リゾートトラストの「倶楽部クロニクル」

オフ会がこの週末に迫ってきましたので、発表に向けた取材、調査を進めています。今回、思いのほか話題が豊富になってしまい、まったくまとまりのあるものになりそうもないのですが(とりとめもない、という感じ)、その分、いろいろなヒントを持ち帰っていただける会になるんではないかと思っています。

今日はその準備の一環として、リゾートトラストのビジネスに見られる「倶楽部文化」的なものに関して、ファクトを年代別のクロニクルとして先出ししてみます。当日おいでになる方もならない方も、ぜひ気になる点にコメントをいただいてディスカッションにご参加ください。

1970年代

サンメンバーズ

リゾートトラストのリゾート会員権事業は1974年12月開業の「サンメンバーズひるがの」にはじまるわけですが(現在のホテルは建て直したもの=冒頭の写真)、まずはこのブランド名に注目しましょう。

「メンバーズ」という言葉遣いからは、会員制であるということが明確に示されている一方で、その名称は会員そのものにフォーカスが当たっています。リゾートトラストは会員を「メンバー様」と呼びます。また、会員権の個別名称としては「サンメンバーズ ホリデークラブ」のように、「クラブ」の名称が使われました。

その後のサンメンバーズの発展は言うまでもないことなのでここでは触れません。この当時からいろいろ複雑なバリエーションを次々と発売していて、同社の特徴が初期から確立していたことがわかります。

エクセレントクラブ

一方で並行して、1977年に名古屋と大阪に会員制レストラン「エクセレントクラブ」ができます(現在のローズルーム名古屋は1987年開業、ローズルーム大阪は1989年)。

同社の会員権を購入した会員を対象としたレストランで、名古屋と大阪は現在も営業しています。

(公式)ローズルーム 情報一覧|ホテル情報|リゾートトラスト株式会社

エクセレントクラブはこれら2施設に加えて、サンメンバーズ新宿内のエクセレントクラブ新宿、サンメンバーズ神戸内のエクセレントクラブ神戸、リゾーピア熱海内のエクセレントクラブ熱海の合計5レストラン体制として、長く運営されました。

一時はこのエクセレントクラブ単体の会員権が販売されていたこともあったようです。そして昨年の4月7日、クラブとしては閉会しました。

(公式)「エクセレントクラブ」閉会のお知らせ | お知らせ | リゾートトラストグループ事業ブランドサイト

ゴルフ事業の嚆矢

ホテル会員権を販売する一方で、同社はゴルフ事業もかなり初期から展開しています。その嚆矢は1979年の会員制ゴルフアスレチッククラブ「サンメンバーズゴルフアスレチッククラブ(S・G・A)」です。残念ながらマイナー過ぎて、これについての詳細は不明です。

名古屋のど真ん中(中区で開業)ですから、これはいわゆるゴルフ場事業ではないタイプのメンバーシップ・ビジネス、つまり倶楽部そのものであったと思われます。

1980年代

リゾーピア

1980年代になると、サンメンバーズのリゾートホテルは「リゾーピア」を名乗るようになります(熱海、久美浜、別府、箱根)。

この名称は、田中角栄の日本列島改造論に端を発する「グリーンピア構想」に基づいて、1980年代に年金福祉事業団が全国的に建設した「グリーンピア」の名前に影響を受けているように見えます。

その名称にメンバーシップや倶楽部文化との関連性は見いだせません。

(参考:2004年5月30日「しんぶん赤旗」)グリーンピア破たんの責任は/消えた年金4000億円/歴代厚相の地元に集中

ロータリーライフ

1990年ごろまで、リゾートトラストの主力事業にはマンションの分譲がありました(2001年12月に撤退)。1980年代に同社は「ロータリーライフ」のブランドで、四ツ橋、多摩センター、奈良西ノ京、永山、相模原、川越、狭山、与野、石川町、伊勢原、久里浜と、多数のマンションを分譲します。

ロータリーの名称から連想されるのは「ロータリークラブ」です。同社創業者の伊藤與朗氏は、名古屋栄ロータリークラブにおいて長く活動しており、このマンションの名称の由来が、倶楽部文化そのものであることは間違いなさそうです。

