本連載、北軽井沢シリーズも回を重ね、浅間高原の大部分の別荘分譲地を巡り、それらに点在する小規模なガラ権施設の周回を終えました。しかし本番はこれからでして、次回とその次で書く2施設が大物です。今回はその露払いとして、北軽井沢のど真ん中にそびえる、この地のランドマークと言えるホテルを取り上げます。
その名は「ヴィラ北軽井沢エルウイング 1」、リゾートクラブ名は「穴吹リゾートクラブ」(現「エルウイングリゾートクラブ」)であります。
四国は香川県高松市の不動産デベロッパーとしてその名を全国区にとどろかせた「穴吹工務店 2」が分譲した、リゾートマンションとガラ権の並存施設です。この形態はガラ権の典型パターンとして、本連載でも数多く取り上げてきました。
北軽井沢の歴史
前回は三井不動産が販売した高級別荘地「王領地の森」にて話を終えましたが、そこから本題のエルウイングに向かう前に、北軽井沢別荘地開発の始祖となる場所を訪れたいと思います。
本シリーズでは北軽井沢(浅間高原)を行政区分的に見たり、また別荘開発の見地から取り上げて理解を深めてきましたが、今回はよりオリジンとなる歴史に触れることで、皆さまと知識を広げてみたいと思います。
今回、参考資料として大変に役立ったのが、北軽井沢在住の有志が編集するフリーマガジン「きたかる」の第2号(2011年刊)でした 3。これはPDF版としてWebサイトで公開されていて、皆さまにもぜひご一読をお薦めします。これだけで北軽井沢のほぼ全容が把握できる詳しさで、かつわかりやすい資料です。
ここでは本資料をリファレンスとして、別荘地としての北軽井沢の発祥について、筆者なりにまとめてみたいと思います。
アカデミックな素地
北軽井沢の歴史が本格的に始まるのは、1881年、北白川宮(能久親王)によって「浅間牧場 4」が開設されてからだったそうです。その後、1923年に「一匡邑」5(いっきょうむら)、1928年に「法政大学村 6」が開村し、これらにより避暑地・北軽井沢の名前が知られるようになりました。
一匡邑とは、旧制一高のOBたちが所有地の仕切りのない別荘を共同で持ち、そこで夏期大学などを催したという場所でした。続く法政大学村では大学関係者が個別の別荘を所有し、分譲地的な意味合いのあるエリアとして発展しました。
北軽井沢駅
この2カ所は、「地蔵川」を跨いで西と東に所在します。そして道路(大笹北軽井沢線)が川と交差する付近に、「草軽電気鉄道(草津軽便鉄道)」の「北軽井沢駅」もありました 7。すぐ横に法政大学村が開村したとき、「地蔵川停車場」から改名したのでした。
1926年には長野県の軽井沢から草津温泉までの全長55.5キロを、約3時間半かけて走る電車が開通。1946年には、年間乗客数が46万人ともなる大人気の路線でした。その22つあった駅のうち、真ん中の11駅目がこの北軽井沢駅でした。
その後、草軽電気鉄道は1962年に廃線となりますが、北軽井沢駅は歴史的建造物として残され、今も同地で観光名所となっています 8。すぐ近くの国道146号線の交差点は道路標示も「北軽井沢」であり、このエリア全体を代表するような場所であると言えます。
この交差点を東に進むと、すぐその先が「(法政)大学村」別荘地です。名勝「浅間大滝 9」や、大成建設による「軽井沢高原ゴルフ倶楽部 10」はその奥にあります。
交差点付近には目立たない建物ながら、歴史ある「北軽井沢ミュージックホール 11」があり、数々の音楽イベントが開催されてきました。このようにこの北軽井沢交差点付近は、この地の別荘文化の発祥の地であり、そのオリジンはアカデミックでインテリジェンスの香りがするものでした。
ヴィラ北軽井沢エルウイング
その北軽井沢交差点のすぐそばにあるガラ権施設がヴィラ北軽井沢エルウイングです。
法的な問題に加え、景観や自然環境保護に対する住民・別荘民の目が厳しく、高層建物を建てにくいことを以前の記事でも書きました。この大学村付近でも、バブル期にリゾートマンションの計画が相次ぎましたが、完成したのは4つだけで 12、中でもこのエルウイングはランドマーク的な存在です。
戸建て別荘ばかりの浅間高原ではリゾートマンションは希少で、戸建て別荘所有者が冬場の寒さ対策や来訪者用にエルウイングの会員権を購入するケースもあったようです。
名前の通り直角L字型をした13階建、全部で203戸(分譲94室、会員制109室)の建物で、最上階の13階中央部には、浅間山を望む展望大浴場を備え、レストランが3つもある大型物件です。
