前回、草津町に降り立った筆者は、この地の盟主とも言える中沢一族の本拠地を後にして、続いてはこの地で積年の願いを叶えたビジネスガラ権業者の今を訪ねます。そう、現在、堂々たる立地に次々と施設を開業し、会員権価格もうなぎのぼりの東急ハーヴェストクラブです。
ベルツ博士
前回の「中沢一族」の物語で、筆者は書ききれなかったことがあります。今回はまずその話題から。それは、中沢一族と切っても切れない「ベルツ博士 1」の物語です。
日本に古くからある温泉地は元々、病気やケガの療養のための湯治場からスタートしています。ここ草津温泉も、pH2ともなる強酸性。その稀有な特色から来る効能の高さから、江戸時代後半までは、この地の温泉とは「治療目的」でありました 2。平均すると約1か月の滞在となっていたようです。
今でさえアクセスに難がある草津温泉は、その昔に到達するのは想像を絶するほどに大変だったはずです。寒さや雪で、冬の時期はほぼ町全体が閉鎖。そのため、春から秋の半年くらいの季節限定の湯治場だったと言います。
それ以降、明治時代中盤になると、冬場の人の行き来も出来るようになり、訪れる人の数も激増します。そんな中、登場したのが西洋医学を日本で広めるため明治政府に招聘されたドイツ人医師、ベルツ博士でした。彼は草津温泉の効能を絶賛したのです。
ベルツ博士は首都圏からもっと近い箱根などでも温泉研究をしており、各地で足跡が刻まれています。その博士が特に注目したのが群馬県の伊香保温泉でした。ここに研究仲間らと別荘を持ち、頻繁に通う中で、さらに山奥の草津温泉を発見することになるのです。
ベルツ博士は、日本文化をよく理解して日本を愛し、日本人女性と結婚して子どもをもうけるほどでした。西洋医学を伝えるだけでなく、ドイツ伝統の温浴療法にヒントを得て日本の温泉に注目したことが、その後の日本の温泉文化の発展に大きく寄与したことは広く知られています。
医師として有能であっただけでなく、ベルツ博士は非常に活発な方だったようです。深い森林に囲まれた草津温泉に対し、ここは温泉を核とした総合保養ゾーンとなると判断。自ら資金を投じ、約4ヘクタールもの土地を購入して開発を進めようとしました。
しかしそこに立ちはだかったのが日本の閉鎖的文化でした。温泉宿を経営する湯畑付近の住人たちによって、ベルツ博士の温泉掘削や引湯、保養施設の開発に、町議会からストップがかかってしまうのです 3。
中沢一族とベルツ博士
前回で取り上げた中沢ヴィレッジ開設者、中沢一族も、こうしたベルツ博士の意向を断った「旧体制」の中心的存在でした。
しかし、彼らはベルツ博士の夢を、違った形で形にした。それが中沢ヴィレッジであるわけです。
中沢一族はベルツ博士の死後、一族数名でヨーロッパを視察に行き、自分たちの誤りに気付くことになります。そして彼の遺志を引き継ぐ形で中沢ヴィレッジを開発するに至りました。中沢ヴィレッジの前の道路は「ベルツ通り」と呼ばれています。おそらくはこうした経緯による命名ではないかと筆者は思っています。
リフレッツ草津
こうして中沢ヴィレッジの本質を確認し、同地を出た筆者は、ベルツ通りを西に進みます。
すると、すぐ現れるのが、かつての東急が手掛けた保養所プロバイダー事業「リフレッツ倶楽部」の草津拠点であります。
現在はリロホテルズの一員として「フォートリート草津 4」となって再生されています。斬新なデザインの建物で、一見の価値があります。
後述しますが、草津温泉には東急はずっと進出したかったという歴史的経緯があります。本施設はベルツ通りに面しており、東急のリフレッツ倶楽部の中でも、とりわけ意味合いの深い施設であったと追想します 5。
続いてベルツ通りを進むと、中沢ヴィレッジの初期リゾマン「ヴィラI」が目に入ります 6。ここは1977年竣工の50年近い築古マンションなのに、真新しくも見える素晴らしいメインテナンスぶりです。
このオールド中沢リゾマンに感心しながら車を進めると、先方にスキー場、そしてその左手には大きな工事中の塀が見えてきます。
界 草津
この正面のスキー場は、草津スキーエリアの最古参である天狗山ゲレンデです 7。そして工事中であるのが星野リゾートの「界 草津」の開発現場です 8。
天狗山ゲレンデは、戦後すぐの1948年に日本初のスキーリフトが架けられた、記念すべきスキー場です。かつてはその横の谷間に「音楽の森スキー場 9」がありましたが、今は閉鎖され、深い森に帰っています。音楽の森とは、ここにある「草津音楽の森国際コンサートホール」をメイン施設とする高原の音楽祭「草津国際音楽祭 10」に由来します。
ここに星野リゾートは2026年に開業予定で「界」を作っているのですが、それは天狗山ゲレンデの真下に位置します。スキー場に至近なのはもちろん、草津きっての観光名所「西の河原 11」に至近です。