(参考)会員情報 | 名古屋栄ロータリークラブ

エクシブ登場と格差の可視化

1987年にはエクシブ鳥羽が開業し、同社の快進撃がはじまります。エクシブとは、アルファベットで書くと「XIV」。これはローマ数字で「14」を表しています。

エクシブは当初、1室を14人で区分所有する共有制のリゾート会員権として発売されました。エクシブ会員権には、年間26泊のノーマルタイプと、年間13泊の「バージョンZ」の2種類がありますが、もともとは26泊タイプだけでした。

ブランド名の意味合いは「区分所有」そのものであり、会員は「オーナー様」と呼ばれるようになります。そこに倶楽部の香りはありません。

また、エクシブにおいてはグレードという革命的な販売手法が開発されます。また、サンメンバーズ会員とは待遇で差を付けるようになり、1990年代になるとレセプションを分けて会員の違いを可視化します。

(関連記事)エクシブの販売グレードと交換グレードの系譜|エクシブの活用術 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究

その可視化はその後も続き、サンクチュアリ・ヴィラでは下位グレードは立入禁止となりました。近年はスパ利用時のガウンの色で宿泊グレードを可視化するなど、ややえげつない領域に突入していると感じます。

こうした会員や利用者の中で競争心をあおるシステムは、同質性や対等性を基本とする倶楽部文化とは相当に異質なものに感じられます。

1990年代

ゴルフ事業の本格化

1990年代後半~2000ゼロ年代前半に、同社は次々にバブル崩壊で破綻したリゾート施設を買収し、エクシブに転用していきます。これがグランドエクシブの成り立ちです。詳しくは以下の記事をご覧ください。

(関連記事)リゾート会員権論 5「バブルの破綻物件がビジネスを変えた」|KASA Community – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究

鳴門、白河、浜名湖、それにその後の軽井沢などでのホテル併設ゴルフ事業の運営を経験し、「ゴルフクラブ」の文化を事業に取り込んでいきます。

並行して同社は1993年、スポンサーであったゴルフトーナメント「リゾートトラストクリナップレディス」を、日本女子プロゴルフ協会の賞金ランキング対象トーナメントに昇格させます。これが現在の「リゾートトラストレディス」で、毎年、同社のゴルフ場で持ち回り開催されています。

エクシブ蓼科のコンセプト

今もそうですが、昔のエクシブはホテルごとに明確な建設テーマがありました。1999年に開業した「エクシブ蓼科」の開発コンセプトは、現在の公式ホームページにもメインのキャッチコピーとして、以下のように掲載されています。

「ブリティッシュ・カントリースタイル」をテーマに誕生する温もりとやすらぎのオールシーズンリゾート

ようこそ、エクシブ蓼科へ

イギリスの貴族が郊外で過ごす、優美でしかもアクティブな休暇。美しく広がる無垢な自然、ゆるやかに流れる時間……
都市生活では決して味わうことのできない大きなくつろぎが、ここにあります。

(引用元)エクシブ蓼科|リゾートトラスト株式会社

このコンセプトはまさに、オリジナルの「カントリークラブ」の概念そのものです(日本においてカントリークラブがゴルフクラブと同義になっているのは本来の意味としては誤用)。

カントリークラブに関して、Wikipediaの記載を参考までに引用します。

カントリークラブ(country club)は、スポーツを楽しむために郊外につくられた、会員制のクラブおよびその施設である。

ゴルフ、テニス、水泳、ポロなどの設備を備えることが多い。

スポーツクラブと似ているが、それは主に都市部にあり通常ゴルフや伝統的なポロ競技の設備は無い。カントリークラブでは会員サービスとしてレストランやバーを備えている。また、付属的な会員サービスとして結婚式などが開かれる事がある。

(引用元)カントリークラブ - Wikipedia

クラブ in 倶楽部

エクシブに「クラブ in 倶楽部」というクラブ活動的な制度があることをご存知の方も多いでしょう。僕がエクシブ会員になったときにはすでにこの制度はあり、いつはじまったのか資料がないので定かではないのですが、公式サイトにあるロゴには「SINCE 1999」とあるので、おそらくエクシブ蓼科の開業と同時期なのでしょう。

(公式)クラブ in 倶楽部

2000ゼロ年代前半には、ここで述べているいくつかの事象が重なって、同社の中での「倶楽部熱」が高まってきていたことが見て取れます。

2003年の投資家向け資料を見ると、驚くべきことにホテル・レストラン事業の取り組みの第一番目のトピックとして、このクラブ in 倶楽部が取り上げられています。いかにこの時代、同社がリゾート会員権事業に「倶楽部文化」が必要だと判断していたのかをよく現しています。

