今回は、創業者が東海地区3県(岐阜・三重・愛知)のみを視野に入れて各県に1施設として展開した、エリア特化型ガラ権「オテル・ド・マロニエ」の3施設を巡ります。前回、本クラブの最初の施設である下呂にたどり着きました。今回は同クラブの沿革をたどりながら、3つの施設を順に訪問していきたいと思います。
地場企業による開発
創業者は下呂の出身です。名古屋市内で建築材料販売(特にサッシなど)で成功し、不動産の開発からマンション分譲まで手広く展開した「名北産業」の杤本(とちもと)正明氏です。
時は1980年代のバブル期。同氏は所属していた名古屋のロータリークラブから、この下呂温泉の北の外れをホテル用地として紹介されたと聞きます。
名北産業は「シャトー」というブランド名で居住用マンションでの実績がありましたが 1、ホテルを手がけるのはこの下呂のマロニエがはじめてでした。下呂は創業者の出身地 2 ということで、土地勘があったし親戚縁者も多く、銀行や施工担当の鹿島建設の協力の後押しもあり、同社は自信を持ってこのガラ権の開発に着手しました。
バブル期景気の真っ最中だったこともあり、会員権方式での開発は自然なことでした。こうして「オテル・ド・マロニエ下呂温泉 3」は、1987年着工、1989年開業。創業者の杤本正明氏が60歳になる直前のことでありました。
なぜマロニエか
この「マロニエ」の名を聞けば、誰もがパリのシャンゼリゼ通りで有名な「セイヨウトチノキ 4」の木をイメージすることでしょう。実際は創業者の名字から、日本の「トチノキ 5」の木を指して考え出した名称だったと思われます。とちの実は下呂温泉の名産品として、煎餅やスイーツに加工されておみやげ物として人気があります 6。
会員制リゾートクラブとしては施設ごとに個別の正式名称がありますが、一般には「マロニエクラブ」と呼ばれることが多いようです。それよりもむしろ、このクラブの名前としては、個々のホテル名に冠された「オテル・ド・マロニエ」が頭に残ります。このエレガントなフランス風の名称は差別化に成功しており、一度聞いたら忘れられぬものがあります。
バブル景気に乗った本ガラ権1号、オテル・ド・マロニエ下呂温泉は、67室を1,080口として募集します(1室あたり約16口程度)7。共有制で募集金額は最高で1口約500万円程度。価格は比較的手軽であり、三越が協力した3期に渡る販売で飛ぶように売れ、途中で販売をストップするほどだったと当時の雑誌に記録が残っています。
建物デザインは1986年開業のダイヤモンド下呂温泉ソサエティによく似ていて、販売にデパートが使われたことも共通しています(ダイヤモンドは松坂屋と提携)。創業者はこの開発において、当時、日本リゾートクラブ協会の代表であり、全盛期であったダイヤモンドリゾート 8 の代表、中田修氏から多くを学んだと思われます。
倒産
その名北産業は、本業であるマンションや建売住宅の不調と、ガラ権第3号「オテル・ド・マロニエ湯の山温泉」の不振もあって、2001年10月30日に倒産します 9。
名古屋においてもバブルを乗り越えられなかったマンデベは数多く、本連載で取り上げた中では、「アルティア鳥羽」の地上社(エスポアシリーズで知られた)もそのひとつです 10。
アルティアはその後、セラヴィリゾート泉郷のもとで看板施設として復活しますが、マロニエは名北産業の倒産を経ても、クラブ運営は一貫して継続されました。
名北産業はもともとマロニエクラブの販売と運営を切り離していて、1989年の下呂から既に、現在の運営元である「萬代 11」が担当していました。この会社は、杤本氏の子息が経営する関係会社です。本体は倒れても、クラブは同族の会社のもとで維持され、クラブが離散する危機には至りませんでした。
もちろん会員にダメージがなかったわけではありませんが、名古屋ローカルな会員層において、動揺は少なかったとされます。同クラブは区分所有法のもと、メンバーが管理組合を結成して運営されていて結束が固かった上、名北産業が倒産したとはいえ運営は一族の企業だったので、特に変わらない、とも言えたわけです。
ダイヤモンドにあこがれて
筆者の推測ですが、本施設開発時の創業者の年齢からして、はじめから運営を同族の後継者に任せる考えがあったと思われます。本クラブの募集活動を振り返ると、若い世代は対象とせず、ダイヤモンドリゾートをお手本に、募集を50歳以上のシニア層に絞っています。
