前回見た「猪苗代リゾートホテル」の再開を祈りながら、次の目的地である「沼尻温泉郷」に向かいます。磐梯連山に点在するガラ権ゆかりの地を巡るこの旅も、後は南端の安達太良山一帯を残すのみとなりました。
猪苗代湖の北側、読者の皆さまになじみがないであろうこの地域こそ、日本的リゾート会員権、すなわち「ガラ権」が1970年代初頭に発祥した、最も重要な「源流」と言える場所です。
今回と次回で、その源流である2カ所を巡ります。事実は小説より奇なり。その2カ所は、ある鉱山・高原列車の、起点と終点でありました。時代によって名を変えたその鉄道。ここでは「磐梯急行電鉄」と呼んでおきましょう。
硫黄のまち、沼尻へ
ここは磐梯エリアでも最も火山活動が激しいエリアに位置し、多くの温泉が湧き出ていて 1、山岳ドライブだけでなく、温泉めぐりにも最適な場所です。
猪苗代町の街中を抜ければ、目的の沼尻まではすぐに到着します。今回はわざと遠回りし、猪苗代湖畔から温泉で名高い磐梯熱海 2 まで行き、そこから、グリーンラインと名付けられた山道を登っていくというルートでたどり着いてみたいと思います。
途中で野口英世博士の記念館 3 によるも良し、猪苗代湖のビーチ 4 で休むも良し。約1時間、森の中を走る楽しいドライブとなることでしょう。
ほとんど対向車にも出会わない母成グリーンライン 5 の終点となるのが、今回目指す、旧「沼尻軽便鉄道 6」の起終駅である「沼尻」の駅跡です。
沼尻駅とスキー場
現在は鉄道はなく、線路も撤去され、その跡を通る路線バスの停留所があるだけですが、そこにはまだ駅舎建物が残り 7、猪苗代町が設置した立派な観光案内も立っています。廃墟的な感じはなく、普通の田舎風景です。
ここから、横道に入る形で「沼尻スキー場」方面に進んでみます。すると、閉鎖された旅館やホテルなどが目に入りますが、通過してさらに進みんだ行き止まりの場所には、きちんと手入れされたスキー場が開けています 8。
こんなところにこんな施設が!と、驚きます。規模は小さいですが、妙に懐かしい気持ちになるゲレンデで、スキーセンターなども手作り感があり、好感が持てるのが不思議です。
こちら、東北最古のスキー場であって今も現役。今シーズンは110周年記念なのだそうです。懐かしい気持ちになったのは、この歴史の重みだったのですね。
スキー場の先は、雪の時はもちろん、普段でも普通の車では行けませんが、4WDで少し先まで進んで歩けば、日本最高の秘境温泉の1つとされる沼尻温泉元湯に辿り着けるようです 9。秘湯の醍醐味にご興味ある方は、この硫黄の山に挑戦してください。
沼尻国際リゾートホテル
ということで、行き止まりの歴史的スキー場から来た道を戻った筆者は、来るときに通過した廃れた旅館やホテルのある場所で車を停め、歩いてみます。
ここが、今回の目的地。安達太良山系の源泉の一つとしてかつて栄えた沼尻温泉郷でした。時が止まったような静けさの中、ガラ権ファンの皆様が泣いて喜びそうなホテル・コンドミニアムに出会います。
その名は「沼尻国際リゾートホテル」またの名を「紀州鉄道 裏磐梯沼尻オーナーズビラ」と言います。現在は完全に閉業済みですが、廃墟には至らず、多少の手入れが継続されている様子が感じられました。
本物件こそ、共有制リゾート会員権の「出口」を考える上で最高に問題となる、邪悪とも言えるシステムが生まれるきっかけとなった場所です。それは、現在もエクシブなどに現存する「リゾートホテルの1室を部屋単位で小口分譲してガラ権を刷る」という手法です。
その手法を発明したのは、以下で説明する「紀州鉄道」でした。この沼尻国際リゾートホテルは同社が手がけた、おそらく最初のホテルです。ここがガラ権の源流である所以は、この後、ご紹介していきます。
