テキサスの田舎町にヒルトン創業の地を訪ねて

今回は春休みということで、日本を離れての番外編です。ホテル好きの筆者は、2019年にヒルトンホテルが創業100周年を迎えたという記事を読んでいるうち、同社発祥の地を訪れたくなり、ここ数年で2度訪問しています。

日本人にヒルトン好きの方々は多くとも、この発祥の地に行った人の話は読んだことがありません。そこでこの連載の場を借りて、世界的高級ホテルチェーンであるヒルトンのルーツをご報告させて頂きます。

テキサス州シスコ

聖地の場所は、テキサス州シスコという、車ならアクセス容易な古い田舎町です。

アメリカン航空が東京から直行便を就航(ワンワールド同盟の日本航空も就航)させているハブ空港にして、アメリカ全土でも五指に入る巨大空港であるダラス・フォートワース国際空港から、レンタカーで20号線を西にほぼ一直線。約2時間で高速を下りますと、そこから、ダウンタウンに向かう一般道もほぼ北に一直線で約5分。そしてこの道は「コンラッド・ヒルトン・ブールバード」と命名されている分かりやすさです。

この方向は渋滞もなく、アメリカのドライブ初心者でも、簡単に行ける田舎町です。聖地は「コンラッド・ヒルトン・センター」という名前で、ダウンタウンの中央エリアの一番奥に鎮座します。

初めての時、残念なことにヒルトンホテル発祥の建物を利用した記念館(ホテル内部)は休館でした。この時、テキサス州で2019年(ヒルトン100周年 1)~2020年への年越しをしていて、初詣がてら行ってみたのですが、さすがに元日は休みでした。

それでも外部から第一号ヒルトンの建物を見学し、聖地の趣きを堪能。入口前にはコンラッド・ヒルトンのブロンズ像があり、筆者は「はるばる来たぜ」と達成感に浸りながら、めずらしく自撮り撮影をしました(お見せできませんが…)。

この街のダウンタウンには、2つの立派な高層オフィスビルがありますが、この第一号ホテルとして鎮座するのは、わずか2階建てのコの字型をした、どっしりとしたレンガ造りの低層ホテルです。初めて見ると、これが第一号なのか?とやや拍子抜け。迫力は感じません。

しかし、かなり広い敷地に、ホテルとゆったりとした庭。元々の周辺はどうだったかは調べられませんでしたが、まるでリゾートホテルのようなリラックス感あふれる佇まいです。

その後、再びテキサス州を巡っている際、今度は天気も良く記念館も開いている日にたまたま近くを通る奇遇があり、念願の再訪となりました。今回の記事で青空の下での撮影は、昨年、2度目の訪問時のものです。

米国内で圧倒的

アメリカでのドライブ旅を趣味とする筆者ですが、どこに行ってもヒルトンはあり、どうしてこんなにホテルがあるのか?、これで良く経営は持つなと不思議ですが、それもそのはず。世界展開しているのは確かでも、7割は米国内にあるのだそうで、その数は実に約5,500軒となります。

チェーン全体では、ここまで大きくなると加盟ホテルの数を正確につかむことさえ出来ないのですが、おおまかに言うと、全世界でホテル数は約7,500軒、顧客数(ヒルトンオナーズ会員数)は1億8,000万人くらいのようです 2

これは、最大手とみなされているマリオットに次ぐものでありますが、ホテル数的には追いつけないとしても、顧客数は数年後に抜くのではないかと言われているくらい人気があります。

ヒルトンがここまで人気があるにはなんらかの魅力があるからでしょう。実際にこの目で、創業からの歴史を辿るとその秘訣が分かるかもしれない。そう思いながらの再訪です。

モブリー・ホテルと記念館

時は流れて2023年。創業者の人となりとホテル経営のポリシー、そして記念すべき最初のホテルを保存した記念館(=聖地)に再度向かいます。到着すると、無事、「OPEN」の旗がはためいていました。駐車場に着くと管理人の女性が出迎えてくれ、館内で説明を聞きました。

「コンラッド・ヒルトン・センター」。こここそ、世界トップクラスのチェーン第1号ホテル「モブリー・ホテル」(建物に1916年と刻印)が歴史的に保存され、開業当時を中心に、創業者であるコンラッド・ヒルトンに関係する様々な展示を行う記念館であります 3

言うまでもなく、創業者は、同社上級ブランドに名を残すコンラッド・N・ヒルトン(敬称略)です。創業地から拡大していったエリアはテキサス州の北西部ですが、彼の生まれは西隣のニューメキシコ州の真ん中あたりです。広大なアメリカでは両者はお近くとも言え、仕事始めは土地勘のある場所だったと言うことでしょう。

非常に多数の展示が所狭しと飾ってあり、手作り感もあるアットホームな記念館です。訪問者ノートに記帳しながら見た感じでは、平均して一日に2人(組)位が来訪する静かな場所です。

入場料は無料。広い庭で休むことも出来ました。こちら、今はホテルではありませんが、建物・内部・展示が全てゆとりとホスピタリティを醸し出しています。

何もない田舎町の中でも、特に目立つこともないヒルトン第1号ホテル。ご興味持たれましたら是非お訪ねください。コンラッド・ヒルトンがここを手に入れたのと、高い評判を得たのが分かる気がする聖地でした。

ヒルトンとテキサス

コンラッド・ヒルトンは、ここの成功の後、西のアビリーン、東のダラスと手を広げていきます。

コンラッド・ニコルソン・ヒルトンは、家族と苦労をともにして雑貨屋と宿屋を手伝った子供時代を経て、軍隊学校を出たものの軍人にはならず、鉱山学校を出たり銀行家を目指したり、その過程でさまざまな職業に就いて苦労をしましたが、常に前向きな姿勢で取り組み、どこでも頭角を表す優れた才能の持ち主でした。

その後、第一次世界大戦が勃発。補給部隊の責任者として活躍し、退役後は実業家として成功したいという夢は続きまして、縁あってこの田舎町シスコのモブリー・ホテルを購入し、経営に着手。効率的運営で頭角を現わします。

こうしたストーリーは、自伝に加え、たくさんの評伝があり私が書く物ではありませんので、ご興味次第で、検索してみてください 4

最後に、筆者が知る中で、コンラッド・ヒルトンが生粋のホテル経営者だと感じたエピソードを2つ。

このヒルトンホテルがテキサス発祥であることは、同社のホスピタリティビジネスが広がっていったことと無縁ではないと思います。テキサス州は、非常に暑いところなのです。筆者は40年近い昔、夏に初めてダラス近郊に行った時、屋台でソフトクリームを買ったところ、受け取って口に持って行く間に溶けて下に落ちた、という経験があるくらいです。

コンラッド・ヒルトンは、モブリー・ホテルの後に初めてヒルトンの名前を付けた大型ホテル「ダラス・ヒルトン 5」を運営した際、これがツインタワーのような形をした建物であったのですが、この時代にはまだエアコンがなかったので、客室に暑い西日が差し込まないよう、エレベーターなどの設備をすべて建物の西側の棟に配置したということ 1

また、その後手がけた「ウェーコ・ヒルトン」には、ホテル業界初となる、パブリックスペースに冷たい流水とエアコンを設置したということ。

このように、コンラッド・ヒルトンがビジネスを全米に拡げていく中で、テキサスの初心(暑い夏にいかにゲストに快適に過ごしてもらうか)を忘れず、お客様本位の運営をしてきたのだと思います。そのホテルマンとしての高い志=ホスピタリティが、今もって支持されていることは、ビジネス拡大の数字が証拠となっています。

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