「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」とはよく言われることだが、いま僕はアラフィフにして、まるで幼稚園の砂場のようなカオスな世界で、新たなスキルをリアルタイムで身に付ける体験の真っただ中にいる。
それは「保護者LINE」という新しい世界だ。
想像を絶するすごい重奏感とスピード感。キャラ設定とコンテクストを瞬時に判断して、適切な言葉遣いで演じ分ける。やり直しが効かない、その場限りの真剣勝負の世界がそこにはあった。
シーンはこうだ。4月はじめの始業式の日。それは新高2生にとっては高校生活の成否を決めかねない大イベントの日である。娘の学校では高3でクラス替えがないから、これは卒業クラスが決まることと同じなのだ。
親である自分は、3人目にしてようやくそのコトの重大さに気がつき、いつしかその渦の中に巻き込まれ、否応なしにスキルを磨かねばならない体験に放り込まれた。
今の世の中、LINEでつながっているのは子どもたちだけではないからだ。子どもたちが属するコミュニティごとに「保護者LINE」があるのだ。例えばこんなふうに。
・クラス全体のLINE
・クラスで仲のいいグループのLINE
・部活のLINE
・部活内の小グループのLINE
・個人同士のつながり
ワンオペ父さんである僕ですら、1人の娘のためにこれだけの数のクラスタに属している。そしてそこでのコミュニケーションが、「クラス替え」という大テーマで同時に進行するという事態が、今日、起きたのだ。
自分の子どものキャラと立ち位置を把握した上で、保護者としての自分の立ち位置を設定し、それぞれのコミュニティで発言する。おっさんだから、喋らなければ負けだし、喋りすぎてもいけない。長くならないように、そして適切に絵文字を入れることも大切だ。
これまでのクラスに感謝を伝え、これからの仲間に語りかける。悲喜こもごもの感情が入り乱れるから、必要に応じたフォローも必要だ。細心の注意をはらって、オーディエンスの息づかいを感じ取りながら、適切なタイミングで発言する。
難しいのは、大きなコミュニティと身近なコミュニティとでは微妙にコンテクストが違うことだ。個人情報は出さなくてもだめだし、出しすぎても子どもを通じて迷惑がかかる。プライバシーの「深度」がコミュニティごとに違うからだ。
また、おっさんの場合はスタンプ選びが難しい。スタンプは便利だが微妙なニュアンスを伝えるには事前準備と選択のスキルが必要で、自分にはまだまだ使いこなせない。
なにしろクラスのLINEだと組織率8割として40人近くが参加するグループだ。それらが同じ話題についてチャットするのだから、そのスピードの中でタイミングをはかるのは真剣勝負だ。複数の話題が並行的に走り、グループLINEで話すのか、それとも個別にリプライするのか、はたまた別のグループに移って発言してバランスを取るのか。
これはもう、eスポーツ顔負けだ。自分の発言をパスのように出し、そのパスがつながったときの爽快感や、またパスが通らなかったときの無力感は、まさにスポーツのそれと同じである。
この年になっても新たなスキルに挑戦できるのはありがたいことだし、喜びもあるが、ココロに余裕がなければなかなかできないことだ。健康(カラダ)とヒマ(ココロ)があってこそ、新しい風にめぐりあったときに反応できるのだと、アラフィフのおっさんはほっと一息付きながら、ひとりごちる。
ところが、相手である40代女性陣は、仕事中とか、地下鉄の中でこの「スポーツ」に参加しているのだ。Oh!なんということだ。彼女たちは、もうすっかりデジタルネイティブ化していて、決してガラケーやらくらくフォンではないのだ。聞けばレーシックに遠近両用コンタクト。ハズキルーペなど別の世界の話のようだ。
そんな体験に打ちのめされた春の嵐の一日。