東海地方から戻った筆者は、今回から北関東の最も外周に当たる群馬県の会員制リゾートを追っていきます。群馬県は平野部に多い工場や物流拠点のイメージが強く、「不人気県」のトップクラスとなっていますが、筆者は東京から近い観光県として、高く評価しています。
群馬県の山間部には上毛三山(元が火山であった赤城・榛名・妙義)、栃木県境には尾瀬、新潟県境には谷川岳、長野県境には浅間山という素晴らしい山岳リゾートがあり、温泉地も100を数え、県別トップ10に入ります 1。
北軽井沢に駆る
筆者は全国の寺社巡りを趣味としていますが、今年4月のある日、初夏の陽気に誘われて前橋市近郊の神社参拝に出かけました。素晴らしい天候に恵まれたせいか、本連載のための取材プランが脳内を駆け巡り、急きょ北軽井沢から草津温泉にかけてのガラ権巡りに切り替えたのでした。
ルートは渋川から日本ロマンティック街道(国道145号)に入り、長野原町に至るというものです。そして筆者が1990年代に良く通った、長野原町・嬬恋村からの北(国道292号・草津町まで)と南(国道146号・北軽井沢まで)の縦のラインを走破するのです。
当時はまだ八ッ場ダムがほとんどできておらず、ダムに沈んだ吾妻渓谷・河原湯温泉 2 にも泊まり、見事な紅葉を見たことを思い出します。かつての国道145号は細く、カーブが続く走りにくい道路でしたが、今はダムの完成と道路の整備で、実に快適。あっという間にJR長野原草津口駅まで来ていました。
これが本連載シーズン2のヤマ場である「北軽井沢編」のプロローグです。初回である今回は、北軽井沢エリアの最も南であり、長野県との県境の手前にある「プレジデントリゾート軽井沢 3」を取り上げます。
浅間スポーツアリーナ
現代日本の本格的なリゾート開発は、1987年に制定された「総合保養地域整備法(通称:リゾート法)4」に基づいて、各県が基本構想を順次認定しはじめたことにはじまります。
第一号として承認されたのは、1988年7月の「三重サンベルトゾーン構想」でした。この三重の事例(地域整備並びにガラ権施設の多数輩出)は、すでに過去の連載に書いた通りです 5。今回取り上げる群馬県も、動きは早いものがありました。同じく1988年の12月に「ぐんまリフレッシュ高原リゾート構想」が承認されています。
これら基本構想は、非常に広範囲に地域が指定されるものです。群馬県の構想は、東は尾瀬から南西部の浅間山北山麓に至るものでした。そしてその認定の中で、今度は市・町・村が具体的計画を立てて実行していくのです。
こうして各地で具体的な取り組みがはじまり、長野原町北軽井沢エリアでは、「浅間スポーツアリーナ(ASA)」計画が打ち立てられます。しかしこの計画は、自然環境団体や地元住民の支持を得られず苦戦することとなります。
開発を行ったのは、鹿島建設でした。着工は1990年でしたが、リゾート法制定以前に長野原町の開発コンペで選ばれたという経緯がありました。しかしこのASA計画はあまりにも巨大で、当時は当たり前であったリゾート会員権も非常に高額だったのでありほとんど売れず、規模を大幅に縮小しなくてはなりませんでした 6。
なにしろこの巨大計画の開発地は、長野原町が持つ約245ヘクタールにも及ぶ森林で、この地に至る道路もない手つかずの場所でした。計画では8万平米の人口ラグーン(ウィンドサーフィンもできる海)、3万平米のアクアドーム(屋内プールなど)、ゴルフ場・テニスコート・スキー場などのスポーツ施設。これらのスポーツ施設に加え、ショッピングモール、リゾートホテルとてんこ盛りの計画でした。
北軽井沢の標高1,300メートルの場所に、広大な人口海岸を作るという構想にまず驚きますが、バブル期には、今となっては信じられない絵空事のような計画が全国各地で目白押しでした。当時として、これは異常なものではなかったのです。
鹿島建設
開発を担当した鹿島建設は、同時期に新潟県十日町において「ベルナティオ 7」(ガラ権なのでいつか取り上げます)というやはりリゾート法に基づく開発を、この浅間スポーツアリーナ以上の規模と思える規模で開始していました。
当時の同社がリゾート事業に大いに関心を持っていたのは事実ですが、このASAは、着工がバブルピークに乗り遅れたのに無理に発進しています。筆者はこの強行の背景に、壮大な八ッ場ダム工事の受注に向け、長野原町に対する「実績作り」が視野にあったと見ています。これは当時の新聞記事でも取り上げられており、筆者はその見立てを支持しています 8。
周辺整備を含め総工費が5,000億ともなる八ッ場ダム受注を巡っては、大手ゼネコン間で政治家を巻き込んだ壮絶な受注合戦があったとされます。本稿の守備範囲でないのでこれ以上は触れませんが、これに比べれば、ASAで見積もられた総額250億円程度の開発費は無視できるほどの規模だったと言えます。
