北海道のリゾート会員権史を学ぶべき理由

今、研究家としての僕がもっとも注力しているのは、まちがいなく、zukisansuさんと二人三脚で取り組んでいる日本リゾート会員権史の記録事業です。それは「会員制ホテル今昔物語」の連載という形で進行しているのは皆さんご存知かと思いますが、今日は企画制作担当の立場から、連載20回を迎えたことを節目として、皆さんにこの連載の意味付けについてご案内したいと思います。

なぜガラ権連載なのか

最初に、なぜガラ権連載なのか、なぜ古いホテルの話をいまさらするのか、という点については、連載のプロローグとしてzukisansuさんが書いてくれていますのでそれを読んでいただくとして、僕から付け加えたいことは、「ここに書かれていることは既に起きた未来である」ということです。

リゾートトラストと東急を除けば、ガラ権(日本型リゾート会員権)の全盛期からすでに30年以上が経過しました。当時、一線で活躍していたビジネスマンは引退し、ホテルの由来も何もわからなくなってきているものが増えてきました。

今話題となっているアコーホテルズの大量上陸(グランドメルキュールなど)や、今やリゾートホテルブランドで認知度ナンバーワンとなった星野リゾートの基礎は、いずれもリゾート会員権由来であることを、誰も知りません。

今年起きる空前絶後のガラ権パワーシフト

特にリゾートトラストの会員の方に、この世界、つまり会員権方式のホテル開発において、過去に何が起こったのか、ぜひ知っておいていただきたいと思っています。それは過去に学ぶことで、いま目の前で噴出しているさまざまな「いい話」「おかしな話」を読み解く助けになると、僕は考えているからです。

北海道編

この連載は第一期事業として100回を企画している壮大なものです。おかげさまで連載も20回を迎え、第一期の山場である北海道編はあと1回を残し、函館で遊んでから東京に帰るのみとなりました。

今日はその20回の中から、北海道編について、以下にリーダーズガイドとなるようなものを書きます。

なお、著者のzukisansuさんは、「ガラ権界の伊能忠敬」の異名を取り、ハードなドライブ旅をなさる方です。本連載においてもルート取りにこだわって、単発の紀行記事としても成り立つようにと企画されています。そのため、連載を掲載順にお読みいただくことには大きな意味があるのですが、あえてここでは、「いま、リゾート会員権ユーザーが知っておくべき」という視点で、一部に絞って紹介します。

トマム3部作

会員制リゾートが世界一を目指したあの頃(前編)

会員制リゾートが世界一を目指したあの頃(後編)

会員制リゾートが世界一を目指したあの頃(拾遺編)

やはり最初に知っておくべきなのは、トマムの開発発展史であろうと思います。

トマム開発時には、リゾート会員権(預託金制が主体で共有制や普通の分譲も併用)方式で建築費を回収しようとしました。トマム第一期は大成功しますが、第二期の途中でバブル崩壊となって挫折となります。しかし、この開発の段階においてリゾート会員権がうまく機能するのは、その後のこの産業の成長でもある程度証明されていることかと思います。

破綻の後は、最終的にトマム全体が中国の復星集団のものになります。経緯は、加森観光の伝説の弁護士が考案した「固定資産税回避ウルトラC」なども含めて複雑なので割愛しますが、これが所有(資本・オーナーシップ)の視点です。

その過程で加森観光と星野リゾートが登場します。加森はアルファ時代のスタッフの雇用を継続しますが、星野となって全とっかえになってオペレーションが変わり、それまでの会員制時代からのファンは一気に白けることになります。これが経営(スタッフ雇用)の視点です。

トマムは現在、星野リゾートとクラブメッドの2枚看板になっています。これは運営(ブランド・オペレーション)の問題ですが、クラブメッドが参入したのはリゾート破綻から長い期間(20年近く)経ってからで、その理由はオーナーシップが行政(占冠村)と星野に分散していたことが影響しています。

まとめると、開発した後、「所有、経営、運営」という現代ホテル経営の三層構造に加え、リゾート開発で必ず関わってくる行政という5つの要素が絡み合いながら、リゾート会員権方式から現代的なホテル経営へ移行したトマムの長い物語は、これからのリゾート会員権絶望未来を迎える上で、関係者の誰もが知っておくべきケーススタディであろうと思います。

キロロ

ヤマハ開発のキロロ、シェラトンからクラブメッドに

トマムに比べると、他の北海道編からの学びは、もっとシンプルですが、ケースごとにパターンが異なります。

まずキロロですが、ここは単独の豪華ガラ権が破綻後、国際ブランドを転々として(スターウッドからクラブメッド)、結局、トマム同様、中国の復星集団の傘下となりました。

ヤマハは大会社でしたし、預託金制で所有権も分散していなかったため、いったん自己所有とした後に売却されました。会員権の処理についての詳細はわかりませんが、大資本のサブ事業ならどうとでもなるということであり、残されたハードが活用された理由は、会員権が権利処理しやすい預託金制であったからでしょう。

これを「バトンタッチ忘却パターン」とでも呼びましょう。僕はヤマハの企業ミュージアムまで行ってキロロのことを調べようとしましたが、ヤマハは完全にこのことを忘れています。

ルスツ

堅実なリゾート王が大事に育てたあげたルスツ

ルスツは加森観光が手塩にかけて育てており、同社はバブル崩壊を、米国に持っていた2つの名門スキー場をたくぎん破綻直前に現金化するというファインプレーで、見事に乗り切ります。

加森にはリゾート会員権もありましたが、あくまでサブ事業であり、所有権の分譲もしていないと思います。ルスツタワーホテルは最上階を会員専用として会員権のベネフィットを維持したままウェスティンとしての運営に切り替えました。

これは「存続ウィンウィン・パターン」とでも呼びましょうか。

エイペックス

日本最大の破綻ガラ権、サミット開催に歴史刻む

エイペックスは完全にたくぎん案件でしたので、カネも莫大にかかっていますが速攻で処理され、見事に再生。会員権は跡形もなくなりました。もちろんこれも、会員権のすべてが預託金制であったからですね。

これは「強制リセット・パターン」とでも呼びましょう。

ニセコ

世界に羽ばたいたニセコの開発今昔物語

そして北海道編の本丸、ニセコです。ここはリゾート会員権方式で建てられたホテルはないのですが、それだけに「なぜガラ権がないのか」という問いに答える必要がありました。

つまり、ガラ権が必要ない開発形態で発展したのがニセコです。すなわち、バブル以前は国内大資本(西武、東急、日航)であり、日本衰退後は海外富裕層の直接投資であるホテルコンドです。この日本が誇るべき世界トップリゾートの開発史にガラ権は一切の名を残すこともなく、世界標準の仕組みが上陸しました。

そしてそのホテルコンドは管理会社を通じて国際的バケーションエクスチェンジのプラットフォームに乗るだけでなく、ヘビーユーザーやオーナーのコミュニティが自然発生的に「倶楽部化」していると知り、本当に驚きました。CGや外国人モデル映像による虚飾と開業前の図面売りでしのいでいる世界とは、相当な隔たりがあります。

このニセコ編については、現代のリゾート会員権との絡みで言いたいことがあるのですが、それを書くと現在その業界におられる方が気を悪くすることになりますので、FANBOXの方で発表したいと思っています。

resortboy|pixivFANBOX

FANBOXご支援についてと、期間限定の「談話室」

今日は、ガラ権連載20回を記念して、その振り返りの重要部分、北海道編の大型リゾートについて、企画制作サイドからのリーダーズガイドをお届けしました。余力があれば、他の回の狙いなども書いていきたいと思います。

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