当時のダイヤモンドリゾートは、出発点であった預託制の「ダイヤモンドメンバーズ」がまだ現役であり、発展的に共有制によって豪華化した「ダイヤモンドオーナーズクラブ」(ソサエティを冠するホテル群)は「定年後」をテーマにしたものでした。
このマロニエが共有制のダイヤモンドを真似たのは、まさに杤本氏が円熟期を迎えた経営者だったことに依ります。
ぴんころ信仰
共有制のリゾートクラブとしてダイヤモンドを目標としたマロニエの建物保全状態は、3施設ともに良好でした。面白いのは、共有者のメンバーボードがフロント横に掲げてあることですが、これはダイヤモンドソサエティのホテル群と掲示の仕方までがそっくりです。
ところで、このマロニエだけの問題ではありませんが、会員対象をシニア層とすることには、その後の会員の高齢化という問題を必然的に抱えることになります。仮にマロニエ発足時に入会し、当時60歳だったのなら、下呂の1989年開業から既に36年を経過した今、会員は96歳になっていることになります。
この問題はリゾートトラストの初期のホテル群でもまったく同様です。エクシブ鳥羽本館や伊豆はマロニエよりも古いホテルです。
エクシブにそういう高齢化をテーマにした施設発展はありませんが、マロニエにおいては下呂の創業20周年記念事業としてホテル隣接地を購入し、「ぴんころ地蔵 12」を建立したというエピソードがあります。
この地蔵は長野県佐久市にルーツがあるものですが 13、リゾートクラブとして「ぴんころ信仰」を具現するというのは面白く、筋が通っていると思います。それは年老いても元気にリゾートを楽しみ、そして誰にも迷惑を掛けずにパタッと亡くなるという日本人の夢を示したものであり、リゾートクラブとはまさに「夢そのもの」であるからです。
こうした発想を持つマロニエクラブでは、早くから長期滞在での健康増進プランの開発に余念がなく、好評を得ていたようです。
老人の憂鬱
さて、実際問題として80歳も超えると、亡くなる会員が増えてきます。会員権の相続はどうなるのか、という疑問が出るのは必然です。
共有制会員権を持ったまま「コロり」と亡くなった場合、年会費・管理費はどうなるのか、固定資産税を払い続けるのか?
この問題に気づいた老人が、相続人が喜ばないものを残したくない、と心配するのは当然です。こうして、生存中から手放したい気持ちで一杯となった老人を騙す輩が現れ始めました。
高齢会員が多くなったマロニエクラブでは、会員が「会員権引き取り業者」に騙されるケースが多発したのです。クラブからはこれは詐欺であるという警告が出るほどでした。
内海温泉へ
こうしてお地蔵様に守られながら下呂温泉を出発した筆者は、残るマロニエ2施設を巡る旅に出ます。開業順に次は第2号開発、知多半島西側にある内海温泉に向かいます。
下呂から知多半島は、名古屋市の中心部をまっすぐに南下するだけです。名古屋市内にマロニエの街路樹はないようですが、市内中心部には日本の他の場所に生息しない特有の大樹「ヒトツバタゴ」が真っ白な美しい花を咲かせます 14。
途中、熱田神宮 15 で旅の無事を祈り、知多半島へと南下を続けました。
知多半島には知多半島道路とその先の南知多道路という自動車専用道路があり、目指す内海温泉まではスイスイです。ただし160キロと距離はあり、所要時間は3時間を超えます。
見事な管理
オテル・ド・マロニエ内海温泉 16 は、海風を受けて建つ完全なシーサイドホテルです。ナビの目印は、海中に立つ鳥居もある「つぶてヶ浦 17」。鳥居の前から西日が差す穏やかな伊勢湾の海を眺めると、長距離ドライブの疲れが吹っ飛びます。
本施設は重厚な下呂の佇まいとはテイストが違うので、好みがわかれると思いますが、クラブとして山間と海岸のイメージに合うよう、あえて変化を持たせたのだと思います。
マロニエ内海温泉は1992年の開業。下呂の成功の後すぐでしたので、バブル崩壊の影響を初期のみで切り抜けた幸いな施設でした。シニア会員が子どもや孫とファミリーで出かけ、海で遊び、温泉でくつろぐ。そんな気取らない雰囲気が感じられます。
開業以来30年を経た海のリゾートは経年劣化が避けられませんが、順次リニューアルもされているようで、見事に維持管理されていました。ホテルは64室と下呂とほほ同じ規模で、1,000口くらいの分割と思われます。
湯の山へ
内海の健在ぶりを確認した筆者は、次に第3弾となる三重県の「湯の山温泉 18」に向かうことにします。