建設計画ではなんと、このホテルから専用のトンネルを通じて、草津の中心となる「湯畑」に直結するという手の込み方です。開業の折には日本の観光業を代表するような大きな話題となることでしょう。
ここは大型温泉旅館ホテルの跡地が更地にされて、長らく未利用となっていた場所なのですが、星野によって見事に生き返ることになります。
東急ハーヴェストクラブ草津
続いてはこの西の河原を回り込んでさらに進みましょう。樹林を抜けるとまたもや、左手に巨大建築現場の塀が続いています。
ここが今回、草津の盟主たる中沢ヴィレッジの次に、筆者が目的地としたガラ権建設現場です。言うまでもありませんね。「東急ハーヴェストクラブ草津 12 です。
東急は昨年、この1つ前の施設として元箱根に小型施設「箱根湖悠」を造っています 13。その前の軽井沢(塩沢)を最後に、もはや一般的なパーソンチャージのHVC大型施設は作れないのではないかと筆者は考えていましたが、日本の二極化を理由とする不動産リッチ向けに東急不動産が戦略を実行した結果、ここ草津で再び、伝統的ハーヴェストクラブの大型開発が実現しました。
筆者はかつてハーヴェストクラブの会員でしたので、企画段階からアンケートを受けるなど、開発経緯をずっと見てきました。当初は開発を数次に分け、まずは一般HVCとルームチャージの高級版VIALAが先に作られ、追ってコテージ型の開発をするという計画でした。これは軽井沢(塩沢)のパターンを踏襲したものでした 14。
ところが、企画アンケート以降の変更は軽微であるというこれまでの慣例を破って、東急は大きく開発計画を変更し、そして実行することとなりました。すなわち、段階的開発でなく全体を同時開発するというものです。
そしてその計画自体も大きく変更され、当初予定のコテージ型開発の場所に、巨大な温浴施設を斬新なデザインで作ることとしました。そしてコテージ型開発の場所は、当初計画では未利用であった本館エントランス付近に移すという、完全な計画変更で建設を実施しているのです。
筆者は建設現場を中まで見たかったのですが、さすがに工事中。塀や作業員、また現場前の交通量の多さに遮られ、十分な観察は叶いませんでした。しかし発表された開発計画イラストを参照しながら、現地で全体配置のイメージを確認できました。そのことで「頭脳の東急」が、なぜ計画を変更したのかも、筆者にはわかる気がしました。
東急の意図
草津温泉の中心とは、言うまでもなく湯畑です。しかしこのエリアにはぎっしりと温泉旅館ホテルが林立していますし、昔からの土地ゆえに道幅が狭くアップダウンもあります。新たな開発は難しいエリアと言えます。
これに対して東急の開発場所はその横。西の河原に向かってやや勾配はあるもののほぼ平坦で、広大な面積を誇る更地です。
草津には大型リゾマンが湯畑の外周に並び立ちますが、東急の計画地と国道を挟んだ反対側は、特にリゾマンが集積している場所です。リゾマン立地として見ると、草津温泉バスターミナル 15 近くでアクセスが良く、結果として買い物にも便利な立地となっています。
東急ハーヴェストクラブの利用者層においては、リゾートトラストに見られる館内レストラン至上主義ではなく、リゾマン利用者と共通した食料買い出しなどに便利さが必要です。
この地を面としてみると、当初計画を大幅変更して位置を変えることで、こうした東急的価値観との整合性を取ったことは成功だと思われます。その結果、西の河原に向かった樹林の斜面にせり出した斬新な温浴施設が生まれました。これも利用者の話題を呼び、リゾートとしての価値を高めるものとなるでしょう。
寄生ガラ権
ところで、この近辺にあるいくつものリゾマンには、ご多聞に漏れず、部屋を所有し分割して区分所有かつ共有する、伝統的ガラ権が寄生しています。
代表例は、紀州鉄道コンポーネント・オーナーズ・システムに乗っかった「草津ビラ」です。寄生元となるリゾマンは「バーデンパレス草津」です。
もう1つ、類似の形態で展開した日本オーナーズクラブの「草津ヴィラ」もあり、こちらは「バーデンハイム草津」内に位置します。
さらに言えば、草津で一番部屋数の多い「寄生ガラ権」は「サンダンス・リゾートクラブ」です。こちらは新HVCの目の前にある、草津でも最も新しいリゾマンの1つで、大浴場などの付帯設備が充実した「バーデンファミリエ草津」の中に所在しています 16。
まとめますと、東急の新HVCは、寄生ガラ権銀座のはす向かいに忽然と発生する単独大型ホテル、ということになります。そして湯畑を挟んで、歴史あるガラ権、中沢ヴィレッジと対峙することとなり、この2つは名実ともに草津を代表するガラ権施設であります。
さらに西の河原を挟んで、界の星野とも対立する構図となり、ホテル好き・温泉好き・ガラ権好きの誰にとっても楽しみなエリア開発となっています。
