテル」は、ここにあった名古屋国際ホテルが作ったビジネスホテル(宿泊特化型ホテル)である名古屋国際ホテル別館がその始祖となります。

ああ、ガラ権を正確に理解するには周辺知識が無限に必要だ。

というわけで、今日の記事はあまり意味のないもので失礼しました。非常に充実した取材活動ができていますので、これからの発表にどうぞご期待ください。

6 comments

  1. 蒲焼町!なんとなつかしい響きでしょうか。
    旧町名の由来は諸説あるようですが、このビルの跡地から、北に少し入ったところに、老舗うなぎ店、「いば昇」さんがあります。私はここのうなぎで育ちました (笑)
    今でこそ、うなぎ屋に櫃まぶしは当たり前にありますが、ここの櫃まぶしは名古屋一!と思っています。お値段もこれだけ全国区になっても決して高過ぎないし、店構えも私が知る限り昔のままです。

    幼少の頃、土用丑の日には、うなぎ供養のため閉店をして、名古屋城のお堀にうなぎの稚魚を放流していました。毎年中日新聞に記事が載り、父が「あの店は本当にえらい!」とほめるのが年中行事でした。

    国際ホテルや栄町ビル、そして宝塚ビル(このビル名はそういえばそんな名前だったと思い出しました)の思い出も数々あります。
    長くなるので、resortboyさんの取材が進んで、またの機会があれば。

  2. 先ほど、久しぶりにいば昇さんのホームページを見てみたら、「錦3丁目での開業当時」という画像が載っていました。
    https://ibashou.jp/#about

    隣に「いわし」と読める家が建っていますが、これは「いわしや薬局」といって、私の幼馴染のお家です。なんとこれもなつかしい!もちろん私が知っている友達の家はもっと新しい建物でしたが、この頃からお商売をされていたのだなあと感慨深いです。
    全く記事と関係のない思い出話で失礼しました。

  3. こんにちは。
    国際ホテル地下にあった銀坐は、実家の父はじめ家族みんな大好きなお店で
    誕生日などちょっとしたお祝いごとによく利用してました。
    成人してからヒレ酒の美味しさを知ったのは銀坐だったし
    長女のお婿さん家族との顔合わせでは、コロナ禍で営業時間が短縮されていた影響か
    当日私達だけの貸切状態、お婿さんのご家族は札幌からいらしてたので
    名古屋名物をメニューに取り入れてもらい、大変喜ばれました。

    移転のお話もあったそうですが、閉店になってしまいしばらくの間銀坐難民に…
    東急のな〇万や、他の割烹店などいくつか行ってみたものの
    しっくりくるお店が見つかりませんでした。
    今では近場のお寿司屋さんに通ってますが、バブル期の華やかな錦にあった
    国際ホテルと周辺は、今でも懐かしく思い出します。

  4. 最初に記事の修正について。記事を公開した後に名古屋を再訪したところ、宝塚ビル跡地の工事は終わっており、単なる駐車場の補修だったのかもしれません。隣地との関係については不明なので、本文を少し直しました。

    blueroseさん、hiroeさん、コメントありがとうございました。

    これから、いろいろと昔の名古屋のことを聞き取り調査して発表していきますので、ぜひまた協力してください。関係ない話のようでも、いろいろつながっていくものだと思います。

    「いば昇」さんには絶対行きたいと思います。以下は昭和35年発行の住宅地図です。

    錦三丁目 いば昇|名古屋名物 櫃まぶし(ひつまぶし)

    「銀坐」さんを訪れることは叶いませんが、関連してひとつ。

    名古屋国際ホテルと藤田観光が関連しているということを本文で書きました。以下、藤田観光側の話です。

    昔々、バブルの頃に藤田観光が、プチ椿山荘というか小型フォーシーズンズを目指して「成田ホテルフジタ」というホテルを1992年に開業しました。その中庭には、同じ名前の「銀坐」という、数寄屋造りの割烹がありました。

    建物は現存し、つい最近、測量してきました。これがその写真です。廃墟までは行きませんが、倉庫になっています。

  5. resortboyさん
    画像ありがとうございます。
    小型椿山荘に驚き、懐かしい屋号にウルっときました…

  6. hiroeさんに同感です。「銀坐」は名古屋の和食店では群を抜いていましたよね。
    うちでも本当によく利用していました。
    国際ホテルだけではなく、錦3丁目にあったワシントンホテルにもあり、どちらのホテルも和食だけでなく、他のレストランもコスパよし、味よし、サービスよしで利用しやすく、芸能人やスポーツ選手もよく見かけました。

    昭和35年発行の住宅地図、もちろんほとんどは全く覚えはありませんが、この頃はまだ一般の住宅もあり、思い浮かぶあの顔、この顔・・・
    そして、ABC温泉!! そうです、錦三のど真ん中に、銭湯がありました。
    向かいの「平岡菓子店」、銭湯帰りにアイスクリームを買ってもらいました。
    落涙寸前の思いです。

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