2000ゼロ年代

パワーブランド計画

1990年代後半から急速に事業を拡大した同社は、さらなる成長を目指して2003年4月からの中期経営計画「パワーブランド計画」を発表・実行します。

(関連記事)16年前の「パワー・ブランド計画」を振り返る|リゾートトラスト – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究

その計画の最大の目玉が「東京でのアーバン・リゾート開発をはじめとするビジネスモデル革新」でした。

それは同社が創業30周年を期に策定した大勝負でした。2003年の同社投資家向け資料より引用します。

都心部における積極展開

当社はこれまで郊外型リゾート事業における成功モデルを創り上げてまいりました。しかし、今後の成長のためにはコア事業である郊外型リゾートを安定的に展開させながらも、新たな事業領域を開拓、拡大させていく必要があります。

「パワー・ブランド計画」の最も大きな戦略は都心部領域への進出です。当社はこれまでのリゾート事業の集大成として、東京の臨海副都心(通称:お台場)に当社の新しいフラッグシップとなるアーバン・リゾートの開発を行います。東京は“楽しみ”を求めて他府県から最も人が多く集まる日本で一番のリゾート地であると考えており、特にベイサイドエリア(お台場)はリゾート性が非常に高いといえます。今後、居住地により近い都心部で娯楽や快適性を追求したリゾート感覚に対する需要が拡大すると思われ、その新しい需要層・顧客層を開拓すべくアーバン・リゾート事業に進出します。

アーバン・リゾートでは、これまでに当社が蓄積してきた分譲共有型開発ノウハウにより、世界の一流が集まり外資としのぎを削る東京地区でも、他社に負けないハイグレードな施設を提供することができます。また、サービス面に関しましても郊外型のリゾートで培った「会員制ならでは」のきめの細かいサービス水準をさらに高め、アーバン・リゾートにおいて当社のソフト力を自信を持って示すことができると考えております。

エクシブの大成功を背景に、東京に打って出て、しかも「外資に負けないハイグレードな施設を提供する」と意気込みを表明しています。

そして注目すべきは、続いて「アーバン・リゾートにおいて当社のソフト力を自信を持って示すことができる」と語っている点です。その「ソフト力」こそ、彼らが描いた「倶楽部」の概念だったのでしょう。

東京ベイコート倶楽部

こうして、乾坤一擲の東京での大勝負を、エクシブとは異なる新ブランドで展開することが決定されます。しかも、「完全会員制」をうたい、またそのコンセプトの第一にメンバー同士の交流を表現する「CLUB」を据え、さらに名称も「東京ベイコート倶楽部」と、ストレートに倶楽部文化を目的とするのだと明示するブランド名が採用されました。

販売開始の報道発表資料を見ると、まさに社交クラブ的な要素をホテル事業に加味することを目指していたことがわかります。

「クラブ(会員制)」による関係の創造
夫婦や大切な友人などと二人きりで、あるいは、商談や接待などビジネスの機会で、閉じられたプライベートな空間と他のものに邪魔されない濃密な時間を提供します。家族、遠来客や友人たちと、気の置けない語らいや和やかさの中で過ごすひとときを演出します。また、会員制であることにより、価値観を共有する人たちとの新しい出会いから生まれる関係も創造します。大切な人と大切な時間を共にすることで、心の絆を得ることができます。

(引用元)リゾートトラスト報道発表資料(2005年4月5日)「東京お台場に、日本初となる都市型会員制リゾート施設 東京ベイコート倶楽部 ホテル&スパリゾート 会員権販売開始のお知らせ」

「クラブ」を前面に出したこのコンセプトは「Tokyoship」と名付けられました。

社交クラブを真似てセレブリティを多数招き、それなりの体裁を整えてこの会員権は発売されました。東京ベイコート倶楽部の理事とアドバイザーは以下のようなものでした(肩書は当時。敬称略、50音順)。

