宮崎に残る「世界標準」への夢のかけら

「会員制ホテル今昔物語」は、35年に渡ってリゾート会員権についてウォッチされているzukisansuさんによる連載です。日本で独自の発展を遂げたリゾート会員権、すなわち「ガラ権」の歴史をたどることで、日本的文化とは何か、日本人とは何かを、過去に学び未来を見通す―そんな奥行きのある連載として、僕から特別にお願いし、zukisansuさんにしか語れないこのテーマでご執筆いただく運びとなりました。どうぞご期待ください。(企画・制作:resortboy)

鹿児島編を終え、筆者は宮崎県に走り込みます。北海道編でニセコを取り上げた際、「もともと人気があった遠くの観光地にガラ権は必要なかった」と書きましたが、ここ宮崎県も同じです。1970年代、まだ海外旅行が一般的でなかった頃、日本の観光地として人気ナンバーワンだった宮崎は、「ガラ権空白県」となっています。

ひむか神話街道

まず、今回の走破ルートはこちらです。

古事記や日本書紀に書かれた「神話の国」を標榜する宮崎県 1 を知るには、前回までに書いた霧島連峰・高千穂峰付近を経て、景勝地である日南海岸のシーサイドラインを走ることが、日本を知る上で重要なルートとなります。

宮崎県はその昔は「日向国」と呼ばれました。太陽が東から上る時、宮崎県からは真正面に見えるからだそうです。日向は「ヒムカ」と読み、霧島に天孫降臨した神々が宮崎県に住んでいたとする神話の世界において、このルートは「ひむか神話街道 2」と呼ばれ、日本人の信仰の源流です。

たどり着いたのは、バブル期1993年開業の巨大施設、旧「宮崎シーガイア」、現「フェニックス・シーガイア・リゾート 3」です。宮崎市の海岸線松林を6キロに渡って贅沢に使い、敷地の一番南側にはコテージ施設の名前で「ヒムカ」が登場します。

宮崎県はガラ権空白県ですが、この「コテージ・ヒムカ」に囲まれるように、タイムシェア会員制ホテル「ラグゼ一ツ葉 4」というコンドミニアム施設が建っています。

フェニックス・ハネムーン

今回は、ガラ権への理解を深める目的で、本リゾートのタイムシェア施設であり、日本の本格タイムシェアとしてもっとも早い部類(1993年)に開発されたラグゼ一ツ葉について記録するとともに、なぜ宮崎県にガラ権施設はないのか?の疑問について考えます。

結論から言えば、その答えは既に冒頭に書いた通りなのですが、もう少しブレイクダウンして見ていきたいと思います。

第二次世界大戦後の日本は、約20年かけて1964年には東京オリンピックを開催できるまでになりました。この後、レジャーブームが訪れて観光旅行に出る人も増えていきますが、普通の人にとっての「遠く・豪華な」旅の目的としては「新婚旅行」が大きなイベントでありました。

日本における新婚旅行を最初に行ったのは、高知県の坂本龍馬夫妻とされており、その行き先はガラ権見て歩きの前回までの鹿児島県、それも霧島・高千穂であったというのは奇遇でした。

庶民が新婚旅行をするようになったのは戦後からで、関東なら伊豆・箱根・熱海、関西なら和歌浦・南紀白浜など、近場の暖かい場所が、旅行先として選ばれます。

その後、1960年代中頃から新婚旅行先として最も選ばれるようになったのが、この宮崎県でした 5。当初は旧国鉄による周遊券 6 が使われ、続いて飛行機の時代となります。1965年にはNHKの連ドラ「たまゆら」が大ヒット 7。「観光宮崎」に火が付きます。

こうして「新婚旅行は飛行機に乗って宮崎に行く」が憧れとなり、最盛期1974年には、新婚数100万組に対し実に37万組が訪れたという、新婚旅行先の歴史的な最高記録が生まれたのであります 8

