世界に羽ばたいたニセコの開発今昔物語

「会員制ホテル今昔物語」は、35年に渡ってリゾート会員権についてウォッチされているzukisansuさんによる連載です。日本で独自の発展を遂げたリゾート会員権、すなわち「ガラ権」の歴史をたどることで、日本的文化とは何か、日本人とは何かを、過去に学び未来を見通す―そんな奥行きのある連載として、僕から特別にお願いし、zukisansuさんにしか語れないこのテーマでご執筆いただく運びとなりました。どうぞご期待ください。(企画・制作:resortboy)

本連載の北海道編では、ガラ権を追いながら多数のスキーリゾートを見てきました。後はアルペンスキーのメッカであるニセコを残すのみとなりました。北海道スキーと言えば、ここをおいて他にない、揺るぎない立ち位置にあります。すでに周りのスキーリゾートは全部見て回りましたから、読者の皆さまはニセコの位置はわかってこられたかもしれません。

ニセコ黎明期

ニセコエリアのスキーの歴史は古く、今から100年近く前、1928年に秩父宮殿下御一行が登山スキーをなさった記録があると言います 1

雪深い日本にスキーが普及する第一歩となったのが1911年のレルヒ少佐の指導であり 2、そこから各地にスキー場(当時はリフトはなく「スキー地」と呼ばれていた)が開設されていきます。ニセコエリアの中心となる「昆布」や「倶知安」付近は、1924年の鉄道省作成の書籍「スキーとスケート」にも掲載されています 3

日本で初のリフトがかかったのが、第二次世界大戦直後の1947年ごろ、札幌近郊の藻岩山と志賀高原の丸池だそうです 4。この時から、日本のスキー場(リフトがあるものを指す)が続々と誕生してきたのであります。

札幌近郊エリアや本州の志賀高原なら行きやすいので、スキー場として発展するのは分かりますが、ニセコエリアは鉄道こそ開通していたものの、北海道でも人里離れた豪雪地区なのでアクセス的に難があります。しかし、そのハンデに負けない優れた雪質と雪量から、日本各地からの人気を集めます。

1962年には全日本スキー選手権大会が開催されたことから、500メートル程度のリフト2本がニセコアンヌプリの裾野(ひらふ地区)にかけられ 5、レストランや休憩施設、宿泊施設が作られるようになりました。

最初から一流

このように、ニセコはもともと注目のエリアだったわけです。占冠村(トマム)や赤井川村(キロロ)のような、何もないままに衰退した過疎の村が、村おこし的にスキーリゾートを新たに作り、建設資金捻出のためにガラ権施設が続々登場したのとは、開発の経緯がまったく異なります。

ニセコは最初から一流のスキーリゾートであり、さらにニセコアンヌプリの裾野は開発ポテンシャルあふれる魅力的な所だったのであります。

ニセコアンヌプリ及び連続する連峰を地図と動画で眺めてみましょう 6。動画の2分30秒あたりがニセコアンヌプリの山頂です。

ニセコアンヌプリのスキー場群からは、名峰・羊蹄山を目の前に、壮大な眺望が広がります。日本海側から来る豊富すぎる雪はアンヌプリ連峰を抜け羊蹄山に至り、北海道の寒さの中パウダースノーとなり、冬季は毎日のように新雪をもたらしてくれました。

ニセコアンヌプリは広大な山で、裾野の開発は容易です。新旧合わせて、スキー場が6つ存在します。それぞれの開発経緯やゲレンデ内容は省略しますので、スキーファンの皆さまはマップなどでご確認ください。

当初東北側(「日本のサンモリッツ」と呼ばれる倶知安町)から開発されたゲレンデは、今やニセコアンヌプリのすそ野を真北から南西に向かって全山的に拡がっています。

ガラ権施設がない理由

筆者はこの連載で、雪の国・日本のスキーエリアの頂点であるニセコの、各ゲレンデに並び立つ立派なリゾートホテルを、それぞれガラ権施設であると誇らしげにご紹介したいところでした。しかし、最近も現地取材、調査を行いましたが、ガラ権施設がないのです 7

