ここまで本連載の北海道編では、ガラ権ホテル単独の見て歩きというより、スキー場をベースにしたバブル期の巨大開発に触れてきました。これらに加え、会員制ではない自力開発の巨大旅館ホテルも多数あるのが、北海道の宿泊業の特徴です。
総工費ナンバーワン
北海道を根城としたカラカミ観光、野口観光グループ、鶴雅グループなどのフラッグシップ旅館ホテルは、どれも目を見張る立派さです 1。
さて、バブル期(1990年頃)から今の約30年後では、開発建設費用はかなり高騰してきています。時期の違いで総工費が変化(大きくなる)するのは確かですが、バブル期の一時期だけを見た場合、全国的にそれほど差異はないと思われます。
では、この時期の総工費の大きい宿泊施設ランキング1位とは、どこでしょう?
リゾート開発の総工費には、付帯するさまざまな施設の建設、周辺の景観整備、敷地内の道路整備や災害対策までも含まれることが多く、中核ホテル単独の建築費ランキングというものは、残念ながら存在しません。
そこで、筆者が過去に話題となった豪華ホテル単独の建設費で印象に残っているのを思い浮かべますと、400億を超える超ド級施設は、南紀白浜のホテル川久(約400億)2、小田原のスパウザ小田原(現ヒルトン、約450億)3、シーガイアのホテル・オーシャン45(現シェラトン、約500億)4 などが思い当たります。
そうした中でやはりダントツは、今回ご紹介する「ホテルエイペックス洞爺」(約600億、現ザ・ウィンザーホテル洞爺)ではないかと推察するのです。バブル期を現役で過ごした読者の皆さまは、こここそを日本バブルの歴史的ランドマークとしてご記憶されていることでしょう。
洞爺湖
千歳空港からは、登別・室蘭方面、南周りルートが一般的で安心です。高速もありますから、約2時間と難なく行けますね。
洞爺湖はカルデラ湖の代表的なものであり 5、周囲約40キロの綺麗な円形に、湖中央に中島が浮かぶという素晴らしい景観です。
そしてこのエリアには、第二次世界大戦末期から突然隆起した「昭和新山 6」が観光名所としてあり、火山帯エリアであるだけに温泉も豊か。洞爺湖の北にそびえる名峰、羊蹄山も含める、日本屈指の景勝地と言えます。
筆者も何度か訪れていますが、毎回天気に見放されています。青空の下のこの湖の景観をご披露できず、曇り空の写真でご容赦ください。
千歳から高速を下りて有珠山を抜け、湖に出ます。湖畔は遊歩道ともなっており、写真のような彫刻が所々に飾られており 7、洞爺湖・中島の景色に花を添えます。
カブトデコム
エイペックス洞爺は湖畔にあるのではなく、ここから小高い山に登った先に鎮座します。ゴルフ場 8 や宿泊者専用のゲレンデ 9 を備え、全体の総工費は1,000億に上ると言われる超ド級豪華ホテルです。
この巨大開発の中核であるホテルは、すべてリゾート会員権方式で建設されました。開発は北海道拓殖銀行と二人三脚で進められ、その崩壊経緯はバブルの記録として鮮やかに残っています。検索すればいくらでも出てきますが、筆者もガラ権語り部として、少々記録を残しておきたいと思います。
開発したのは「カブトデコム 10」という変わった名前の北海道の土建業的企業です。
社長の佐藤茂氏は「兜建設」という土建業を1971年に数人で営みはじめ、明晰な頭脳と猛烈なやる気で事業を拡大し、マンション分譲を手がけるようになります。1988年には、元の「カブト」とDevelopment(デ)、Constraction(コ)、Management(ム)を語呂合わせした社名に変更。翌1989年には株式を店頭公開します。
このカブトデコムは、北海道拓殖銀行が推進した新興企業育成のシンボルとして大事にされたため、好きなようにお金が使いまくれ、この世の春を謳歌できました。しかし、おごれるものは久しからず。数年で事業は行き詰まります。
リゾート開発は早期の資金回収をもくろんで会員権方式が取られ、リゾート会員権「エイペックスリゾート洞爺」が1990年ごろから販売されます。
会員権は、第1次会員が3,500万円での募集でした。それ以前の縁故募集を含めて350億程度を回収できたものの、急速に停滞。第2次会員では一口4,800万まで上げての募集となりましたが、これがまったく売れずに追い込まれたようです 11。
パタッと売れずに