理事
小林陽太郎富士ゼロックス株式会社 取締役会長
日枝 久株式会社フジテレビジョン 代表取締役会長
宮内義彦オリックス株式会社 取締役兼代表執行役会長・グループCEO
茂木友三郎キッコーマン株式会社 代表取締役会長CEO
アドバイザリーボード
折口雅博グッドウィル・グループ株式会社 代表取締役会長兼CEO
坂井宏行料理の鉄人・フランス料理「ラ・ロシェル」他
澤田秀雄株式会社エイチ・アイ・エス 取締役会長
島田晴雄慶應義塾大学経済学部教授
陳 健一料理の鉄人・四川料理「赤坂四川飯店」他
南部靖之パソナグループ 代表
野中ともよジャーナリスト
松井道夫松井証券株式会社 代表取締役社長
三木谷浩史楽天株式会社 代表取締役会長兼社長
道場六三郎料理の鉄人・日本料理「懐食みちば」他

エクシブとはまったく違う別の会員権として販売されたのは、このような「理想」が掲げられたからでした。

挫折とその後

倶楽部文化の放棄

東京ベイコート倶楽部は残念ながらリーマンショックに端を発する景気後退に見舞われ販売が不振で、また開業時期に傑作、エクシブ箱根離宮やエクシブ有馬離宮が販売されていたこともあって、このように盛り上がっていた倶楽部志向を早々に放棄せざるを得なくなります。

そして数年を経て、芦屋、ラグーナ、横浜の3施設を追加してベイコート倶楽部は終焉を迎えます。いつしか倶楽部文化を目指した理念は消え、横浜ではメンバーズバーも作られませんでした。

(関連記事)東京ベイコート倶楽部の功罪|ベイコート倶楽部 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究

ビジネスモデルへの影響

しかし東京ベイコート倶楽部が失敗し、倶楽部文化を捨て、「スーパーエクシブ」に看板を付け替えたからこそ、同社の今があります。この話は何度もしているので、今日は省略しますが、主な論点を2つだけ紹介します。

第一に、離宮シリーズの人気・魅力を利用して、他の場所に分譲したホテルを販売して収益を継続的に高めるという手法が生まれたことです(芦屋、ラグーナが典型)。しかしそれは同時に、新しいのに稼働率が低いホテルがベイコートブランドとして量産されてしまったことにもなりました。

(関連記事)リゾート会員権論 8「高収益ビジネスの中身」|KASA Community – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究

第二に、これは新しい話題ですが、ベイコート倶楽部の変節を踏まえて開発したサンクチュアリコートのことです。オールドエクシブ、離宮シリーズ、ベイコート倶楽部を経て、同社の会員権は全体が高級化したという設定になり、また法人への販売を志向した結果、現在の同社のホテルの利用者は日本全体がそうであるように、相当に二極化しました。

その結果この数年、法人従業員向けの格安プランが生まれ、それが不人気化したオールドエクシブへの送客メソッドであるという、新しい意義が見出されました。そしてそれが個人会員向けにもネット予約限定で開放されるという、言わばダブルスタンダード経営が実践されるようになりました。同社の会員制ホテルは、会員制でありながら、かなりのホテルで顧客の同質性が失われつつあります。

(関連記事)1泊2食7700円の「HAPPY PLAN」は社会の縮図|エクシブ初島クラブ – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究


さぁて、倶楽部という概念が、かなり同社のビジネスに影響を及ぼしており、また現在の状況を理解するキーワードである、ということがわかってきましたね。それに、こうして歴史を振り返ってみると、同社が抱いていた「倶楽部文化への憧憬」もまた、強く感じざるを得ません。

なぜ同社は、結局は捨てることになったメンバーズバーや理事組織のような、そんな余計なことをしたのでしょうかね? 倶楽部文化の魅力って何でしょうね?

また会員制と倶楽部文化って、どのような関係性があると捉えたらいいのでしょう? リゾート会員権はお金で買えますが、結局、買えないもの=売れないもの(=倶楽部文化)を手掛けることは、同社には無用だったのでしょうか?

さらに、同質性を基本に置く倶楽部文化とは異質の、格差を可視化し競争心をあおるような仕組みや装置が、同社の会員権やホテル運営には埋め込まれています。それに上記のように、社会全体と同じように同社の客層は二極化してしまい、会員制であるという「倶楽部感」は失われつつあります。これはどのように理解すべきでしょうか。

そしてこれらが「いまのリゾート会員権の品格」に与えた影響と、現状の実態はどんなものでしょうか。僕なりの意見はなくはありませんが、むしろ皆さんのご意見を伺いたいと思います。

