がん患者になって、しかも、転移がんを経験して私の人生は変わりました。自宅にいても、旅先でも、どこか心の片隅に「がんの再発・転移、そして、死」という重い鉛のような不安がつきまとって心は晴れませんでした。
しかし、この不安が検査で消えました。この時は本当に嬉しく、自分が新たに再生したような気がしました。2016年6月、私が64歳の時でした。
映画「私をスキーに連れてって」
私は5年ぶりにコスメル島に向けて旅立ちました。「がんの再発・転移なし」が分かった翌年の2月、カリブ海に沈むキリスト像・マリア像に再会しに行きました。がん克服の報告とお礼の旅です。
この時は、成田からヒューストンまで全日空のビジネスクラスで飛びました。気分が良かったせいか、すべてが輝いていました。機内のCAは笑顔とホスピタリティにあふれ、フルコースの機内食は美味しく、そして見た映画2本も感動しました。その内の1本が、懐かしい映画「私をスキーに連れてって」でした。
この映画は、今から35年前の1987年に公開されたものです。当時の私は35歳。日本はバブル景気に沸き、若者はスキーに夢中でした。
志賀高原焼額山のロングコースを快適にダウンヒルし、志賀高原プリンスホテルに泊まる。そんな夢のようなシーンの中、若い2人が偶然出会い、恋に落ちます。主演女優の原田知世は清楚でとても可愛く、主演男優の三上博史のスキーはかっこ良すぎます(実際はプロスキーヤーの演技)。
私の青春もスキーとともにあり、友人や恋人と何度もスキーに行きました。新婚旅行は北海道ニセコでのスキーでした。子どもができてからは、志賀高原プリンスホテルが家族スキーの定宿になりました。
そんな青春讃歌の映画を見ながら自分の過去を振り返っていると、なぜか涙が出てきました。帰らぬ青春への憧憬?
若さは失ってしまいましたが、今では妻と2人の子ども、そして4人の孫にも恵まれました。たった1人で遠くメキシコに旅立つ時間と健康、そして多少のお金もできました。「いい人生だったな〜」と感慨にふけりながら窓を開けると、そこはアメリカの夜明けでした。
この数日前、私は65才の誕生日を迎えました(2017年2月旅行当時)。65才から75才まで、本格的な老後を迎えるまでまだ10年もあります。これから10年、何に向かって進もうか?
悩みは若者だけの特権にあらず。人間、いくつになっても「どう生きるか」悩むものですね。
転移がんを克服し、もうがん再発の不安は消えました。これからは何も心配することなく旅に出られます。私は新たな人生を求め、メキシコ・カリブ海に向かいました。
この時の旅の詳細が私のアマゾン(Kindle版)「夢の国際線ビジネスクラスの旅: 何とかして格安でビジネスクラスに乗ろう」第1章に書かれています。
私をスキーに連れてって、懐かしい映画ですね!恋人はサンタクロースという歌が流れていたように思います。僕もこれを見て原田知世が好きになり、スキーに行くようになりました。
波瀾万丈のがん闘病記、お疲れ様でした。
次の連載の参考になるかもしれまん。著者がノーベル受賞者の「テロメアエフェクト」、シンクレア教授「ライフスパン老いなき世界」は読まれましたか?どちらも参考になり、僕は実践しています。
園部さん、さっそく「テロメア」「ライフスパン」アマゾンで注文しました。
今年の1月頃でしたかね、園部さんから「100年ライフのサイエンス」を紹介してもらったのは。この本を読んでから、私の(忘れていた)「病気と健康」問題に火が付き、funasanのアンチエイジング日記につながっていきました。
funasan日記第2回(下記参照)に園部さんから頂いたメールをそのまま載せました。今でも同じ考えです。日記第2部再開まで、もっと勉強して材料を仕込みます。色々ありがとうございました。
「100年ライフのサイエンス」を紹介してくれた友人からのメールです。
「老化は制御できて、治療できる時代は必ず来ると、科学者や未来学者が断言しています。安全性と確信ができるまで待つか、それとも、我々はもう待ったなしの状態なので、運動、食事、空腹、瞑想、若返り薬と何でも試していくか。そのどちらかであると考えます。私は後者の方を実践したいと思っています」
私も全く同感です。座して死を待つより、未知の世界に飛び出して最先端の老人科学を学び、そして人体実験する。結果は「Nobody knows.」です。