ホテルトラスティ心斎橋(photo by resortboy)

ホテルトラスティ心斎橋とトラスティシリーズの系譜

この3月いっぱいで閉館となるリゾートトラストのビジネスホテル「ホテルトラスティ心斎橋」を訪れました。このホテルは、トラスティとして3番目にできたホテルです。

この記事では、このホテルができる前の2つのトラスティについて触れながら建設当時の状況を振り返るとともに、トラスティシリーズ全体の歴史的な意義についても俯瞰してみることにしましょう。

初代トラスティは投資商品として生まれた

初代トラスティである「ホテルトラスティ名古屋」(250室)は客室を分譲し、賃料をオーナーに支払うという投資商品としてできたホテルでした。当時のうたい文句は「小口不動産投資型シティホテル」。開業は1997年5月で、同年9月にリゾートトラストは株式店頭公開を果たします。

当時の投資家向け資料を見ると、トラスティ事業は当時リゾートトラストが行っていたマンション事業(「ロータリーマンション」「セントレー」など)と同じ「ディベロップメント事業」として位置づけられていました。

トラスティ名古屋は、年間室料売上の40%を販売価格に応じて賃料(配当)としてオーナーに支払う投資商品で、販売価格の4%が最低保証されていました。そしてホテル稼動率が上がれば、それに応じて4%を上回る高利回りが期待できると、同社は説明していました。

ホテルを分譲販売した後は同社が一括して借り受け、ホテル運営を行って収益を上げる。それがトラスティのはじまりでした。

エクシブの大成功とトラスティの路線変更

トラスティ名古屋が開業した1997年とはどのような年だったでしょう。エクシブのビジネスモデルが確立し、同社がビジネスの多角化を狙って一般ホテル(ビジネスホテル)に進出したこの年には、エクシブ琵琶湖が開業しています。

シティとリゾートの両面があったサンメンバーズから、リゾート事業はエクシブに発展して大成功を収め、シティ事業はトラスティへとつながっていきます。エクシブとは違った不動産分譲商品として生まれたトラスティは、ほどなく路線変更を行います。

翌1998年から5年間の中期経営計画「バリュープラン21」では、バブルで破綻したプロジェクトを次々エクシブとしてリリースすることで「グランドエクシブ」化が起こり、さらなる成功を収めます(2000年初島、2001年鳴門、2003年鳴門SV、2004年浜名湖、2005年那須白河、2005年鳴門SV2)。同社は2000年11月には東証一部上場を果たしています。

そして2003年からの「パワー・ブランド計画」において同社は、「会員権販売ではなく、ホテル運営で継続的な利益を上げる」という目標を掲げます。

こうして第2弾の「ホテルトラスティ名古屋栄」(204室、2003年4月開業)は自社開発・自社経営のホテルとして運営されることになります(この路線変更の理由については、稿を改める予定です)。そして第3弾として2005年6月に開業することになるのが「ホテルトラスティ心斎橋」(211室)でした。

トラスティのフォーマットが完成した心斎橋

初代のトラスティ名古屋から共通していますが、ホテルトラスティ心斎橋には当時のエクシブ建築の影響が色濃く感じられ、ビジネスホテルというフォーマットにヨーロピアンテイストを持ち込んだ、新しいスタイルのホテルであったと言えます。トラスティの第3弾として、名古屋、名古屋栄での経験を活かして作られたこの心斎橋は、より豪華に作られたのでした。

そのトラスティ心斎橋の共用部分を取材したので、写真とともにその特徴を見ていきます。

当時の報道発表資料には、トラスティシリーズをビジネスホテルとは呼ばすに「こだわりを持つ大人のためのスタイリッシュホテル」と表現し、心斎橋の開発コンセプトを「本物だけを追求して細部にいたるまで贅を凝らし、こだわりを持つ大人にくつろぎと趣味を楽しむスタイリッシュな空間を提供」と語っていました。

実際に訪れてみると、その言葉が誇張ではないことを実感します。建物の外装は重厚な石造りのお城を感じさせるもので、ロビーを入ればエントランスのステンドグラスに天井からのシャンデリアが映え、普通のビジネスホテルとは一味違うことが肌で感じられます。

プチエクシブと呼びたい質感とレストラン

ロビーは天井が高くゆったりした空間となっていて、プチエクシブとでも呼びたいような重みを感じます。

エレベーターホールもびしっと大理石調にまとめられ、すきがありません。

フロントと反対側にはイタリアンレストラン「ブルーノ・デル・ヴィーノ」があります。朝はホテル朝食、昼はビジネスランチ、夜には1万円を超すような高額ディナーを出すレストランとして、幅広い層から一定の評価を得ています。

場所は心斎橋駅から徒歩3分と絶好の位置。コロナ禍以前の2019年3月期は開業14年目を迎えていましたが、年間の稼働率は89.9%でした。2019年(暦年)の大阪府のビジネスホテル稼働率の平均値は79.9%でしたから(観光庁宿泊旅行統計調査)、同社が目指したホテル運営はひとまず成功していたと言ってよいのではないかと思います。

10ホテルまで拡大した異色チェーンが終えんへ

話をこのホテルが開業した2005年に戻します。

ビジネスホテルでの成功に自信を得たリゾートトラストは、次々と自社開発・自社運営のトラスティを開業し、出店を加速します。所有と運営、経営が分離する近代的なホテル経営モデルが普及していったこの時期に、オーナー企業として単独開発を行って統一感のあるホテルチェーンを築いたトラスティは、異色の存在であったと思います。

2008年の「ホテルトラスティ東京ベイサイド」(200室)、2009年の「ホテルトラスティ神戸旧居留地」(141室)、2012年の「ホテルトラスティ大阪阿倍野」(202室)、2013年の「ホテルトラスティ金沢香林坊」(207室)、2016年の「ホテルトラスティ名古屋白川」(105室、自社既存ホテルのリブランド)、2019年の「ホテルトラスティプレミア日本橋浜町」(223室)及び「ホテルトラスティプレミア熊本」(205室)と、コロナ禍発生の時点で合計10施設のビジネスホテルを開発運営することとなるのでした。

この心斎橋で確立したといえるトラスティのスタイルは、2010年代半ば以降の建築費高騰化によってテイストやポジションの修正を余儀なくされ、「プレミア」を冠する上位ホテルを2つ生み出すことになります。ですが、この心斎橋に代表される初期トラスティの、日本のビジネスホテルにおける突然変異とも言えるテイストの相対的魅力は、逆に増していたように、個人的には感じます。

エクシブ黄金時代に、あぶらの乗り切った経営陣が企画したホテルですから、よいものができるのも当然のことではなかったかと思います。

そのトラスティシリーズは、この3月で事実上、幕が引かれることになりました。

ビジネスホテルを旅してみれば、ライフスタイルとか都会的といったキーワードで、表面だけを整えたような重みのないホテルが、とても多いように感じられます。トラスティシリーズのような小粋なビジネスホテルは、もう現れることはないのかもしれません。

1 comment

  1. 気が向いたので古い資料を当たって、トラスティ草創期の背景を詳しく書き込みました。一度読んじゃったよ、という方もよろしければ再読お願いします。

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