続きは土曜日に。いらっしゃる方々にお目にかかるのを楽しみにしております。いらっしゃらない方は、ぜひコメントで何かお話しください。

12 comments

  1. いつも素晴らしく分かりやすいまとめで感服します。初期の安価な会員権を今より大衆的な顧客に売っていた時代の方が「クラブ」らしかったのですね。会社の姿勢も変わりましたが会員の基盤も変わっています。仕方がないことですが年月が経つと会員の均質性は失われます。第一次購入者も20年経つと経済的基盤はさまざまに分化して均質な集団ではなくなっています。会員権を相続して利用されている方はゲスト利用者と変わらないくらい散布が広がります。東急HVCを25年くらい続けていますが東急でも事情は同じです。以前は会員と非会員がおおむね判別できたんですが最近は全くわかりません。権利が一生保証され相続もされる共有制のホテルでは長期的には顧客の均質性が失われるデメリットもあるように感じます。エクシブの軽井沢本館や蓼科などは将来クラシックホテルに仲間入りできる風格を備えていると思っていますが会員や宿泊者の多様性が著しいことはその妨げになるのではないでしょうか。

  2. 長年にわたるビジネスの実績と経営姿勢の変化を時系列で理解でき、大変有意義なまとめ。知らなかった話も「我が意を得たり!」の分析も盛り沢山でした。

    RT社は以前マンション建売分譲を手掛けていたのですね。同社の高収益の根源は、会員権販売における「ゴリゴリ営業」だと理解しています。見込み客への強引なアプローチ等、この営業スタイル(いろんな意味でギリギリの)は何処から来たのか、と不思議だったのですが、マンション営業がスタートだとしたら納得できます。

    しかし、ホテル運営においては集客のために会員に対してゴリゴリ営業をかけることは出来ません。それで、ホテル運営部門の収益力は低いのでしょう(この点で共立メンテナンスさんは凄いと思います)。

    営業の会社は、どこまで行っても営業の会社。決してハイブランドにはなり得ません。
    その劣等感が「倶楽部文化への憧憬」の元なのかと邪推しています。
    ロータリークラブで活動なさっていたのであれば、お金に余裕がある人が手弁当で集まり、経済的な利得以外の喜びを得る世界(まさしく倶楽部文化)の心地良さを知っていたのでしょう。もちろんそこには「良好な人脈の形成」という最高の利益がある訳ですが。

    しかし残念ながらRT社は「同質性を基本に置く倶楽部文化」を理解していなかった様に見受けられます。TBCC会員権にランクがあるのが、なんとも象徴的です。
    また理事のメンバーを見ると、その当時輝いていたスター達で、何らかのコンセプト(同質性)の下に集った仲間、という印象を受けません。ここにも倶楽部文化への無理解が表出しています。

    「会員制」で担保できるのは、会員の経済力のみ。同じ価値観(特に、マナーについて)を持つ人を選別する事は、事務局には出来ません。

    先日メールされたRT社からのアンケートの初めの方に「RT社システムの会員であることにステイタスを感じていますか?」という質問がありました(言葉は不正確)。
    何のこと?と意味不明でしたが、RT社は自社を「ブランドであり、ステイタス」だと感じて欲しいのでしょうね。
    ロータリークラブはともかく、倶楽部文化は「見ず知らずの他人に対してステイタスを感じさせるもの」では無く、むしろ世間に知られていない「秘密結社」に近いものだと思いますが。ここにも意識のズレを感じました。

    もしかして近年RT社は倶楽部文化への憧憬を捨て、ハイブランドになることに目標を変えたのかな?とも思えます。ただ「会員制のハイブランド」なんて成り立つのでしょうか…

    こんな話を顔を合わせてリアルで話せるオフ会、参加したかったです。皆様、本日はどうぞお楽しみください。

  3. 久しぶりに書き込みします
    先日リゾートトラストから
    「リゾートトラストからの
    大切なお知らせ」と
    封書が届きました
    いや〜な予感で開けました

    「サンメンバーズ名古屋白川」の
    建物状況についてのお知らせ

    との題目でした
    要は問題となりつつある
    建物の老朽化でその後の営業について
    会員権をどうするのか・・・・

    現時点ではまだ確定しているものではございませんが・・・
    と最後に書いてありました

    文面詳細をこちらのサイトにのせるのも
    と思い 簡素化して書いてしまいましたが
    閉館したリゾーピア箱根の会員権とかは
    どのような扱いになったのかなと