本施設には、歴史ある沼尻温泉元湯から引湯した温泉大浴場があったので、あまり使われなくなった後も、10年程度前までは一般の温泉ファンの秘湯となっていたようです。
この建物ができたのは1974年12月で、サンメンバーズひるがのの開業と同時です。全35室ですから、それほど大きな建物でありませんが、コンクリート打ち放しの外壁、傾斜のある屋根の形など、美術館かと見間違うほどのスタイリッシュなデザイン。田舎風景が広がるこの一帯の中で、ずば抜けたセンスのリゾートホテルとして、50年前からずっとここに建っているのです。
紀州鉄道とパウエル
紀州鉄道がリゾート会員権事業をはじめたばかりの黎明期であり、このホテルができた時点では、一室小口分譲方式となる「コンポーネント・オーナーズ・システム」(COS)はスタートしていません。1974年当時の詳細は不明ですが、ここ1施設単独での分譲だったと思われます。
施主である紀州鉄道は、自社販売分として15室を、1室あたり10人での共有持分としてガラ権を販売します。残り20室はホテル利用としますが、筆者の知るところでは、東京レジャーライフクラブが「裏磐梯沼尻パウエル」としてこのうちの13室を購入して、同社のクラブ施設の1つとしていました。
他の部屋もどこかのガラ権施設となった可能性があり、1つのホテルに複数のガラ権が「相乗り」する原型でもありました。
わるいやつらの企み
紀州鉄道はその名の通り、紀伊半島・御坊市の鉄道会社です。それがなぜ、はるか離れた磐梯連山の鉱山・高原鉄道の終点に、このようなホテルを建てたのでしょうか。
熱心な読者におかれましては、ぜひ過去記事「ガラ権の広告塔「日本一短い私鉄」を見に行く」の回を思い出してください。
以下では、鉄道を広告塔にしてリゾート事業を行った「ガラ権縄文人」の軌跡をたどります。
それは元はと言えば、沼尻軽便鉄道を作った「日本硫黄」が不調になり「日本硫黄観光鉄道」と名を変えてレジャー事業に転身した頃、この会社を乗っ取って「磐梯急行電鉄」と名を変えた男たちの物語です。
ではここから、鉄道会社の信用をもってリゾート事業で金儲けをはじめた「わるいやつら」による、ガラ権創成期の古代史を綴っていきます。
日本硫黄と高原列車
紀州鉄道の黎明期の実態を、簡単に書いてみます。本格的にCOSの販売に邁進する姿については、同社リゾート事業の本拠地となる、北軽井沢・嬬恋エリアを書く時に取り上げる予定です。
紀州鉄道のルーツとなる日本硫黄沼尻鉄道については、ネット上に膨大な情報があります。地方のローカル鉄道は郷愁を誘うのか人気があり、とりわけこの鉄道はネットを賑わしてきました。
開業は1907年(実際の輸送開始は1913年)。現在の沼尻温泉元湯あたりから、硫黄の搬出・輸送を目的として始まりました。
硫黄鉱山側の始発駅が本記事でたどり着いた沼尻駅です。掘り出した硫黄鉱石は、猪苗代湖の北を走るJR磐越西線に接続する川桁(かわげた)駅まで運ばれ、同鉄道の終着駅となりました。
蒸気機関車でスタートした鉱山鉄道は、すぐに観光需要も視野に入れ、気道車へ、そして第二次世界大戦後は、ディーゼル機関車へと設備を更新してきていました。沼尻スキー場への送客のみならず、広く裏磐梯観光の足にしようと考えたようです。
1954年には本鉄道をイメージした「高原列車は行く 10」が大ヒット。旧沼尻駅舎近くには歌碑が建てられています。
調べて聞いてみれば、なんとさわやかな勢いのある歌でしょう。今の日本社会の閉塞感は全くなく、明るい未来が目に浮かびます。
別荘ブームと乗っ取り
しかしそれも束の間でした。鉄道開設当時の日本では天然硫黄が貴重でしたが、輸入で安価に入手できるようになり、1957年に日本硫黄は無配に転落します。
日本硫黄は鉱山事業の不調から不動産分野に活路を見出し、1964年に「日本硫黄観光鉄道」と商号を変更することになります。
