生き方そのものを変えたがん治療「福田・安保理論」- 3
本連載は「旅を通して転移がんを克服した全記録」です。(編集担当:resortboy)
この福田・安保理論に共感する医師は全国にいて、「日本自律神経病研究会」というグループを組織して情報交換をしていました。幸い、自宅に近い名古屋市内にもこの会の医師がいたので、私はそのクリニックに通いはじめました。
前著の長田先生の本にあった「リンパ球10%台の患者は最低でも週2回の治療を要す」という記述に従い、私は週2回、そのクリニックに通院しました。1回20分程度のカウンセリングと針治療ですが、内科としての正式な治療なので健康保険適用です。
その結果、私のリンパ球比率はびっくりするくらい改善してきました。2008年6月から開始し、5カ月後には白血球数4900、リンパ球比率32.1%、リンパ球数1573にまでアップしたのです。
その後の私のがん治療
2回目の手術後のリンパ球激減の危機は脱しました。しかしその後、私は何年もそのクリニックに通院しましたが、安保先生の説く健康な人のリンパ球比率35%~40%、リンパ球数2000まで届きません。基準が高すぎるのか?私の遺伝子が問題なのか?
私の上限は白血球数5000、リンパ球比率30%、リンパ球数1500程度で、リンパ球比率は中等度交感神経緊張の20%台にしばしば落ちてしまいました。
安保先生の教えに従って可能な限りリラックスし、交感神経に偏った生活改善に努めましたが、結果はイマイチでした。がん体質なのか、やり過ぎの性格が直らないのか、担当医も「どうして増えないのでしょうかね?」と首をかしげるばかりです。
私の手元にはクリニックで行った血液検査の膨大なデータが残っています。2008年の開始以来、今年まで14年間も継続し、通算の血液検査回数は103回にもなっています。
私の戦略は「リンパ球を増やしてがんを押さえ込む」でした。しかし目標値は遠い。ここに至って私は少し戦略を変えました。
何事にも個人差は大きいので、安保先生の説く基準値を絶対視する必要はありません。恐らく、私のリンパ球は遺伝子的に少ないのでしょう。リラックスする努力をしてもリンパ球はそれほど増えず、今後とも基準値には達しない可能性が大です。
ここは発想を変えて、「少数精鋭のリンパ球部隊」が血流に乗って全身を高速でパトロールしているイメージを持つことにしました。「funasan流 福田・安保理論」です。
基本は「行け行けどんどん型」の生活の見直しです。自宅でも旅先でも、先端の尖ったプラスチックの楊枝で手足の爪の生え際を刺激して、自己流の自律神経免疫治療を開始しました。これは1年間くらい実行しましたが、その後は面倒になり、止めてしまいました。
刺絡治療以外にも、意識的に副交感神経を高めてリラックスする方法はたくさんあります。民間療法のヨガ、太極拳、瞑想、座禅、深呼吸、体温アップ、音楽療法など、いずれも自律神経を調整して体調不良の改善を目指します。福田・安保理論によって、これら民間療法に理論的な意味付けがなされたとも言えるでしょう。私は今でも、深呼吸、体温アップ、音楽療法などを実践しています。
さらに身体の内部では、血管を柔軟にし、肥満・高血圧・動脈硬化を防ぎ、血流を改善し、リンパ球が働きやすい体内環境を作ります。これはメタボ対策そのものですね。そのためには食生活の改善です。クリニックでの血液検査のデータがモニターの役割をして、その後、さまざまな食事改善・体質改善につながりました。
このように福田・安保理論は私の今までの生活を見直し、人生の生き方そのものを変える大きな力となりました。
参考文献
最後に、今回の記事に関する参考文献を紹介します。
「ガンは自分で治せる―ガンが治る人・治らない人の違いがわかった!」(安保徹著、マキノ出版、2002年5月)
「奇跡を起こす驚異の免疫療法」(福田稔著・安保徹協力、SBクリエイティブ出版、2007年12月)
「無血刺絡の臨床 ― 痛圧刺激法による新しい臨床治療」(長田裕著、三和書籍、2006年2月)
(続く)
【次回】第23回・ギリシャで決意した がんセンターとの別れ – 1
【前回】第21回・生き方そのものを変えたがん治療「福田・安保理論」- 2
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