堺屋太一さんが亡くなる

堺屋太一さんが亡くなりました。以下の記事はまとめ方がうまくないと思うけれど、沖縄の観光開発の命を受けた堺屋さんの回想をとてもおもしろく読みました。

堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」:日経ビジネス電子版

自分が堺屋さんの死去についてメモを書こうと思ったのは、自分はお会いしたことはないのですが、堺屋さんに恩を感じているからです。

自分が大学生のときに、いわゆる招待旅行でヨーロッパにタダで行ったことがありました。学生向けの論文コンテストで入選して、とある新聞社の招待で、学生グループで欧州の周遊旅行に行ったと。

自分は今でもそうですが、妄想爆発系のコンセプト志向の文章を書くものですから、参考文献を明示するなどのいわゆる論文のフォーマットにちゃんとなっていなかったんですね。まぁ作文に毛の生えたようなものだった。だから審査員全体としてはあまり評価が高くなかったようなんですが、審査員であった堺屋さんが面白いと言ってくれたようで、それで入選が決まった。何しろ堺屋さんは大スターですから。

そんな話を授賞式のパーティで聞きました。堺屋さんは忙しくてそのパーティにはいらしていなくて、お会いすることが叶わずに残念でした。

ついでに思い出しましたが、その旅行に行って驚いたことは、こうしたコンテストに何度も入選する「論文ゴロ」「コンテスト荒らし」みたいな人たちがいたことです。なんかグループ旅行してみたら、半分くらいは知り合い、みたいな。自分は気づくのが遅くて、1度しかそのチャンスに恵まれませんでしけど。

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