サホロを出て、今回目指すのはトマムです。ナビの導くままに山の中を南下し、高速に乗ることなく側道を進む約30分程度のドライブ。すると目の前には驚くような高層ビルが4つも見えてきます。
日本最大のリゾート計画は会員権方式
北海道占冠村の東の端、トマム山の南斜面と裾野。このタワー群を中心とする巨大リゾート「アルファリゾート・トマム」。今は「星野リゾート トマム」と呼ばれていますが、これらの高層ビルはすべてがホテルであり、30年以上前のバブル期にリゾート会員権方式で建設・分譲されたものであることは、もはや歴史の片隅に忘れ去られようとしています。
アルファリゾート・トマムは、当初計画(1~3期)通りに開発されれば、日本最大級のリゾートエリアとなるはずであった、前代未聞の巨大リゾート開発プロジェクトでした 1。
スキー&ゴルフに造波プールなどレジャー施設を擁し、高層ホテルは今ある4棟に加え数棟追加を予定。さらに国際会議場やショッピングモールができ、エリア規模を3倍以上に広げる計画がありました。
その暁には、81ホールものゴルフコースやスキー場が追加となり、プライベート飛行場やリゾート大学(筆者は入りたかった)までできるはずだった、バブル大型開発の中でも超大物であります。
何もなかった占冠村に、突如「単独・独自」の巨大リゾートが出現し、広大な山村のほとんどを呑み込む。それはかつてない、そしてこれからもないであろう、壮大な計画でした。
完成していたら間違いなく世界一
バブル期にはこのような巨大リゾート開発が、日本各地で進行しました。この時期、筆者は30歳代であり、自らの成長と同時進行的に体験しました。大型ホテル開発が連日のように報じられるのを楽しみに、仕事を頑張ったと言っても過言ではありません。年に数度は国外にも出て見聞もしました。
本連載に見られるようにマニアックな旅を趣味とする筆者は、10年程度前からソロ旅を第一に考えるようになり、観光とホテル、リゾート巡りを、米国と日本のドライブ旅として続けています。
そんな中、アメリカ本土のスキー&ゴルフリゾートも50エリア以上、訪問してきましたが、アルファリゾート・トマムの計画が夢のまた夢の第3期まで完成していたら、間違いなく世界一になったと確信します。
今は寂しいトマム駅
アクセスに話を戻します。高層ビル(ホテル)群が見えたところから、線路沿いに少し進むと、トマムの鉄道の玄関である「トマム駅」に到着です。
JR北海道の石勝線の駅であるトマム駅には、「アルファコンチネンタルエキスプレス」などの特急(ジョイフルトレイン)が停まり 2、駅には総合案内所があるだけでなく、ネコバスの愛称を持つ幅広で長大なシャトルバス 3 がリゾートとを行き来して賑わっていましたが、今は単に駅があるだけです。
ガレリア・タワースイートホテル
筆者がこのリゾートを訪れるのは2021年の今回が4回目。前回利用からはや20年が経過していました。しかしこの広大なリゾート内に何があるかの土地勘は健在でした。
それほどインパクトが強いリゾートであり、配置を覚えていたため、迷うことなく現「リゾナーレトマム」4(旧「ガレリア・タワースイートホテル」)に到着です。
1991年と1992年に相次いで開業した、全て同じ仕様の32階建てツインタワーホテルです。
これだけの巨大ホテルでありながら、それぞれちょうど100室しかありません。すなわち1フロア4室というオールスイートタイプで 5、部屋は必ず角部屋となる設計であり、今をもって日本には、おそらく世界でもこのタイプの高層ホテルは存在しません。
全室が会員制であり一般利用はできませんでしたが、1995年頃にはパッケージツアーで利用できました。会員権好きの筆者は勇んで行って、人生で初めてホテル自室での展望ジャグジーとサウナを堪能。その記憶は、30年を経た今もあざやかです。
ザ・ヴィレッジアルファ
今はリゾナーレトマムとなったガレリア・タワースイートホテルの威容を撮影した後、少し下って「ザ・ヴィレッジアルファ 6」前を通ります。