草津と東急
最後に、東急はなぜ、これほどまでに草津で大型開発を行っているのでしょうか。
草津は確かに有名温泉地です。しかし首都圏からはとても遠いですし、自治体としての草津町は人口が減り続けていて、良いことばかりではありません 17。
実際のところ現状は、草津町が星野や東急に西の河原付近の再開発を託していると見ることができます。これはすなわち、老舗旅館や老舗ホテル一辺倒からの解放です。結果的に草津の今後に寄与しているとは思いますが、長期的視野に立つと、やはりこの地は前途多難だと筆者は思っています。
こうした中にあえて進出した東急は、今もかつての史実に執着しているようです。それは東京での宿命のライバル、西武とのこの地での戦いへの執着です。
東急はかつて、草軽電気鉄道の運営に手を染め、草津温泉中枢に食い込み、1970年頃にはホテルに進出を図った過去があります。開業するも、その後に撤退。そして今、50年経って地元のムードも変わり、リベンジとしての意地があってイケイケな開発につながったのではないでしょうか。
東急と西武は伊豆や箱根などのリゾートでも競い合った間柄です。ここ軽井沢エリアにおいてはずっと西武が優勢でした。
西武は大々的に有料道路を敷設してバス事業でも先行していましたが、東急は草軽電気鉄道の買収と「草津東急ホテル 18」の開業によって、草津への進出では西武より一歩先に進んでいました。
ところが、モータリゼーションの進歩で鉄道輸送が廃れ、東急もバス事業に乗り出した結果、激戦相まみえることとなったのです。
西武対東急の話は尽きませんが、紙幅も尽きたため、ここではここまでとしましょう。筆者はこの草津に超大型ガラ権施設が東急の手によって誕生することを喜びながら、開業時の再訪を心に誓いました。
次回は千葉の自宅への帰途となりますが、ふとしたきっかけで「ガラ権源流」に触れることとなりました。次回もお楽しみに。
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本稿の草津温泉の歴史記述にあたっては「上州草津温泉の文化景観(佐々木博教授)」(筑波大学人文地理学研究21巻、1997年3月)を参考文献とした。
・つくばリポジトリ ↩︎ -
旧 東急リゾートサービスが企業保養所などを運営受託し、イーウェルを通じて集客していた1泊2食8,925円(税込、当時)の定額制ホテルチェーン。全盛期の2008年ごろには以下の8個所の体制で、いずれも良好な運営であったために当サイトでは注目していた。以下の蓼科(Dグランデ蓼科)においては、東急ハーヴェストクラブと運営が実質的に共通だった。
・Dグランデ蓼科 | 東急リゾートタウン蓼科 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究
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温泉旅館ブランド「界」が群馬県・草津温泉に進出決定!「界 草津」2026年春に開業予定 | 星野リゾートのプレスリリース ↩︎
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東急ハーヴェストクラブ草津&VIALA|東急不動産の会員制リゾートホテル
草津「湯の国の悠然なる時に、ひたる」|東急ハーヴェストクラブ ↩︎ -
東急ハーヴェストクラブ VIALA箱根湖悠開業│特集|Harvest Times│東急ハーヴェストクラブ -TOKYU Harvest Club- ↩︎
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東急式錬金術の系譜 – 2(木造戸建会員権の販売) | 東急ハーヴェストクラブの話題 – resortboy's blog ↩︎
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バスを待つ時間も退屈しない! 草津温泉バスターミナルの乗り場からグルメ、温泉図書館まで徹底レポート | 高速バス・夜行バス・バスツアーの旅行・観光メディア [バスとりっぷ] ↩︎
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Club Wyndham Sundance Resort Kusatsu | Club WyndhamClub Wyndham ↩︎
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草津東急ホテルは1969年開業。草軽電気鉄道の全線廃止は1962年。
東急100年史 4章 1970-1979 |東急株式会社 ↩︎



















