セラヴィリゾート泉郷の新時代 – 3

セラヴィリゾート泉郷の経営変革についての詳細レポート、3回目である今回は、現在起きていることが、歴史的にどのような文脈の中で位置付けられるのかを、過去にさかのぼって検証します。

同社の現在は、ガラ権の時代の終わりの象徴、または、ガラ権資産の典型的転用ストーリー、と考えることができるでしょう。日本のリゾート産業の栄枯盛衰を体験してきた同社の現在が、過去の再生サイクルとは根本的に異なることは、一つの時代の終焉であることを論じていきます。

旧泉郷の経営破たん

セラヴィリゾート泉郷の現在を理解するためには、その特異な歴史を無視することはできません。同社は何度もの経営危機を乗り越え、現在に至っています。

セラヴィリゾート泉郷のルーツは、1970年に設立された「八ヶ岳中央観光」にさかのぼります。同社は別荘地・別荘の分譲から貸別荘事業に展開しました。1980年の資料によれば、同社はおよそ10年で別荘地1,800区画、貸別荘430棟という規模で八ヶ岳南麓の大泉村(当時)に約85万坪(約280万平米)に及ぶ一大リゾートエリアを開発しています。

その後、同社は別荘地の名称であった「泉郷」に商号変更を行い、預託金制の会員制リゾートクラブ「泉郷ベストクラブ」を立ち上げます。1986年の泉郷プラザホテル伊豆高原(現 伊豆高原わんわんパラダイスホテル)は同社のホテル進出第一弾であり、同時に八ヶ岳エリア外への本格展開の象徴的なものでした(伊豆高原=大室高原での別荘地開発は1984年。規模はおよそ50棟)。

そして、一時的なリゾートマンション(コンドミニアム)販売を経て(エクシブ伊豆のすぐ上にあるのでご存知の方も多いでしょう)、バブル期には大型ホテルを舞台に、ペイバック型の会員権にも進出します。

同社の会員権事業は、利用しない期間の施設運営を会社に委託し、賃料収入を得る「貸別荘事業」からスタートしたので、日本のリゾート会員権市場においてはあまり主流とならなかったペイバック型への進出は自然なことでした。しかしそれらは、結果的にバブル崩壊後の開業となってしまい、同社の最初のつまづきとなります。

1992年12月に泉郷プラザホテル安曇野として開業したのが、現AMBIENT安曇野ホテル。そして泉郷プラザホテル蓼科(現AMBIENT蓼科ホテル)の開業は1993年7月でした。これら大規模リゾートホテルを次々と開業させたことが結果的に過大投資となり、その後の経営を圧迫する原因となりました。

フォートレスが今日手にした資産の多くは、このような日本のリゾート開発史、つまりはバブル遺産の「遅れて来た回収劇」でもあるのです。

2008年の破綻と2013年の復活

旧泉郷はその後、やはり倒産することになる旧セラヴィグループに救済され、「セラヴィリゾート泉郷」を名乗ることになります。この辺りの経緯はこのサイトでも何度も取り扱っています。珍しくセラヴィ側から見た歴史を語ったものとして、以下の記事を参考資料として挙げておきます。

名古屋のマンデベが築いた「至高の国」の数奇な運命

同社の歴史における最大の転機は、2008年に訪れます。親会社であるセラヴィグループが手掛けた商業施設「名古屋港イタリア村」の経営破綻が引き金となり、セラヴィリゾート泉郷も会社更生法の適用を申請するに至りました。この2008年の9月にはリーマンショックが勃発し、ガラ権業界は冬の時代となります。同年開業の東京ベイコート倶楽部が理念をかなぐり捨ててスーパーエクシブに衣替えしたのは、そんな時代背景によります。

しかしセラヴィリゾート泉郷は、そこから驚異的な回復を遂げます。不採算施設を売却し、事業を再構築することで、当初15年はかかると見られていた更生手続きをわずか5年半で完了させ、2013年11月30日に更生手続終結決定を受けました。

この「奇跡の復活」はまさに、「破綻によって再投資(=リゾートクラブとしての改善)のチャンスが生まれる」という、同社特有の再生パターンを象徴する出来事でした。旧泉郷が旧セラヴィに救済されて利用できるホテルの幅が広がり、そしてそれら全体が破綻した後も、クラブは生き延びたのです。

これらの経験が、セラヴィリゾート泉郷は危機を乗り越えて再生するというイメージを、ガラ権ウォッチャーの間に定着させたのでした。

ファンドからの再売却

2013年の会社更生手続終結後、同社は一時的に従業員持株会が主要株主となるなど、自力での再建の道を歩みます。しかし、この体制は長くは続きませんでした。2020年11月、セラヴィリゾート泉郷の全株式は、国内の投資ファンド「日本企業成長投資」に売却されることになります。

この所有権の移転が、今回のフォートレスによる買収につながる決定的な転換点となりました。日本企業成長投資は経営陣を送り込み、事業の合理化を進めたとされます。しかし、リゾートクラブ事業の専門家ではないファンドによる経営は、従来の会員が享受してきたサービスに質の変化をもたらし、会員制ビジネスの根幹を揺るがす結果となったと、僕は観察・理解しています。  

このファンド主導の期間こそ、セラヴィリゾート泉郷が伝統的な会員制リゾート事業者から、売買可能な「投資対象ポートフォリオ」へとその性格を変えていく過渡期でした。

そして2025年、日本企業成長投資はセラヴィリゾート泉郷をフォートレス・インベストメント・グループに売却し、投資を回収(イグジット)します。ファンドへの売却は一時的なものであり、最終的にグローバルなホテル投資のプロフェッショナルであるフォートレスの手に渡る「布石」でした。

会員制クラブモデルの終わり

今回のフォートレスによるアイコニア(旧マイステイズ)への経営統合は、過去の再生サイクルとは決定的に性質が異なります。2013年の会社更生手続終結は、経営陣や事業内容(運営・会員・不動産)の骨格を維持したまま、スリム化された形でリゾート事業を継続させることが目的でした。その中で会員制事業も「再生」されることになり、会員の満足はかなり維持されたと見ています。

しかし対照的に今回の変革は、「事業モデルそのものの転換」になります。会社の価値の源泉のひとつとみなされてきた「会員組織」は、「不動産資産とその運営収益」へと会社の方針が完全に移行した中で、不安定なものとならざるを得ません。

プライベート・エクイティ・ファンドであるフォートレスの至上命題は、ファンドの投資家に対して、リスク調整後の高いリターンを提供することにあります。この目的の達成は、数値的な指標によってドライに観察されます。それはRevPAR、つまり客室1室あたりの売上の最大化です。

しかし会員制リゾートクラブ(ガラ権)のビジネスモデルは、このRevPAR最大化の論理とはまったく相容れないものです。会員に対して一般市場価格よりも大幅に割引された料金や、特定の利用権を保証する旧来の契約は、そのガラ権自体を「刷ったのではない」後継の運営会社にとっては、収益機会の損失に他なりません。

次回は最終回として、セラヴィリゾート泉郷の今後を、特に会員権ビジネスの面から展望してみたいと思います。

(続きます)

セラヴィリゾート泉郷の新時代 – 4

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