こちらは1985年開業の分譲コンドミニアムで、一部が小口の会員権として販売されました。築35年以上が経ち、経年劣化が目立つ中、リフォーム作業を続けながらの営業です。
ザ・タワー I & II
さらに下ると、山の中にそびえ立つ36階建て高層ホテルのツインタワー、トマムを全国に知らしめた、1987年と1989年開業の、現「トマム ザ・タワー 7」(旧「ザ・タワー I & II 8」に至ります。
外観は2008年に海外系デザイン会社 9 によってリニューアルされ 10、それまでのダークブラウン系から、キラキラした不思議な色合いに変わっていました。
ホテルアルファトマム
さらにその下には、リゾート内で最も古い、このリゾートの原点である「ホテルアルファトマム」が鎮座しています、と言いたいところですが、ホテルは閉鎖され、現在はビュッフェレストランの営業のみとなっていました 11。かつて筆者が初めて訪れた際は、こちらでの宿泊でした。
1983年に開業したホテルアルファトマムは、ガラ権ホテルではなく、東京のオークラ系列の一般ホテルであり、札幌市内にもあった同系列のホテルアルファサッポロ(後のホテルオークラ札幌。現在は閉業)と意匠も似ていたのです 12。
現在はガレリア(リゾナーレ)・ヴィレッジ間に連結通路があり、このマップが示す大回りの必要はない。ただこのように道路を歩いた場合、今回ご紹介のエリアだけでも3キロ、40分を超えることがわかる。
アルファリゾート・トマムでは、この1983年のホテルアルファトマムは別として、1985年のザ・ヴィレッジアルファから、87年のザ・タワーI、89年のザ・タワーII、91年のガレリア・タワースイートホテル・サウス、ヴィラ・スポルトI、92年のガレリア・タワースイートホテル・ノース、ヴィラ・マルシェ・ホテル・アビチ、ヴィラ・スポルトII、オスカー・スイートホテルまで、すべての大型ホテルはすべてが会員権方式、すなわちガラ権でありました。
見果てぬ夢を描けた理由
トマムに限りませんが、バブル期のリゾートはすべて夢であり、実需を冷静に見据えた計画ではありませんでした。
このリゾート計画は、過疎化が課題であった占冠村の村おこし構想の希望を元にしていたものの、基本的に仙台の「関兵精麦 13」という一地方企業の先導で推進されました 14。
ここまで壮大な計画が生まれて推進された理由は、多数の企業が集合し「船頭多くして船進まず」にならず、「夢のまた夢を邪魔されることなく見て来れた」ことにあります 15。
第1期でストップしたとはいえ、世界でも見たことのない大規模開発となった「仙台の有力武将の見果てぬ夢」の行き着いた先には、日本のスキーリゾートが持つ「ガラ権的文化」を垣間見ることができるのです。
今後の本連載では、多くの「ウィンターガラ権」を取り上げて行きます。破綻の理由を、単なる資金難では片付けられません。そこには日本人独特の志向・思考があり、この連載の中で日本の特異性にも触れることができたらと思います。
(この項、後編=現クラブメッドのエリア紹介に続く)
・アルファコンチネンタルエクスプレス - Wikipedia
・トマムサホロエクスプレス - Wikipedia
・クリスタルエクスプレス トマム & サホロ - Wikipedia ↩︎トマム駅リゾート側建物とリゾートへの送迎バス(2010年3月)ファイル:Tomamustneoplan.JPG - Wikipedia ↩︎
ゲストルーム | 星野リゾート リゾナーレトマム【公式】 | Hoshino Resorts RISONARE Tomamu ↩︎
・この時代の工事 昭和62年~平成2年ころ | 第5章 内需拡大と進む国際化 | ■3 東京本社設置から創業100年まで | 大林組百年史
・コンクリート工学 26巻(1988)2号 - 分割練りまぜ工法を用いた寒冷地の超高層ホテル ↩︎株式会社星野リゾート・トマム 様 アルファリゾートトマム ザ・タワー 超高層ホテル外壁改修プロジェクト│明豊ファシリティワークスのコンストラクション・マネジメント ↩︎