「フェニックス・ハネムーン」が流れる中、新婚旅行専用列車や観光バスでは、必ず新婦が窓側、新郎が通路側。ぎっしりと乗り込む映像に前時代的な印象を受けるこのブームは、50年前のことでありました。

新婚旅行のハワイ化とバブル

ここまでに書いた観光の変遷史の「年」を見て、すぐに日本のガラ権の発生史と重ね合わせられた読者には、「ガラ権マイスター」の称号を差し上げます。

図らずも、宮崎県が新婚旅行先として37万組を迎え入れて王者に君臨した1974年、その前年に1973年にガラ権王者、リゾートトラストを含むいくつかの老舗が、「(旧)サンメンバーズひるがの」など小規模施設をベースに、日本各地で自然発生的に誕生していたのでした。

重ね合わせると、日本における個人の旅行・観光・保養の黎明期であったことがよくわかるというものです。それから約50年、日本の観光事情も変わったものですね。

その新婚旅行先は急激に変化し、ハワイなどの海外ハネムーンが台頭。宮崎から嵐が去ったように観光客が減った後、観光宮崎の威信をかけたのがシーガイアでした 3。これこそ1988年のリゾート法第1号事案であり、官が開発を主導し、官による主導の典型的失敗パターンでした。

バブル最盛期だからこそ出来た巨大施設ですが、それが命取りになりました。開業からわずか7年後の2001年、3,200億もの負債の約20分の1に満たない価格で外資に渡り、翌年からシェラトンの運営となります 9

その後、2012年に日本のセガサミーに資本が戻り、追加投資がされましたが 10 、ホテルはそのまま「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」として営業を継続。高級ブランド化して繁盛しています。セガサミーはこのリゾートを再生させ、つい先日、外資に売却することを発表しました 11

ラグゼ一ツ葉

本リゾート内に位置する、タイムシェア施設「ラグゼ一ツ葉 12」に話を進めます。

一ッ葉エリア最南部に、シーガイア発足当初から、タイムシェア施設としてメジャーリーグ入りを目論んで建っています 13

12階建・142室で、各部屋はすべてキッチンを備えた広いコンドミニアムなので、建物は大きく立派です。松林の中にあるため、筆者は撮影できませんでしたが、滞在したシェラトンの17階からははるか遠くに所在を確認できました。

周囲に建つコテージ・ヒムカはタイムシェアではなく、一部はドギーヴィラとなっています。これら施設はシェラトンであるかと言うとそうではなく、マリオット・バケーションクラブの一員でもありません。全く独立して運営されているのが特徴です。

シーガイアが当初からタイムシェア施設を用意していたのは、ワールドリゾートとしてメジャーリーグ入りを目指していたからに違いありません。

宮崎はシーガイア計画時点で過疎の村ではなく、天孫降臨の神々が住んでいた日本一流の場所だったのであり、全国一の新婚旅行先として栄えた潤いも残っていました。北海道の過疎の村の起死回生策とは違い、ガラ権錬金術は必要なかったのです。

東急ビッグウィークとの関係

ラグゼ一ツ葉は、現在もタイムシェアとして、また一般の貸しコンドミニアムとして普通に営業していますが、一時期、東急電鉄系のタイムシェア会員権「東急ビッグウィーク(現・東急バケーションズ)」が、同社施設内の交換に飽き足らず、同様な利用システムの仲間(東京建物の「羽鳥湖高原レジーナの森」、東急不動産「タングラム斑尾」など)を募って相互利用化しようとした時、そのグループに入っていたことがあります 14

当時のビッグウィークについては、実際に利用し取説を書いたものは、現在もresortboyさんの一連の記事がダントツで詳しいので、ご興味ある方は、こちらをご覧ください 15。なお、現・東急バケーションズについては、かなり変化しているので、いつかどこかの施設を書く時、本連載で取り上げる予定です。