ここまでで来た道を反対に一部引き返して北に向かい、東海ICからは西に分岐。そこから爽快に湾岸高速を走ります。西の富士急ハイランドと呼ばれるナガシマスパーランド 19 を横目に見ながら菰野ICで高速を降りれば、そこが近鉄、湯の山温泉駅の付近です。今度は約1時間半のドライブでした。
駅付近から湯の山温泉への道は、暗く細く、運転に注意を要します。程なく「温泉街歓迎」のアーチが見えますが、筆者は寂しい予感がしました。目指すオテル・ド・マロニエ湯の山温泉 20 は、この先の川沿いにそそり立っていました。
マロニエクラブ第3弾であるこの最後の施設は客室数52室だそうですが、もっと大型の建物に見える立派さでした。1994年開業。他のバブル期ホテルと同様に、最も景気がいい時に設計されたものであるため、貫禄が違うのです。
しかし、このタイミングのものはすべて同じ運命をたどり、マロニエ湯の山も会員権が売れずに終わります。
最高評価
湯の山温泉自体も完全に盛りを過ぎた温泉街で、どこも温泉旅館の廃墟ばかりの残念な場所です。しかしその廃墟群の中で、このマロニエ湯の山温泉だけは、今でも盛業中なのです。
ガラ権会員という固定客をつかんだ、しぶとい強さを感じました。筆者の訪問の印象では、3施設中最も客が来ており、人気があるように思われました。
こちらも部屋数からして分譲は約1,000口。3施設合計でおよそ3,000口のクラブとなります。現在は、会員に発行されるチケットを使わずともOTA経由で一般利用できますし、施設の内容からすると格安と思います。会員価格は一般価格より安く維持されていて、「逆特典」とはなっていません。
どのホテルも、山の斜面や海岸に面した見晴らしの良さそうホテルでした。今後も独特の立ち位置で頑張って欲しいものです。以上、今回は、健康長寿をモットーとする、名古屋ローカル展開のリゾートクラブ、マロニエクラブの3施設を巡りました。
次回はこの中京圏から首都圏への帰宅編です。東海エリアにまだある別のガラ権施設も見落とさないように走り込みます。次回もご期待ください。
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中古市場での掲載例
・シャトー桜井|全国マンション図鑑|物件概要 ↩︎ -
下呂でトマトの生産販売を行う企業に杤本農園がある。
・岐阜でフルーツトマトの生産・販売を行う杤本農園をご利用ください ↩︎ -
開発当時の状況については、中部財界1989年3月号の記事を参考とした。 ↩︎
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ダイヤモンド作用ソサエティ / ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル | ダイヤモンド、経営危機を乗り越え20余年 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎
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アルティア鳥羽 / 泉郷プラザホテル鳥羽 | 名古屋のマンデベが築いた「至高の国」の数奇な運命 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究 ↩︎














このガラ権連載では、連載を行っているうちに、どんどん現実が我々チームの予想や思惑を飛び越えていくことが繰り返し起きています。
例えば、ダイワロイヤルのメルキュールへの身売りであるとか、それほど規模は大きくなくても、連載の公開のタイミングでそのガラ権施設が別の資本によってリニューアルされる、外資傘下に入る、などなど。枚挙にいとまがありません。
そういう意味で驚いたことがあるので記録しておきます。6月1日公開の本記事では、マロニエクラブにおいて会員権の処分を行うとかたって詐欺を行う悪徳業者が存在したことを、実際の警告ハガキを掲載し、終末に向かうガラ権産業におけるひとつの風景として掲載しました。
そして6月4日、リゾートトラストが同様の警告をホームページ(会社案内)に掲載しました。
これまでも、仲介業者に関する警告は行われてきましたが、今回のように「処分」について同社が言及したのはおそらくはじめてのことです。エクシブ会員権の処分について悪徳業者が登場して金銭をだまし取るような状況になってしまったとは、時代は変わりましたね。