第1期のトマム計画を実現に導いた立役者の一人は、エクシブの多くも手掛けている観光企画設計社の設計部長であった建築家の上原秀晃氏であり、氏はトマムプロジェクトに専念するために同社を退社し、個人事務所であるDCBを設立して現存するトマム建築の多くを手掛けた。それは星野リゾートとはまったく関係がない。
・建築家 上原秀晃 デザイン・エンジニアリングの精神 | 2015年4月17日(金)-30日(木) | ギャラリー創 ↩︎
zukisansuさん、今回の「アルファリゾート・トマム」物語りは非常に興味深かったです。私も泊まりましたよ。ガレリア・タワースイートホテル!(ザ・タワー予約だったのが直前にガレリアにアップグレードされました)
1フロアーに4室しかなく全室がコーナースイート、しかも、そのコーナーにジャグジー付き巨大バスタブが鎮座していました。そこから遠くにナイタースキーの明かりが見えました。妻も私も子供達(小学生2人)も大喜びで、部屋ではしゃぎまわっていました。
ビュッフェレストランも凄かったですね。何と「毛ガニ」が大きな樽に「てんこ盛り」されていて、何個でもお食べ下さい、です。イクラ、サーモン、ホタテ、その他、北海道の新鮮刺身・にぎり寿司も山盛りに置いてあり、その美味かったことは…。
トマムスキー場(ガレリア)に3連泊してスキーを楽しんだので、毎夜、レストランを変えました。鍋料理の店にも行きましたが、ここでも驚きましたね。タラバ蟹の寄せ鍋を注文したのですが、出てきた蟹はまるで「カニかまぼこ」のように巨大な「タラバ蟹」の足のぶつ切りでした。北海道とは何と食が豊かで安いのか~、心底感動して北海道が大好きになりました。もう30年くらい前の話です。
夢の続き…
「アルファリゾート・トマムは…前代未聞の巨大リゾート開発プロジェクトでした」
zukisansuさん、これが成功していたら、今や、トマムはカナダのウイスラーに並ぶ世界的に有名なスキーリゾートとなり、「ガレリア・タワースイートホテル」は1泊50万円~100万円?という予約が取れないスーパースイートになっていたでしょうね。結局、私は最初で最後のトマムスキーになりました。
制作・考証担当のresortboyです。
このアルファ・トマムに関しては巨大プロジェクトだけに考証担当(脚注担当)としては沼が深すぎて、連載枠では語り尽くせないものがあります。今日はこのコメント欄を借りて、その一例をご紹介したいと思います。
このリゾートは1983年12月にスキー場とホテルアルファトマムが開業したのがスタートになるのですが、開業時、あるドラマがここで撮影されていました。
それが草刈正雄と三田寛子のW主演であった「激愛・三月までの…」です。劇中の舞台は「シムカップ・リゾートタウン」というもので、現実そのままです。主人公の草刈正雄はスキー場の設計者としてトマムに赴任し、占冠村に住む女子高生、三田寛子と出会います。
ストーリーについてはWikipediaなどをご覧ください。
激愛・三月までの… – Wikipedia
非常に悲しいドラマで、最後のシーンで草刈正雄が三田寛子の編んだセーターを着てトマムのコース予定地を滑走し、そして衝撃のラストを迎えるんですが、そのエンディングの動画がXに存在していました(このドラマはDVD化などされておらず、非常にレア)。
Xユーザーの壊れた風車✯さん: 「TBS系ドラマ「激愛・三月までの…」最終回ED①
ロケ地であったホテルアルファトマムのタイル(ホテルアルファサッポロ由来の初期トマムを代表するカラーリング)が見えたりして、本稿との関連性も垣間見えます。
また、トマムスキー場は三浦雄一郎氏がコースレイアウト監修をしたという説があります(確定考証未済)。このドラマにもゲスト出演していることから、その可能性は高そうです。
以下、参考リンクです。
傑作!なのに未DVD化。「激愛・三月までの..」 三田寛子&草刈正雄主演ドラマ | 70-80年代アイドル☆昭和TVワンダーランド
Snow Paradise in TOMAMU 北海道トマムスキー場でのスキー&スノーボード宿泊体験リポート!北海道・スキー・スノーボード・トマム・宿泊予約・ホテル・リゾートホテル・スキー場