ダム工事受注の好敵手とされた大成建設も、実績作りかどうか不明ながら、ASAの北側の山奥に1995年開業で「軽井沢高原ゴルフ倶楽部 9」を開業・運営しています。大手ゼネコン直営のゴルフ場は珍しく、ダムとの関連を疑います。
プレジデントリゾート
机上の空論で終わった開発計画も多い中、ASAの開発は絵空事だけには終わらず、1997年までかかって第一期としてゴルフ場及びリゾートホテル(プレジデントカントリークラブ軽井沢 10・プレジデントリゾートホテル軽井沢 3)の開業に漕ぎつけました。そして2年後1999年には、小振りながらスキー場(軽井沢スノーパーク 11)もオープンしています。
さすがにここまでで力尽き、ASA全体構想は未完で終了します。
筆者の見立ての通りだとすれば、鹿島は当初、自力の会員制リゾートを目指したと言っても、完成・開業したホテルの運営にはあまり力が入らなかったのではないかと想像するのです。実際、同社に会員制リゾート運営の実績はなく、ノウハウも不足していたという理由もあるでしょう。
そこに大企業同士の助っ人が登場します。草軽鉄道 12 の実績があるのに、北軽井沢以北の別荘地等開発で西武グループに大幅に負けていた東急にとっても、この鹿島の挫折は渡りに船であったのではないでしょうか。
こうして、鹿島・東急、どちらからのオファーかはわかりませんが、鹿島のプレジデントリゾートホテル軽井沢は、「東急ハーヴェストクラブ トラスト軽井沢高原」とのダブルネームでスタートすることとなります。
高さ規制が厳しい北軽井沢らしく、低層でくの字型に拡がったデザインの本ホテルは、全部で100室、これをハーヴェスト70室、プレジデント30室に分けての運用でした。
ハーヴェストクラブ軽井沢高原
ゴルフ場であるプレジデントカントリークラブ軽井沢は、バブル崩壊で会員権が売れなくなったためにメンバーシップ制をあきらめ、優待会員制度はつくったものの、普通のパブリックコースとして運営されました(ちなみに、大成建設の軽井沢高原ゴルフ倶楽部はメンバーシップ制です。鹿島の開業は、大成に2年の遅れでした)。
ただ、立地的に都市圏からの帰りプレーは難しく、ゴルフ場利用者向けの宿泊施設は必要でした。東急と組む一方で、ホテルは3割を自社扱い、それ以外を東急に貸し出し、ハーヴェストクラブの新施設としてガラ権が刷られました。
開業は1997年。預託金制で募集され、運用期間は20年でした。他のハーヴェストクラブにはクラブ存続期間が延長されたケースもありますが、本クラブは2017年をもって閉業し、その後は鹿島単独運営となりました。
鹿島にとって本リゾート開発は難産だったと思うのですが、それだけに思い入れは強かったのか、三井住友VISAカードと提携したクレジットカードまでが発行されました。
これはガラ権関連クレカとして珍しいケースであり、マニアな筆者はつい最近まで一般カードを作っていました。
無料カードではなく、毎年の会費もかかっていたのですが、さわやかなブルーのカードフェイスと「プレジデントクラブ」というそのものズバリのネーミングに魅せられ、使うこともないのにコレクションに加えていたのです。
東急の思惑
東急ハーヴェストクラブの名前が出たところで、東急の思惑を勘ぐってみます。軽井沢は東京と連結した最も重要な保養地です。前述の通り、東急はこの地でライバル西武に遅れをとっていました。西武が派手にプリンスホテルやゴルフ場を展開していたのに対し、東急は軽井沢に自社ホテルすら持っていません。
こうした中、ハーヴェストクラブは森トラストが所有する歴史的建造物ホテル「軽井沢万平ホテル」の一部(欅(ケヤキ)館)を1987年から20年賃借し、預託金制のガラ権としてクラブ運営を行いました。当初の契約どおりに2007年に閉業しましたが、最高の立地とわずか22室という規模もあり、季節・曜日を問わず常に満室御礼の施設として、今や伝説的なガラ権となっています 13。
東急は続いて軽井沢での劣勢を挽回すべく、軽井沢駅近くに開発を集中させて攻勢に出ます。電鉄が担当した東急ビッグウィーク軽井沢を経て、2001年には東急ハーヴェストクラブのフラックシップとなる「旧軽井沢」(施工は東急建設でなく鹿島建設であるところがミソ)の開業に漕ぎつけ、追って隣地に「アネックス」を展開します 14。
こうして東急はようやく軽井沢における面目を保てるようになるのですが、その初期段階において、北軽井沢での鹿島とのタッグは、ハーヴェストのブランド発展に大いに役立つ「名脇役」だったと思えるのです。
筆者は以前に書いた通り、斑尾で会員になって以降、旧軽井沢を買い増してその後売却するまでずっと、この軽井沢エリアを見つめて来たので、こうした「歴史の流れ」をよくわかっているつもりです。なお、旧軽井沢などの長野県側の軽井沢ガラ権界隈については、シーズン2では取り上げず、来年以降にカバーする予定です。
ANAホリデイ・イン