旧・東急ビッグウィークは、仲間を募ったもののそれほど成果も出なかったため、その後、リゾートトラスト子会社のRCIジャパンではなく、独自にRCIアジアパシフィックに加盟して今日に至りますが 16、ビッグウィーク以外の仲間連合(ビッグウィークバケーションネットワーククラブ)の解消とともに、ラグゼ一ツ葉は再び、どこのタイムシェアとも関連を持たずに、独立して生きています。

ワイキキを夢見て

宮崎海岸線の松の木に、「一ッ葉」の珍種があるという話を援用すると、ラグゼ一ツ葉も、日本では数少ないタイムシェア珍種であると言えそうです。

筆者は、まだシェラトンではなく「オーシャン45」だった頃からおよそ四半世紀ぶりに現地を訪れましたが(宿泊したのはラグゼ一ツ葉ではなくシェラトンの方でした)、かつてと同じく、広々とした部屋からの眺望は素晴らしく、新設された豪華温泉施設(高層階には日本初のバンヤンツリースパもある)や 17、豪華ロビーから連なるレストラン、そして今回の記事のトップ写真としても紹介した美しくライトアップされた屋外プールには、ここがワールドクラスのリゾートであると感動させられました。

シェラトンの中でもこの「グランデ」は高級ブランドですから当然かもしれませんが、九州一の高層ホテルを中心とした本リゾートは実に快適でした。しかし、部屋の窓からは、かつて本リゾートが最も力を入れた「世界最大級の室内プール」が取り壊された跡地が見え 18、その遠く先に小さく見えるラグゼ一ツ葉を見て、宮崎海岸はワイキキのようにはならないのかな?と、思ったりしたのです。

フェニックス・ハネムーンの対象エリアはシーガイアからさらに南の日南海岸・青島を経て、馬の生息する都井岬 19 に至っていました。その海岸線には、リニューアルされつつも古くからあるいくつかのホテルが点在するだけ。

日本の遠くのビーチリゾートは、時を超えて安定的にハワイのような優雅な場所にはなりえないのかと、寂しくなりました。ガラ権空白県の考察については、本稿では紙幅も尽きましたので、次回に続きます。


  1. 神話のふるさと宮崎(宮崎県みやざき文化振興課) ↩︎

  2. ひむか神話街道 - Wikipedia ↩︎

  3. 1994年10月に全面開業。同時期に長崎県に「ハウステンボス」が誕生しており、いずれも投資額は2,000億円を越える壮大なものだった。九州のバブル期遺産は、この2つが突出している。
    シーガイア - Wikipedia ↩︎ ↩︎

  4. 一ツ葉とは、宮崎海岸線の松の木に珍しい「一ツ葉」、つまり葉が一本しかない松葉があることから名付けられた。
    ラグゼ 一ツ葉 | 宿泊施設 | 【公式】フェニックス・シーガイア・リゾート
    ・(PDF)身近な松原散策ガイド ↩︎

  5. 新婚旅行の歴史的変遷に関する研究(内田彩、今井重男。日本国際観光学会論文集、2020) ↩︎

  6. No116【しあわせ100%切符】ことぶき周遊券、フルムーン(夫婦グリーン)パス、ナイスミディパス、他。 : きっぷ鉄 1番乗りの小島 ↩︎

  7. 連続テレビ小説 たまゆら|番組|NHKアーカイブス ↩︎

  8. あの頃、みんな宮崎をめざした フェニックスハネムーンの時代|宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
    宮崎の新婚旅行ブームを生み出した、当時の若者の意識変化とは | 大学教授による学問のミニ講義「夢ナビ講義」
    フェニックス・ハネムーン - Wikipedia ↩︎

  9. 宮崎・シーガイア、会社更生法を申請 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
    シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート - Wikipedia ↩︎

  10. セガサミー、宮崎の「シーガイア」買収運営ノウハウ獲得狙う ↩︎

  11. セガサミーHD 宮崎「シーガイア」を米投資ファンドに売却決定 | NHK | 宮崎県 ↩︎

  12. 一般ホテルと並行して、タイムシェアリング施設としても営業。
    ラグゼ 一ツ葉タイムシェアリング | タイムシェアリング | ラグゼ 一ツ葉 | 宿泊施設 | 【公式】フェニックス・シーガイア・リゾート ↩︎