今回の今昔物語は、「ガラ権施設のない北海道スキーリゾートエリア」の記録であり、なぜガラ権がないのか、そして、なぜニセコが世界的リゾートとなったのかを、記録してまいりたいと思います。

ニセコの開発の歴史は、海運会社、日東商船(ジャパンライン)の子会社である「ニセコ高原観光」に始まります。ゲレンデのポテンシャルだけでお客を呼び込めたスキー競技大会などの機会に、順次リフトを拡大して行きました。その後この部分は、東急不動産傘下でリゾート開発が行われ、「ひらふ」と称されます 8

その南隣が、西武(コクド)の「東山」(プリンス → ヒルトン)9、そしてその先に北海道バス事業最大手の北海道中央バスの「国際」(日航 → ノーザン)10、もっと南に独立系「モイワ」11 と徐々に広大化しています。

現在は、「ひらふ」開発で残されていたその北側の「花園」も独り立ちし 12、奥の老朽化した「ワイス」も再生されようとしているのでありまして 13、実に6個ものスキー場が一つの山を取り囲みます。

主たる「花園」「ひらふ」「東山」「国際」の4つは、かねてより「ニセコユナイテッド」として連合を形成し、リフト券などの共通化を進めています 14

外資の草刈り場に

このように、日本最高のスキーリゾート地、ニセコでは、相応に大きいリゾート開発会社が結集して、切磋琢磨しました。宿泊施設も整い、人気もありましたから、ガラ権錬金術は必要なかったのです。

そして日本が低迷期に入り、このエリアに目を付けたのが外資です。

外国人が自由に不動産を取引できる日本のリゾート一等地は、自らリゾートとして使うにも、投資対象として買うにも魅力的です。ニセコに外国資本が入り、外国人の間でブランド化するには時間はかかりませんでした。

日本人にとっては、二セコがいかに素晴らしいスキーリゾートでも、ここ以外にも多数のスキー場があり、アクセスにお金もかかることから、需要は限られていました。

筆者は、東急不動産がここにハーヴェストクラブを作ろうと計画し、とりかかる一歩手前でやめた話を知っています。海外から飛んでくる手間を考えると国内移動は簡単である外国人にとってブランド化しても、日本人はそれほどの価値を感じなかったというのが本音でしょう。

ホテルビジネス最前線

世界に知れ渡ったニセコエリアは、またたくまに外国人・外国資本のホテルやホテル・コンドミニアムが立ち並ぶようになりました。

ニュースで、ニセコは日本語が通じない外国となったとか、食べ物の値段が欧米並みであるとか、建物景観がカナダや米国の現代的スキーリゾートと変わらない、などと報じられているのは本当です。

筆者が北米で訪れたウィスラーやコロラド、ユタの豪華スキーリゾートと同様に感じます。それは、リフトを掛けてアルペンスキーをはじめとするスノースポーツを第一に考えて来た日本の索道ビジネスでなく、雪に親しんでくつろぐウインターリゾートとして、海外富裕層相手の不動産ビジネスの現場と化したからです。

このエリアでは、高級ホテル常連利用者やホテルコンド所有者の間でのコミュニティが、不動産管理会社などを通じてできつつある(まさにディスティネーション・クラブの自然発生 15)と聞きます。

ホテルコンドは利用しない場合に貸したりできるよう、施設単位あるいは不動産管理会社を通じて、世界的タイムシェア交換システムであるRCIやInterval Internationalに加盟しているものもあります 16

ニセコはいつの間にか、日本、そして日本人を飛び越して、世界に羽ばたいてしまった。そう言わざるを得ません。そして、今も昔もガラ権は必要なく、日本のリゾート会員権が目指した世界が、もっと合理的な、世界規模の別の形で実現していたのでした。


