
がん難民の私が希望を見出せた理由 – 1
本連載は「旅を通して転移がんを克服した全記録」です。(編集担当:resortboy)
2008年3月4日、愛知県がんセンターで2回目の手術を受けました。全身麻酔での手術でしたが、何の問題もなく、無事に終わりました。主治医をはじめ、病院のスタッフの方々に感謝です。しかし手術の後遺症は、1回目に比べると比較にならないくらい厳しいものでした。
がんは転移していた
首にメスを入れ、広範囲にリンパ節を切除したので神経もズタズタです。手術後1週間で退院しましたが、首が回りません。少しでも首を動かせば激痛が走ります。腕を上げようとするとやはり激痛が走ります。しばらくは車の運転もできず、家でじっとしているだけでした 1。
左右両方の甲状腺と左右両側の首のリンパ節を切除した母の大手術の後の苦しさは、どんなものだったのか? 何事も自分が体験してはじめて、その困難さがわかるものです。
私の手術は、首のリンパ節にそら豆大に成長した甲状腺がん2カ所と、それに続く右頸部のリンパ節29カ所の切除でした。これでがんが一掃されればよかったのですが、手術後1か月の検診で、主治医から衝撃の話を聞きました。
「病理解剖の結果、切除した29カ所のリンパ節のうち、8カ所にがんの転移がありました」
最初の手術から1年半。CTに写らなかった首の小さながんはそら豆大に成長し、さらに、広範囲のリンパ節にがんは転移していました。
リンパ液は血液と同様にリンパ管によって全身に流れ、リンパ節は全身に分布しています。がんがリンパ節に転移し、壮絶ながん死を遂げた兄の姿が浮かびます。
私も「がん難民」に
主治医の説明は続きました。「今度、左の甲状腺やリンパ節に転移したら切りましょう。肺に転移したらアイソトープ治療(放射性ヨウ素内用療法)をしましょう」
私は質問しました。「先生、転移しない方法はありますか?」 主治医からは何も答えはありませんでした。
当時、甲状腺治療の標準治療に、抗がん剤はありませんでした。結果的にこれが幸いしました。抗がん剤治療をするかしないか迷わなくてよかったからです。
しかし、主治医の説明を聞きながら、私は暗たんたる気持ちになりました。私のがんは全く治っていなかったのです。
一般的に、転移・再発してしまったがんの根治は現代医学では難しい。ここから「がん難民」という言葉が出てきました。
手術や抗がん剤・放射線など、今までの標準治療では打つ手がなくなった患者が(病院や医者から見放され?または見放して?)、さまざまな治療方法を求めてさまよう姿を表現した言葉なのでしょう。
私の場合、まだまだ打つ手は残っていました。しかし私は疑問に思いました。残った甲状腺や首のリンパ節に転移したら切り取り、肺に転移したら放射線で焼く。このような自分の身を切り刻んでいく治療が果たして治療と言えるのか?
完治の見通しがない、という意味で私もがん難民となりました。
(続く)
【次回】第13回・がん難民の私が希望を見出せた理由 – 2
【前回】第11回・人生を変えたコスメル島への旅 – 4
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タイトル部分の画像はイメージであり、本文と直接関係ありません。 ↩︎
本連載が単行本(紙の書籍)として刊行されました
(スペシャル対談)私のリゾートライフの全体マップ
(筆者ホームページ)舟橋栄二「第二の人生を豊かに」