  13. ここでの「メジャーリーグ」とは、本連載において「ガラ権」との対比用語であり、世界的に通用するタイムシェア方式のホテル会員権およびその開発運営手法を指す。 ↩︎

  14. (報道発表PDF)「フェニックス・シーガイア・リゾート」と「東急電鉄」が タイムシェアリゾート提携で合意 ↩︎

  15. 考証担当のresortboyは2009年に東急ビッグウィークについて連載を行っている。さらにそれ以前の2005年にはリアルタイムで(当時の)サブブログにラグゼ一ツ葉に関する記事を書いている(resortboy本人も忘れていた)。
    東急ビッグウィーク – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究
    ビッグウィークの利用システム|東急ビッグウィーク – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究
    シーガイアのコンドニミアムがビッグウィークに参加 - resortboy annex::リゾート会員権クロニクル(跡地) ↩︎

  16. 会員制リゾートタイムシェア事業「ビッグウィーク」の商品「マイウィーク」が米国ウインダムグループのRCI社が提供する「RCIウィーク交換プログラム」と提携 |ニュースリリース|東急株式会社 ↩︎

  17. 温泉・スパ | 【公式】フェニックス・シーガイア・リゾート ↩︎

  18. 解体後、長く更地のままだったが、2023年に「アミノバイタルトレーニングセンター宮崎」として運動場になった。
    世界最大級の屋内プール解体へ 宮崎のシーガイア - 日本経済新聞
    アミノバイタルトレーニングセンター宮崎
    県屋外トレセン運用開始 オーシャンドーム跡 - Miyanichi e-press ↩︎

  19. 都井岬へ 日本在来の野生の馬を訪ねて | たびらい宮崎 ↩︎

文・撮影:zukisansu、企画・考証・制作:resortboy。バックナンバーはこちら

1 comment

  1. zukisansuさん、シーガイアの詳細レポートありがとうございました。50年前には「フェニックス・ハネムーン」があったのですね。私は北海道に夢中になっていたので宮崎は眼中にありませんでした。また、「ラグゼ一ツ葉 」はタイムシェア施設でもあるのですね。知りませんでした。

    私は実際にラグゼ一ツ葉に訪れ、部屋を見せてもらいました。フルキッチン付の和洋室で長期滞在が可能です。イメージとしては私の定宿セラヴィリゾートの「ホテル蓼科」と似ています。古くて魅力に欠けますが、料金の安さに心が動きました。近くにイオンモールやファミリーレストラン、その他、コンビニ・飲食店が多数あるので、生活に不便しません。しかし、やめました。

    このホテルはマリオットと全く関係なく運営され、宿泊してもマリオットの宿泊日数もポイントもプラチナ特典も何も付かないのです。マリオットのプラチナ修行をしていた私はメリットゼロなのでやめました。そして、「シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート」に長期滞在した訳です。

    コロナ禍の中、宮崎のシェラトンが私の隠れ家になりました。私は何度もシーガイアに行き、長期滞在を繰り返しました。通算2か月くらい泊まったでしょうか。極めつけは昨年(2023年)の1月11日からの30連泊でした。何と1泊2名利用で30万円でした。1泊1万円!これでマリオットの全ての特典もついてきました。コロナ禍の特殊事情だったと思いますが、シーガイアの歴史上ありえない幻の価格でしょう。今や価格暴騰してもう泊まれません。以下、私のシーガイア旅行記です。

    ◎シェラトン・グランド・オーシャンリゾート(シーガイア)その1
    https://4travel.jp/travelogue/11772145
    ◎シェラトン・グランド・オーシャンリゾート(シーガイア)その2
    https://4travel.jp/travelogue/11773069
    ◎シェラトン・グランド・オーシャンリゾート(シーガイア)長期滞在
    https://4travel.jp/travelogue/11798602

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