  1. 北海道遺産「スキーとニセコ連峰」 | 倶知安町の北海道遺産 | 倶知安町の自慢 | 町のプロフィール | 倶知安町 ↩︎

  2. テオドール・エードラー・フォン・レルヒ - Wikipedia ↩︎

  3. スキーとスケート - 国立国会図書館デジタルコレクション ↩︎

  4. 第23回 日本初のスキーリフト|鹿島の軌跡|鹿島建設株式会社 ↩︎

  5. 倶知安町、ひらふのスキーの歴史 | Experience Niseko ↩︎

  6. ニセコアンヌプリ - Wikipedia ↩︎

  7. 強いて言えば、加森観光のニセコグランドホテルが、加森バケーションクラブで利用できる。
    【北海道】ニセコグランドホテル。「しっとり」と「すべすべ」2種の泉質の温泉宿。
    施設一覧 – 【リゾート会員権】加森バケーションクラブ ↩︎

  8. ニセコ東急 グラン・ヒラフ - Wikipedia ↩︎

  9. ニセコビレッジ - Wikipedia
    ヒルトンニセコビレッジ|ヒルトン・ホテルズ&リゾーツ ↩︎

  10. ニセコアンヌプリ国際スキー場 - Wikipedia
    【公式】北海道 ニセコノーザンリゾート・アンヌプリ ↩︎

  11. ニセコアンヌプリではなく、モイワ山の斜面。「ニセコユナイテッド」に加わらず、ニセコで唯一の独立したスキー場。
    ニセコモイワスキーリゾート - Wikipedia ↩︎

  12. ニセコHANAZONOリゾート - Wikipedia ↩︎

  13. Hanazono Niseko | ニセコワイスパウダーCAT ↩︎

  14. ニセコ全山とは | ニセコユナイテッド ↩︎

  15. Destination club - Wikipedia
    以下はニセコにプロパティを持つディスティネーションクラブの例(The Hideaways Club)。
    Luxury Homes And Chalets In Niseko, Japan ↩︎

  16. ホテルコンドの運用事例として、HTM株式会社の関連リンクを以下に挙げる。
    ・(企業情報)HTM株式会社
    ・(一般集客)Niseko Accommodation | Niseko Central
    ・(タイムシェア集客)Interval International Adds Hokkaido Tracks Vacation Club to Global Vacation Exchange Network | Business Wire ↩︎

文・撮影:zukisansu、企画・制作:resortboy。バックナンバーはこちら

1 comment

  1. zukisansuさん、ニセコの詳しい歴史的レポートありがとうございました。非常に興味深く、かつ、懐かしく読ませて頂きました。と言うのは、ニセコは私にとって“夢のリゾート地”だったのです。このニセコが今や外国人のリゾート地になってしまったことに驚きを隠せません。

    資本とお客は外国人、現場のスタッフ(労働者)は日本人です。私がメキシコのリゾート地「カンクン」で見た光景がニセコで再現されています。この風景が日本全国のリゾート地に拡散されないことを祈ります。以下、私のニセコストーリーです。

    新婚旅行(1980年:28歳)は「ニセコスキー」でした。昆布温泉のホテルに泊まり毎日アンヌプリスキー場に行きました。子供たちが小学生になってからは、数回、ニセコ東山プリンスホテルに宿泊してスキー・クロスカントリースキーを楽しみました。ファミリースキー黄金時代でした。

    そして、時は流れ流れ、ちょうど10年前の2014年(62歳)、1人でニセコの高級コンドミニアム(注1)に長期滞在しました。6月に1週間、9月に1ケ月です。2回とも名古屋から苫小牧まで2泊3日の太平洋フェリーに乗り、愛車・自転車・登山靴・リュックサック持参の大旅行でした。現地ではアンヌプリ山麓を自転車(注2)で駆け巡りました。

    さらに、コロナ禍の2021年7月、レンタカーを借りて、函館から、ルスツ・ニセコ・キロロ・小樽・札幌とドライブ旅行しました。その時、ヒルトン・ニセコビレッジ(注3)に泊まりました。これらの詳しい旅行記が以下にあります。現場からの報告としてここにアップさせて頂きます。

    注1:北海道・ニセコ滞在記2(ホテル編)
    https://4travel.jp/travelogue/10904544
    注2:北海道・ニセコ滞在記3(サイクリング編)
    https://4travel.jp/travelogue/10904930
    注3:ヒルトン・ニセコビレッジ滞在(パノラマルーム)
    https://4travel.jp/travelogue/11703671

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