筆者が、長くガラ権の誕生から終結までの流れを会員権ごとに追跡してきた体験から言えることですが、計画終結の際は、徐々に売れなくなるのではなく、パタッと売れなくなってお釈迦となります。エイペックスの急失速は、まさにこのパターンに当てはまります。
その後、刑事事件まがいの話や、倒産劇などあれこれあったのは省略させていただきますが、破綻後の処理は、2000年に警備保障大手のセコムが引き継ぎました 12。元の10分の1程度の60億で購入されたのですが、その後に200億を追加投資してリニューアルしたのは凄いと言わざるを得ません 13。
伝説のホテルマン
この過程で1998年から総支配人として活躍したのが、日本のホテルマン史に名を残す窪山哲雄氏でした 14。エイペックスがザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパとなり 15、G8(主要国首脳会議:サミット)という最高格の国際会議を開催できる栄誉を得たのは、ガラ権由来のハード面が良かっただけでなく、窪山氏のソフト面のテコ入れがあったからです。
ウインザー洞爺は窪山氏の尽力の下で2008年、このたった1つのホテルに全世界首脳が同時に宿泊し、サミット全体会議の全てをここでこなします 16。まさに頂点(サミット)となるホテルとして、伝説的な存在となりました。歴史上そのようなホテルはここ以外には存在しません。
はからずも、エイペックス(apex)とは「頂点」の意味です。その昔、カブトデコムという武将が見たホテル世界一の夢は、こうして窪山氏によって現実のものとして成就したと言えましょう。
その後、2014年にこのホテルは明治海運という日本の海運会社がオーナーとなり、今に至ります 17。
時は過ぎ、エイペックス洞爺も築30年を経ました。英国王室の離宮ウィンザーの名前を冠したホテルは、今のところ他では出現しておりません。
数奇な運命をたどった巨星は、今も孤高の存在として、全国にガラ権ホテルの底力を知らしめた栄光を保ちつつ、静かに美しい洞爺湖を見下ろしています。
カラカミ観光(Karakami HOTELS&RESORTS)は、定山渓ビューホテルを2021年にベルーナへ譲渡し、北海道から撤退した。
・北海道定山渓温泉 定山渓ビューホテル【公式】|ベストレート保証
・【公式】野口観光グループ
。北海道の温泉旅館・ホテル | 鶴雅グループ総合サイト【公式】 ↩︎裁判記録(平成14(ネ)379、会員資格保証金返還等請求控訴事件)から、会員権販売についての当初予定は以下であった。平成2年3月から第1次賛助(縁故)会員を1口2,000万円で240口募集。その後第2次賛助会員(1口2,500万円で募集口数は180口)を募った。平成3年1月から一般会員の募集を開始。裁判資料によれば、販売実績として確認されたものは1285口で、うち231口はカブトデコムに滞留。
会員種別 入会金 預託金 販売口数 販売総額 第1次賛助会員 400万円 1600万円 240口 48億円 第2次賛助会員 500万円 2000万円 180口 45億円 第1次正会員 700万円 2800万円 880口 308億円 第2次正会員 960万円 3840万円 550口 264億円 合計 1850口 665億円 ・建物のリニューアル・コンバージョン実施例|ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ|鹿島
・明治海運がセコムから「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」を取得 | 北海道リアルエコノミー | 地域経済ニュースサイト ↩︎
記事のアップデートです。
洞爺湖畔、孤高の存在として、明治海運という会社が運営していた本ホテルは、
所有者(明治海運は、神戸本社と東京で、多角経営をするため、2023年に「明海グループ」という社名に変更していました)は、今もそのままです。
次に、同社ホテル事業のフラッグシップである、本記事のウィンザーホテルは、集客にIHGを入れることにして、すでに最高級ブランド路線である「ヴィニェット・コレクション」に加盟しています。
(すでにIHG側で、グループホテルで載っています)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000446.000002364.html
外資の集客システムに乗ることは仕方ないと思いました。