経営が傾くと良からぬ輩を呼び込んで来るのが世の常です。かねてより磐梯エリアの観光開発に興味のあった群馬出身の薬師寺一馬氏と住谷甲士郎氏が乗り込んできて、同社の経営陣が交代。1967年には「磐梯急行電鉄」と再度名称を変えてしまいます。
もともと鉱山輸送のために作られたこの鉄道はわずか15.6キロ、11駅のミニ鉄道で、急行はおろか電化すらされませんでした。社名変更の後すぐ、1968年に鉄道会社は倒産し、1969年には硫黄鉱山も閉鎖され、鉄道も廃止となってしまいます。
鉄道についての詳細は本連載の範囲外となりますので省略します。ガラ権に関係することは、上記の両氏がこの鉄道の名前を使って、倒産のほとぼりも覚めやらぬ頃、別の不動産会社を名称変更して「磐梯電鉄不動産」を名乗って別荘地分譲を始める、ということです。
鉄道を広告塔として
当時において約60年の歴史を持つ有名な鉄道の名前だけを利用し、計画だけを掲げて「急行電鉄」を名乗り、あたかも大企業のような印象操作を行った上で倒産に追い込み、そしてその鉄道会社名を巧みに利用して、別荘地分譲会社が立ち上がったのでした。
そして舞台は沼尻から御坊へ。その後、ガラ権メーカーとして名をはせる紀州鉄道の時代が訪れます。
磐梯電鉄不動産は1972年、さらなる広告塔として和歌山の御坊臨港鉄道を買収。そして鉄道会社を1973年に紀州鉄道と商号変更します。
さらに自らも、磐梯電鉄不動産から紀州鉄道不動産に改名したのです。この一連の流れをお聞きになった読者の皆さんは、良からぬ輩とはこういうものかと、驚きを通り越して呆れたことでしょう。
共有制と相互利用、システムの完成
ガラ権縄文人が得意とする「会社七変化」の中、上記の両氏は姿を隠します。
紀州鉄道でのリゾート事業の中心人物は、当時の社長、柏茂美氏という人でした。磐梯電鉄不動産以来、別荘地や小型リゾートマンションを開発し、会員権としてうりさばくべく「会員制ビラ」と呼んで事業を広げてきた紀州鉄道のリゾート事業は、この柏氏によってシステムの完成を見ます。
それが1977年に同社が開始した、1室を小口分譲して共有し、さらに各地の施設を相互利用させるというシステムです。エクシブも含めて今も主流であるこの方式を彼が発明し、日本のリゾート会員権発展史における、画期的幕開けが成し遂げられたのです 11。
以後、ガラ権界は雪崩を打って、この小口分譲システムに走ることになります。
国会質問も無視され
建物全体(客室を特定せず)を小口に分けた東急ハーヴェストクラブの方式はまだよい方です。紀州鉄道、リゾートトラスト(旧 宝塚エンタープライズ)、安達事業グループ(日本オーナーズクラブ)が行ってきた、区分所有法に基づく1室分譲を、さらに民法上の共有で切り刻むという手法は、販売後50年を経て所有者がどんどん死んでいる今、もはやどうにもならない「負動産」として、国民の耳目を集める「闇」となる予感を覚えます。
こうした「超」負動産の問題解決には、法律の立法が必要です。これについては、2021年5月の国会質問で立憲民主党の衆議院議員・大西健介氏がCOSを取り上げ、問題提起しています。大西議員は「リゾート会員権の法的位置づけや権利の内容等について定めた法律」の必要性について問うたのでした 12。
しかし当時の総理大臣、菅義偉氏は「いわゆるリゾート会員権に関し新しい法律案を検討することは考えていない」と答弁。せっかくの国会質問というチャンスでしたが、日本国トップが取り扱わなかった事実は、今後のガラ権にとって悲報としか言いようがありません。
今回は、磐梯連山、高村光太郎の「智恵子抄」にもうたわれた安達太良山の山麓温泉地にて、廃線跡の沼尻に佇み、ガラ権の源流の1つであり、今もまだ存在するリゾートクラブ企業、紀州鉄道の生い立ちを振り返り、同社を偲んだものとなりました。
次回は、この鉄道沿線を南下し、もう片方の「川桁」に向かいます。
