現代医療への疑問(ファミリーヒストリー 1)
本連載は「旅を通して転移がんを克服した全記録」です。(編集担当:resortboy)
何か体調不良になった時、早めに病院で見てもらい、そして治してもらう。これが普通の人の常識でしょう。私も以前はそうでした。しかし、70歳になった今、この常識が大きく崩れてきています。
果たして病院や医者、そして現代の西洋医学を無条件に信用していいのか?という、大きなテーマに突き当たっています。
病院や医者に頼らず、自分で体調不良や「死」に立ち向かうにはそれなりに準備が要ります。特に、死ぬまで若い「不老長寿」を目指すなら、現代の病院・医者・薬とどう向き合うのか? 現代医療についての自分なりの見識を持つ必要があります。
この話を深堀りするために、どうしても私の家族の苦しい闘病生活をお話しなければなりません。これから3回連続で私のファミリーヒストリーを書きます。
まず、私の父です。父の死は悲惨でした。
高齢の父(当時79歳)は、体が弱り、だんだん食欲がなくなっていきました。次第に、外出はめったにせず、昼間から部屋で寝ていることが多くなりました。
心配した家族(私を含めて)は、父を病院へ連れていきました。ここから悲劇がはじまりました。
検査・検査の連続で、ただでさえ弱っている父の衰弱は、いっそう増しました。もともと肺が悪かった父は、肺の気管支内視鏡検査を受け、長時間の苦しい検査で憔悴しきってしまいました。
検査後の父のやつれた顔を見た時、私は正直、父を病院に連れてきたことを後悔しました。
そして、検査結果は肺がんでした。
当然の結果だと私は思いました。なぜなら、父は若い時からタバコを吸い続け肺気腫になっていたからです。そこに肺がんが重なった。
治療方法を検討しようとする間もなく、父は院内感染にかかり、呼吸困難に陥りました。主治医から緊急連絡を受け、病院に駆け付けた私たち家族は、重大な決断を迫られたのでした。
「このままでは直ぐにダメ(死亡)になります。人口呼吸器を付けますか?」と。
何ら準備も知識もなかった家族は、ただ「お願いします」と答えるしかありませんでした。そして、取り返しのつかない事態に進むことになるのです。
人工呼吸器を付けても父の状態は日に日に悪化し、苦しみが増すだけ。それでも意識はしっかりしており、筆談で家族に「この呼吸器、いつ取れる?」と聞いてきました。
今、人工呼吸器を外したら父は死ぬ。それは殺人になる。医者も家族も分かっているので「外そう!」とは誰も言わないし、言えない。見守ることしかできなかった私たち家族は、とても苦しかったです。
全く希望のない状態の中、父の苦しみはますます増え、最後は多臓器不全で亡くなりました。全身に点滴のチューブや人工呼吸器という計器を埋め込まれ、顔をパンパンに腫らされ、亡くなるまで半年も苦しみ続けました。
若い主治医は言いました。「半年間延命できました」と。
人生最後の荘厳なイベントである「死」をこんな拷問で迎えていいものか? 私は心から疑問に思いました。「これは間違っている」と。
家族の無知が招いた悲劇でした。父を病院に連れて行かなかったら、恐らく数カ月で亡くなったでしょう。自然に衰弱し、恐らくは自宅で穏やかな死を迎えられたのではないでしょうか。
(続く)
【次回】第4回・現代医療への疑問(ファミリーヒストリー 2)
【前回】第2回・老化による体調不良は病気でしょうか?
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