    サンメンバーズの会員権は
    40年前ほどに義父が買ったもので
    エクシブと併用して何となく
    使用してきましたが
    いよいよかあ〜という感じです

  4. 現在、リゾーピア箱根の会員の者です。もともと祖父がリゾーピア箱根の会員でしたが祖父は亡くなり祖母が所有していました。祖母が所有中に箱根は閉館しました。祖母はもう使わないのでということで私が継いだのですが、条件として私の代でこの会員権は終わりで今後、譲渡できないとのことでした。
    ホームの施設はなくなりましたが、会員権としてチケットも送られてきますし、50%オフ券も送ってきます。

  5. MASA 様 ありがとうございます
    何かしらの提案があるらしいのですが
    高い会員権はもういらないし
    そのまま使用できれば
    ありがたいです(^o^)

  6. 2年前の話なのでどこまで同じで済むかはわかりませんが参考にされていただければと思います。おそらくコロコロ様がその会員権の最後になり誰かに名義変更はできなくなると
    いった話になるのではないかと思います

  7. MASA様 期待しない事に
    しました(^^) 
    ありがとうございました

  8. ざりさん、ご評価いただき、ありがとうございます。東急の取材もいろいろしたのですが、時間が取れずに発表に至っていません。ああ、VIALA軽井沢Retreatが開業してしまう(汗)。また絡んでください。よろしくお願いします。

    belairさん、コメントありがとうございます。ご指摘いただいたマンション販売に関して、以下に補足します。

    リゾートトラストの会員権販売を、営業面から支えてビジネスとして確立させた立役者が、高浪宣昭さんという方です。1976年の入社で、1983年には32歳の若さで取締役まで上り詰めます。

    高浪宣昭 – リゾートトラスト株式会社 (2015年3月期) 役員の略歴 (健全!どんぶり会計β版)

    上のリンクにありますように、高浪さんは大京の出身です。高浪さんを誘ったのは大京時代の上司であると経済誌のインタビューで話していたのを、蔵に入って資料で確認しました。リゾートトラスト(当時の社名は違いますが)の黎明期に大京からの人材移転で、営業手法が「輸血」されたことがわかります。

    第1次オイルショック後の大京は苦境で倒産寸前でしたが、その後、独立系マンデベを次々と興していく伝説的な営業マンが数多く在籍していました(参考:横山修二 – Wikipedia)。以下に当時を知る記者の回顧録を紹介します。

    (引用はじめ)
    記者が忘れられない当時の幹部7人衆を紹介しよう。横山社長の番頭格の安倍毅夫(安倍徹夫氏の兄)、瓜田善吉、原田利勝(現明和地所相談役)、安倍徹夫(現アンビシャス社長)、木原稔(現ケイボストン社長)、竹野允(現東和ホーム社長)、鈴木陽三(横山元社長の弟)各氏だ。

    この7人がオイルショック後の倒産寸前の大京(当時大京観光)を救った功労者だ。毎日、重いカバンを持ち〝飛び込み営業〟を行い、〝小便に血が混じっていた〟〝電車の中で立ちながら眠った〟という話はよく聞いた。各氏は横山氏のことを〝オヤジ〟と呼んでいた。
    (引用終わり)

    (引用元)大京 社史 40年の軌跡

    倶楽部文化の話とは違いますが、リゾートトラストは50周年なのだからちゃんと公式の社史を作ったらどうかと思いますね。

  9. コロコロさん、MASAさん、貴重なお話をありがとうございました。ヴィア白川は1974年建設ですから、来年で50年になります。そうなると、閉館や建て直しといった議論が現実化してくるというわけですね。

    今年、リゾートトラストが50周年を祝っている、ということは、建て直し議論が今後次々に発生するということだと改めて理解しましたし、建て替えのことは最新の経営計画でも語られていますね。

  10. resortboyさまこんばんは。ざり改めノラでした。プラウザのキャッシュが残っていたのか古いHNで投稿してしまいました。東急ハーベストクラブの研究成果もお待ちしております。

  11. エクシブ軽井沢のクラブin倶楽部テニス大会に出場してきました。出場にされた方々のほとんどはリピーターで、皆さん顔馴染み同士。でも、ニューカマーの余輩らを温かく迎え入れてくれ、家内も皆さんとLINE交換し、東京でもテニスをご一緒しましょうと盛り上がっていました。

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