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紀州鉄道の「コンポーネント・オーナーズ・システム」は、1977年の夏に「軽井沢オーナーズビラ」40室を1室10人の共有で販売したのが最初。この時、中伊豆、信州塩峰高原、そして今回取り上げた裏磐梯の3カ所が、相互利用施設として組み合わせられた。その後、システムはさらに複雑化し、登記する不動産を2カ所に分散させ、2室を30人で共有するように変化していった。 ↩︎


















リゾートボーイさんの以下のご指摘は誠に慧眼と思い、深く賛同いたします。
①建物全体(客室を特定せず)を小口に分けた東急ハーヴェストクラブの方式はまだよい方です。紀州鉄道、リゾートトラスト(旧 宝塚エンタープライズ)、安達事業グループ(日本オーナーズクラブ)が行ってきた、区分所有法に基づく1室分譲を、さらに民法上の共有で切り刻むという手法は、販売後50年を経て所有者がどんどん死んでいる今、もはやどうにもならない「負動産」として、国民の耳目を集める「闇」となる予感を覚えます。
②リゾートトラストの予約が取りづらくなったという件。サンクチュアリコートでは1室を36分割して、主に法人の福利厚生向けに販売していますので、1室の仮想的な分割は100にも及ぶケースも考えられます。人気は特定の日取りや施設に集中するので、どんどんストレスがたまる方向に進みそうですが、これはリゾートトラストの制度設計の問題で、避けようがありません。
本質的にはハーヴェストクラブのようなホーム主義で解決されるべき問題だと思いますが、販売の方針がそうなっていないところに最大の問題があると思います。
規模が大きくなったので会員の不満を解消する新システムが必要ですが、その予定は同社に今のところありません
以下は私の蛇足です。
リゾートトラストは、1室の共有者のうち占有日カレンダーで1人を代表者とする規約を設けていますが、建物建替えの区分所有者の決議においては、この規約は有効ではないと争われる余地があると思います。
その決議集会の招集通知も全ての共有者に伝達する必要があると思われ、死亡している共有者の相続人探しから大変な困難があると思います。
ホーム主義ではないので、新規物件の販売代金で、既存の古い施設の会員にサービスしていることになり、次々と新規を拡大せざるを得ないことになります。
私は、システムを大きく変えない限り、引き返せなくて頂上につかない登山道に入り込んでると感じます。
× 高村幸太郎
○ 高村光太郎
まずは通りすがりさん、ご指摘に感謝します。本文修正済みです。
オーパさん、本記事、いや、本連載、もっと言えば僕のサイト全体の主旨(のうちの一つ)である話題にコメントいただきましてありがとうございます。
オーパさんのご指摘のリゾートトラストの管理規約については、なかなか話題にできる機会がないのですが、僕もオーパさんと同じ意見で、区分所有法に基づいて契約が行われている以上、エクシブの管理規約第21条(議決権の行使)は、合法かどうか疑わしいと考えています。
雑に言えば、会員側には何の権利もなく、消費者保護の観点からは、こうした法律が想定していない運用を行う事業者に対して適切な立法が必要でしたが、その機会はおそらく永遠に失われました。
新規販売による利益が古い施設ならびに会員に「流れている」のは、会社側も認識しており、そのために組織変更までが行われています。こうした話題は現在、同社および会員への影響に鑑みて、FANBOXにて行っていますが、その組織変更に関してはFANBOX導入以前に本サイトで問題提起しておりますので、以下にご紹介します。
営繕部門が開発部門に吸収へ | リゾートトラストの話題 – resortboy's blog – リゾートホテルとホテル会員制度の研究