穴吹リゾートクラブ
開発運営は穴吹工務店という当時の大企業であり、109室を一室当たり10口で共有で、1,090口が会員制で分譲されました。10分割ですから年間の利用は36日分の利用券方式でした。
母体となる穴吹リゾートクラブとして、エルウイングは2番目(かつ最後)となる施設した。本クラブを本連載で取り上げるのは今回が最初で最後ですので、穴吹工務店の地元・香川県の「ヴィラ塩江(しおのえ)13」についても触れておきます。
立地は高松空港から山側に少し進んだ所です。同じ北軽井沢に旧エス・バイ・エルが作った「ホテル北軽井沢1130 14」も、リゾートクラブとしては石垣島と北軽井沢という組み合わせでしたが、旧穴吹も地元香川の山奥と北軽井沢という、クラブ展開としては変わった組み合わせでした。
ちなみに四国はガラ権の施設の少ないエリアであり、香川県では小豆島を除けばこのヴィラ塩江が唯一の会員制リゾートホテルでした。愛媛県にはゼロ、高知県には2施設、徳島県2施設を筆者は確認しています。
この最初のホテルは順調な販売であったと思われますが 15、第2弾のエルウイングの完成は1993年とタイミングが悪く、販売に苦戦していたのは筆者の記憶にも残っています。
破綻と分断
四国不動産系企業の雄であった「穴吹」2 は、大きく分けて「穴吹工務店」と分離された「穴吹興産」の2つのグループの総称です。ガラ権メーカーとしての穴吹は前者です。2007年にはマンション販売戸数日本一まで成長したのですが、わずか2年後の2009年に倒産します。
その後、再生スポンサーの大京と併せてオリックス傘下となりました。このような中でリゾートクラブがどうなったかというと、2009年の親会社の破綻で2つのホテルは分断されます。
2010年中にヴィラ塩江は徳島のホテル運営会社「ハイパーアシスト」に引き取られ 13、エルウイングは投資会社「マーチャントバンカーズ」に引き取られて再スタートしました。この時、「北軽井沢リゾートクラブ」とクラブ名が変更されます。
しかし運営はうまくいかなかったようで、2012年に損切りされます。その価格は120万円でした 16。
ランドマークは健在
北軽井沢の最も歴史あるエリアにランドマーク的に建設されたこのホテルは、このように数奇な運命をたどってしまいましたが、120万で引き取った「新星住建」のもとで、2012年以降は現在まで特に問題なく運営されているようです。
クラブは現在、従来の契約と並行して不動産持分のない年会費制の「エルウイングリゾートクラブ」が存在し、日本リゾートクラブ協会にも加盟し続け、リゾネットによる予約も可能です 17。
さらに、リゾートトラストの契約変更で中断した時期があったものの、当初から現在までRCIに加盟し続けており、現在のディレクトリには「シルバークラウン」として名を連ねています 18。
その昔、筆者は、最上階の展望大浴場からの浅間山の眺望に感動したものです。その北軽のランドマークが、この先も無事に歴史を刻んでくれることを祈るばかりです。
次回は西に進み、レジャーランドを併設した、このエリアでもっとも有名かつ大型な施設に向かいます。
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「ベルフォーレ北軽井沢」(1990年、78戸)、「グランビュー北軽井沢」(1990年、384戸、北軽井沢最大)、「ヒルクレスト軽井沢」(1990年、26戸)、そしてとヴィラ北軽井沢エルウイングと同じ建物である「ヴィラ北軽井沢」(1992年、94戸)。 ↩︎
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軽井沢倶楽部 ホテル軽井沢1130 | リゾマン転用の北軽ガラ権、原野に佇む | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog ↩︎
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ヴィラ塩江は当初、香川県塩江町の町営地に1983年に10階建て84戸で建設。33戸を個人向けマンションとして分譲し、51戸を630人で共有させる「ジョイディール・オーナーズ・システム」なる会員権として販売された。販売当初は一口180万円であった。 ↩︎