こうして東急と袂を分かち、鹿島運営となって8年近くの月日が経ちました。何度も利用した懐かしい本ホテルのその後はウォッチしていませんでしたが、訪問時には大改修が行われていました。
これはIHG系の「ANAホリデイ・インリゾート」としてのリニューアルです 15。IHG系列に加わったガラ権施設としては、本シーズン2の皮切り、岩手県・安比高原を思い出します 16。
リニューアル後もスノーパークは残りますし、ゴルフ場も普通に営業を続けるようです。本ホテルは最初の開業(1997年)から30年にも満たず、特に古い施設とは言えませんが、こうしてリブランドとして投資され、手を加えられたことでホテルとしての寿命も延びることでしょう。
これまでの連載で何度も見て来た、良いものを造れば長く使われるという事例に、本リゾートも加わったわけです。
太平洋クラブ
こうしてプレジデントリゾートに至った筆者に、日暮れの時が訪れました。改装中なので泊まるわけにもいきません。宿泊はすぐ手前、浅間山の眺望に優れる歴史あるゴルフ場「太平洋クラブ軽井沢」の付帯ホテルを利用しました。
太平洋クラブは系列のゴルフ場を全て利用できるシステムの、総合ゴルフコース会員権です。元は三井住友系で名門コースが多いのですが、破綻して現在はパチンコで知られるマルハンによって再生されています 17。
この付帯ホテルはガラ権ではありませんが、北軽井沢エリアにおいて便利で優れたホテルなので、次回以降の本シリーズで改めてご紹介します。
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・サンメンバーズ奥志摩 / ジャンボクラブ志摩 / メルパール伊勢志摩 | かつて開発された辺境リゾート「奥志摩」の現在 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog
・プライムリゾート賢島 / 志摩観光ホテル | 近鉄唯一のガラ権と志摩開発への情熱 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog
・志摩スペイン村 / 志摩地中海村 / 合歓の郷 | 「リゾート志摩」がスペイン風になった理由 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog
・アルティア鳥羽 / 泉郷プラザホテル鳥羽 | 名古屋のマンデベが築いた「至高の国」の数奇な運命 | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog
・ウィスタリアンライフクラブ鳥羽 | 鳥羽から撤退した藤田観光のガラ権はどうなったか | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog
・エクシブ鳥羽、ViViシーサイド鳥羽、ジャンボクラブ鳥羽 | 海と空から、鳥羽エリアに手を振って | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog ↩︎ -
・鹿島の群馬・複合リゾート、会員が集まらない――大幅値引き、施設自体も手直し。 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞
・浅間スポーツアリーナ計画、鹿島、採算厳しく大幅縮小――ホテルなど中止。 | NIKKEI COMPASS - 日本経済新聞 ↩︎ -
八ッ場ダムの工事は、当初、鹿島建設が最有力とされていたが、実際には鹿島建設は指名停止により入札参加資格を失ってしまい、本命の鹿島建設JVは清水建設が残り、清水建設は新たにJVを作って八ッ場ダム本体工事を落札した。
・八ッ場ダム本体工事、清水JVが落札 – 八ッ場(やんば)あしたの会
・八ッ場ダム - Wikipedia ↩︎ -
ANAホリデイ・インリゾート軽井沢は2025年9月12日に開業することが決定した。
・ANAホリデイ・インリゾート軽井沢、2025年9月12日(金)に開業決定
・鹿島建設「ANAホリデイ・インリゾート軽井沢」2025年開業予定 ↩︎ -
・安比高原スキー場ホテル群 | リクルートの壮大なるリゾート開発、安比高原今昔物語(通史編) | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog
・安比高原スキー場ホテル群 | リクルートの壮大なるリゾート開発、安比高原今昔物語(システム編) | 会員制ホテル今昔物語 – resortboy's blog ↩︎ -
太平洋クラブは2012年に民事再生法の適用を申請。スポンサーとしてマルハンが名乗りを上げた。
・日経BizGate「従業員に「誇り」持たせ改革 名門ゴルフ場の再生物語」 ↩︎














