蓼科の会員制ホテルめぐり – 3 「サンダンス・リゾート蓼科」- 前編

エクシブ蓼科のエントランスゲートのすぐ向かいに、「サンダンス・リゾート蓼科」という名の会員制ホテルがあることを知っている方は少なくないと思います。このホテルは、日本経済の凋落を縦糸に、それに翻弄されるホテル経営のあり方というものを横糸に、そして会員権という得体の知れないものをスパイスとして、大部の小説が書けるほどのさまざまな問題点をあぶり出してくれる面白い研究素材です。

今日は歴史の話ばかりで、特に利用ノウハウについては触れませんので、あらかじめお断りします。ホテル利用を通じて、社会のあり方について理解を深めたいという方は、ぜひお読みいただければと思います。

このホテルは、かつての企業保養所で、当時の日本道路公団が1992年に建設した「蓼科高原研修センター(通称:蓼科高原荘)」です。客室は12(洋室6、和室6)と、コテージが2棟あります。

バブル絶頂期の建築ですから、企業の保養所としての設備は非常に豪華であり、だからこそ現在もホテルとして生き残っています。建物の数奇な運命は、「第2の国鉄」と言われた日本道路公団の保養所であったことにはじまります。

2001年に発足した小泉純一郎内閣は、2003年以降、本格的に日本道路公団の民営化を推し進めます。その過程で、同社の放漫経営の象徴としてメディアに取り上げられたのがこの建物でした。

2005年3月の四国新聞から引用します。

日本道路公団が職員保養所を22億円で購入していたことが分かり、近藤剛公団総裁は17日、保養所取得の経緯について、第三者による調査を行う意向を明らかにした。同日開かれた政府の道路関係4公団民営化推進委員会の懇談会で表明した。

近藤総裁は「(取得経緯について委員から)重大な疑惑の指摘があり、看過できない。内部調査では済まない。調査結果次第では適切な処置を取る」と述べた。

公団によると、問題の職員保養所は、長野県茅野市の蓼科高原荘(敷地2万3000平方メートル)で、1992年に購入した。このうち建物やテニスコートなど土地以外の価格が14億円以上で、公団は道路建設事業に伴い余った用地など約17億円分の不動産や現金約5億円との引き換えで開発業者から取得した。

猪瀬直樹委員が「建物など価格が高すぎる。通常では考えられない」とただした。

(記事引用元)22億円保養所、経緯調査へ/日本道路公団 | 全国ニュース | 四国新聞社

この問題を追及したのは、当時、道路関係四公団民営化推進委員会の委員であった猪瀬直樹氏でした。同氏のメルマガアーカイブには、この建物を「重大な疑惑」として追及する調査チームの様子が克明に描かれています。

(参考資料)猪瀬直樹 公式サイト || 第345号【特別】(6月2日)「日本道路公団『消えた8億円』調査チームに問う」

このように、この建物が「問題」として広く知られるようになったのは2005年3月のことですが、その時すでに、ホテルとしての運営が開始されていました。

2004年7月、当時まだ三菱地所傘下の社内ベンチャーであった四季リゾーツ(四季倶楽部)は、この日本道路公団蓼科高原荘を借り入れ、同社9番目のホテル「蓼科エトワール」として開業します。三菱地所のサイトには当時の報道発表資料が残っています。

(報道発表資料)企業保養所有効活用事業会社「株式会社四季リゾーツ」9施設目の「蓼科エトワール」を7月1日に開業|三菱地所

ところが上記のような経緯があり、日本道路公団は2005年10月1日に分割民営化されます。そのため、四季リゾーツは蓼科エトワールの運営を9月で終了します(その後、近くの別の建物で同名のホテルとして再開業。関連記事:1泊朝食付き5,250円の四季倶楽部|番外編 – resortboy's blog)。四季リゾーツは運営受託のみを手掛けており、物件を所有するビジネスモデルではないからです。

こうしてかつての蓼科高原荘は売却されることとなり、四季リゾーツ撤退後、「サンダンス・リゾート蓼科」としてリゾート会員権「サンダンス・リゾートクラブ」に組み入れられて営業が継続されました。2005年秋のことです。

その後、表向きはずっとサンダンスブランドとして営業が続いていますが、経営母体には大きな変化がありました。

2014年6月、株式会社サンダンス・リゾートは東京地裁に民事再生法の適用を申請します。そして9月には再生計画案作成の見込みが立たないとして、10月に会社は破産します。

(報道記事)[東京] リゾート施設運営(株)サンダンス・リゾート破産開始決定 負債総額約5億4800万円|東京商工リサーチ

会社は経営破綻したものの、破産と同じタイミングで新設の株式会社リゾートフロンティアがサンダンス・リゾートクラブの運営を受託し、クラブの運営は継続します。

クラブの理事会(破綻時の会員数はおよそ15,000人、国内に16施設)はスムーズに新スポンサーを選定できたことから、クラブとしての運営は継続されました(この辺りの経緯は長くなっちゃうので今日は省きます)。

さらに2019年7月には、リゾートフロンティアが世界最大級のリゾートタイムシェア企業であるウィンダム・デスティネーションズに買収され、11月にはウィンダム・デスティネーションズ・ジャパンと商号を変更します。会員権としてのサンダンス・リゾートクラブは国内での販売を継続しているようですが、ウィンダムの会員権への乗り換えも一部で行われました。

(公式)ウィンダムからの新しいお知らせ|【公式】サンダンス・リゾートクラブ会員サイト

この結果、サンダンスの各ホテルは、ウィンダムのリゾート会員権の構成要素として世界中に販売されることとなりました。それが「IHC by Club Wyndham」という会員権商品で、2021年2月からは日本でも販売が開始されました。

(公式)IHC by Club Wyndham

こうして、日本道路公団の保養所であった「蓼科高原荘」は、円安で観光先として魅力を増す日本のタイムシェアリゾートとして、世界中に向けて国際的リゾート会員権のディレクトリーに名を連ねるようになったのです。

リゾート会員権とは、そのビジネスモデルの中に、昔も今も、運営企業にとっての「錬金術」的な要素が多分に含まれていると感じますが、このサンダンス・リゾート蓼科という小さなホテル1軒を見るだけでも、いったい誰のお金がどのようにして誰に流れて、誰が得をして誰が損をしたのか、社会背景と併せて考えると、相当に味わい深いものがあると感じます。

今日から海外からの渡航者への制限がかなり緩和され、インバウンド顧客復活への期待が高まっています。数年度に、このホテルをめぐる状況はどのように変わっているでしょうね。

1 comment

  1. この蓼科の優雅なリゾート建物等は、元々は、日本道路公団が、22億円もかけて、『職員さんのための保養所』として、税金等で取得されたものだったんだですね!

    日本道路公団
    (ウキペディアより・1990年代になり、天下り、談合、道路族議員の暗躍、ファミリー企業、随意契約など、隠れた利権の温床として、負債が雪だるま式に膨らむ「第2の国鉄」と言われる)の解体後、所有者が変わっていき、現在は、海外資本会員制リゾートクラブの傘下なんですね。

    国民の税金22億円の果実は、
    道路公団職員の手から、海外資本の手に移ったとも言えるんですね〜。

    なるほど。
    興味深いです。

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